2013年12月30日月曜日

第63回 「暇人の本読み」

「本を読むことは実に楽しい」ものです。

そして、本を読むことであたらしい発見もあります。

小学生の頃から、古代文明に憧れて関連の本を読むようになりました。
旅行記、解説書、写真集などよく買っていました。
「本を読むことで、行った気になれる」その程度のことですが、60歳を超えた今でも興味は尽きません。

最近は以前購入した本、古代エジプト史『ピラミッド文明・ナイルの旅』(著者:吉村作治)を読み返しています。その本の著述の一部を紹介します。


"人はよく、エジプトにはピラミッドがあるからそれだけで十分価値があるという。

それも一理あるが、実はピラミッドに負けないくらいおもしろいものが古代エジプト人の人生観である。

彼らは「エジプト人」とはどういう人をいうかを明確にしている。

「ナイル川の水を飲んだ人をエジプト人とする」

と述べているのだ。

すなわち外国人でもエジプト人になれるということなのだ。

そこには偏狭な人種主義はなく、おおらかな価値観を感じる。

また人間は死んだらどうなるのだろうかということを真剣に考えた最古の人たちでもあるだろう。

どんな人でも死は怖い。

だからその恐怖から逃れようとして、古代エジプト人は再生・復活という思想を考え出して

死の恐怖から解放された。

人間は死ぬが、その魂はあの世で復活し、永遠に生きていける。

そして、その魂はあの世からこの世にもどって来られるし、その魂がこの世で入る自分のもとの

肉体を大切に保存しなければと考え、ミイラとした。

合理的である。

しかも誰もが死ぬと復活してあの世へ行けるのではなく、この世にいる時悪いことをしていないというのが条件となる。"


私は考古学者ではないので歴史の真偽はわかりませんが、約4~5000年前の古代エジプト人の知恵です。よく考えたものです。

「実におもしろい!」
薬剤科 加塩

2013年12月20日金曜日

第62回「私の癒し」

私は、みなさまのように 『趣味』 と言えるようなものがありません(涙)

「趣味は?」

と聞かれたら・・・

強いていえば、 『仕事』 と 『子育て』 と答えると思います。

看護師の仕事は自分では『天職』だと思っています。(え~っ!?て思った人がいたらごめんなさい!)
寺岡記念病院に入職し、脳神経外科患者さんと関わるなかで、 『脳神経外科』 のすばらしさに出会い、脳卒中リハビリテーション看護認定看護師を目指し取得しました。

「脳」 ってすごいんですよ~❤❤❤。

脳についてしゃべりだすと止まらなくなります。(気がつくと・・・周りに誰もいない)
一緒に脳について熱く語ってくれる人募集してま~す。

2つ目の趣味と言えるかどうかわかりませんが、私にはかわいい息子が1人います。
かわいいと言っても現在小学6年生の反抗期真っ只中ですが・・・。

そんな息子の影響で、 アニメ『名探偵 コナン』 にはまっています。

みなさんご存知の『名探偵 コナン』は週刊少年 サンデーの人気コミックです。
簡単に説明すると、高校生探偵 工藤新一が、黒の組織の一員(ジン・ウォッカ)に毒薬(アポトキシン4869)を飲まされ、身体が縮んでしまった。小学1年生の姿になった工藤新一が、組織の目を欺くために江戸川コナンと名乗り難事件を解決しつつ、アポトキシンの解毒薬や黒の組織について探りをいれているという感じの話です。「索状痕」・「吉川線」・「アーモンド臭」・「プラスチック爆弾」etc・・・警察用語や隠語もコナンで知りました。(笑)

私の携帯電話のメール着信音も『コナンのテーマ』です。(笑)
休憩室でも時々「ちゃらら~ら~ちゃらら~ら~らら」と鳴っていますが、本館2階のスタッフはみんなもう慣れっこで、「井上さん、コナン鳴ってましたよ」と報告があります。(2階のみんないつもありがとう!!)

毎週土曜日18:00~のテレビ放送も良いですが・・・

私は、毎年4月に公開される映画『名探偵 コナン』シリーズが大好きです。
今年で17作目となっています。私の一押しは2001年公開 5作目の『天国へのカウントダウン』です。コナンくんが超かっこよくて❤❤❤❤特にラストの少年探偵団と一緒に脱出するシーン。何度観ても感動します。今すぐレンタルショップへGo~。

毎回、ハラハラ・ドキドキの名シーンばかりで、何度観てもすてきです。いろんなコナンくんに出会えます。コナンファンとしては、映画は公開初日に1回目を観に行く、そして2回目、3回目を観に行く。DVDが発売になったらレンタルして再度観るといった感じで楽しんでいます。今では息子よりも私の方が、コナンにメロ❤メロです。息子もコナンくんのように、すてきな男子になって欲しいです。

今年は、映画公開時期に『セガ・一番くじ名探偵 コナン』というものが某コンビニで販売されていたため、何度も何度も某コンビニに通いました。A賞~H賞(ラストワン賞というのもあります)まであり、1回500円でした。息子と2人で、計25回くじを引いて・・・全商品ゲット!!しました。

家にはコナンのフィギュアからクッション、タオルにクリアファイルetc・・。コナングッズがあふれています。タオルやクリアファイルなんて何枚あるの?状態です。(^^ゞ 

500円×25回に、家族から冷たい視線が・・。ほんとコナンバカですね。

でも、私の唯一の癒しなんです。

これからも・・『名探偵 コナン』に癒されながら、頑張っていきたいです。 
今一番の楽しみは12月7日公開の映画『ルパンⅢ世VS名探偵コナンTheMOVIE』を息子と観に行くことで~す。 みなさまもぜひ一度『名探偵 コナン』を観てみて下さいね!

看護主任 井上

2013年12月10日火曜日

第61回 「アンドレ・アガシ」

1999年の全仏オープン、アンドレ・アガシは決勝戦をアンドレイ・メドベデフと戦っていた。

当時のアガシは長い低迷期の最中であり、グランドスラムの決勝戦に勝ち進むということは奇跡的なことであった。

かつてはその風貌から異端児と言われていたが、18歳にして世界ランキング3位、1995年には世界ランキング1位となり、最も人気のあるテニス選手の一人であり、スポーツ界でも有名な選手であった。

しかしその余りにも絶大な人気、莫大なスポンサー収入、女優との結婚から実力は低迷し、一時は世界ランキング141位まで落ちてしまっていた。その低迷していたアガシが1999年の全仏オープンでなんと決勝戦まで勝ち上がったことは大きなニュースとなった。

当時高校1年生であった私にとってアガシは大好きな選手であったものの、グランドスラムで勝ち上がることは数少なかったため、アガシの試合をテレビで見ることはほとんどできていなかった。私は驚きと期待の気持ちで日本時間深夜からのテレビ中継を見始めていた。しかし多くのファンの期待とは裏腹に、メドベデフの安定した190km/hrを超えるサーブが冴え渡り、第1セット6-1、第2セット6-2で最初の2セットを落としてしまった。



テニスのプレースタイルにはサーブを中心としたサービスプレイヤーとストローク中心のベースラインプレイヤーという2つのスタイルがある。

1999年当時は時速200kmを超えるサーブを武器とするサービスプレイヤー全盛時代であったため、ベースラインプレイヤーの代表格であるアガシにとって、サービスプレイヤーであるメドベデフのサーブが調子良いこと、さらに2セットを先取されているといった状況は絶体絶命の状態であった。
試合の解説者も、実際に試合を見ていた観客も、また当時の私も、おそらくアガシ自身以外の誰もがアガシが勝つことを完全にあきらめてしまっていた。


アガシが低迷した原因は彼自身を取り巻く環境の変化とそれによる練習不足、そしてそれが攻め急ぎからのミスを誘発していたことであった。
しかし低迷期を経験し、どん底を味わったアガシは再度栄光の舞台に立つという野望を抱えるように変わっていた。かつてのグランドスラム優勝者が、自分自身でゲーム数をカウントするためにナンバーボードをめくるような下部リーグに出場するといった屈辱にも耐えるようになっていた。怠惰な生活を改め、頭も丸め、名コーチであるブラッド・ギルバードと一緒にひたすら練習と肉体改造をしていた。




アガシはあきらめていなかった。

かつて長髪でろくに走らず、一発のストロークエースを武器に活躍していた選手が、メドベデフ190km/hrのサーブを必死で返し、ローラン・ギャロスの赤土にまみれながら、ひたすら走り、ボールを拾い、長いストロークの末に生まれたチャンスボールを往年のストロークエースで決めるというパターンを少しずつ見せるようになっていた。

あのアガシが、低迷していたアガシが走っている。

その姿を見て観客は沸いた。解説者の声にも力が入るようになった。最初の2セットでは小雨交じりの曇り空が、終盤には日が照りつけるようになり気温も上昇していた。当然、私自身も興奮し眠れなくなっていた。観客はほぼ全員がアガシの応援をしていた。アガシコール、ウェーブが巻き起こっていた。

セットカウント2-2、最終第5セット、5-4で迎えた第10ゲーム。40-15のマッチポイント。
メドベデフのフォアのレシーブが、ベースラインを割った。その瞬間、アガシはラケットを投げ捨て両手を空高く上げた。
涙でしわくちゃの顔で立ちつくすアガシ。そんなアガシに歩み寄り、強く抱きしめるメドベデフ。重なった影の上を時間は緩やかに流れた。そんな二人を大観衆の歓声と拍手が包み込み、一つの歴史が作られた。
そこにいるのは、勝者と敗者ではなかった。死力を尽くして戦ったという、達成感・充実感を分かち合う同士に他ならなかった。


人がひたむきに頑張っている姿は大きな感動を呼び、また大きな偉業を達成します。ただそのためには地道な苦しい努力の毎日と、しっかりと頭を使い、より良いものを作っていこうとする工夫が必要です。当たり前のようなことですが、私にとって初めてそれを実感した瞬間でした。

寺岡記念病院に来て二ヶ月が経過し、ここ数年離れていたテニスを再びやり始めたことで思い出したエピソードを紹介させて頂きました。

私にとって大学時代のテニスの師匠も、初期研修医時代の師匠も、そして脳外科医として初めて手取足取り教えて頂いた師匠も、皆まさにそんな当たり前の事を実践している方々でありました。

今後脳外科医として、そのようなとてつもなく困難な当たり前の事を、自分自身どこまで出来るか分かりませんが毎日実践していきたいと思っております。 





脳神経外科 寺西

2013年11月30日土曜日

第60回 「ギザギザ葉っぱ」

エフピコRiM6階にオープンした「こどもの国」。
先日、嫁が結婚式でいないのをいいことに、子供と二人で遊びに行ってみた。
SOGOであった時代から来ていた場所。
そのあとロッツになりそしてRiMへ・・・
いつまでこの負のスパイラルが続くのかわからないが、少しでも貢献しなければ!
6階に行くと、「えほんの国」・「あそびの国」・幼児教室「コぺル」があったが、

体を動かすのが大好きな我が子は迷わず「あそびの国・ギザギザ葉っぱ」へ♪
1歳未満の子供は無料らしが、大人は終日500円。
1歳~12歳までの子供は30分500円。延長15分ごとに250円。
90分券を買えば平日は延長料金なしで一日中遊べるみたい。
お小遣い制の我が身ではちときついか・・・



子供の遊具といえば、福山が誇る企業タカオ。写真では艶があり陶器の様に堅そうに見えるが、中にスポンジを内蔵した柔らか新素材で日本初導入らしい。

足元には全面イラスト入りの衝撃吸収カーペット☆








時間を忘れて遊ぶ我が子。楽しそうに遊んでいるので連れてきたかいはあったが、時間はどんどん過ぎていく・・・

帰ろうと言ってみたが「まだあそぶ~♪」と一蹴。

案の定追加料金が発生しちゃいました(>_<)








雨の日などは遊ぶ所に苦労する子育て世代には大変ありがたいこの施設。

お小遣いが残っていればまた行こう☆

放射線室 開本

2013年11月20日水曜日

第59回 「七五三」

先日、我が息子の3歳の七五三詣りをしました。


始めての事だったので、いろんな人に聞きながら準備をしました。


まずは、写真の前撮り。
子供の意思も尊重しつつ、ほとんど親の自己満足で衣装を選びました。

『羽織袴にタキシード』

子供はフォトスタジオのスタッフの言われるままポーズを決めて、沢山写真を撮りました。

撮影した写真から選りすぐりの写真をセレクトしました。

これも親の自己満足で決めました。

素敵な写真が出来ました。


参拝は、新市町で有名な吉備津神社(通称:一宮さん)に行きました。

ちょうど一宮さんについた時、パラパラと雨が降りました。

確かお宮参りの時も雪と雨と強い風が吹き、最悪の天候だったことを思い出しました。

家族に雨男・雨女がいるとしか思えない・・・と思ってしまいたくなりました。

天候には恵まれませんでしたが、参拝を済ませた子供は七五三には欠かすことのできないアイテム「千歳飴」をもらい息子は大喜びでした。

一生に一度しかない貴重な時間を家族で過ごせたことに感謝しています。

「ケガや病気に負けない強い子にな~れ!」


看護主任 村田

2013年11月9日土曜日

第58回 「三原の祖父母の思い出」

母方の祖父母の家が三原市にあったので、笠岡市に住んでいた子供の頃には、春休み、5月のGW、夏休み、冬休みと学校のお休みの時にはよく泊まりに行っていました。三原駅の南口から、新幹線の高架沿いに西に500m位歩いて少し南に向かうと、家々が立ち並ぶ港町一丁目というところに、間口は狭く、土間が裏口まで通じている東西に長い2階建ての木造の家がありました。土間は家の真ん中で広くなって上り口があり、その上が吹き抜けになっていて天窓から陽が差し込んでいました。玄関わきの縁側からは花火ができ、2階の縁側からは道路向いの駐車場の向こうの西日に映える家々の瓦屋根が見えました。

母は長女で次女、長男、次男、三男の5人兄弟のため、お盆や正月には親戚合わせて20人を超えて狭くなる三原の家は、食事やお風呂もごったがえしていましたが、その混雑もお祭りのようで楽しく感じていました。

祖父は三原の地元企業の帝人に勤めていましたがすでに退職していました。祖母は世羅郡の甲山の出身で「いいえのぅ。」が口癖でした。「いいえのぅ。」とは「ダメ。」という意味です。買い物に行く祖母について地元の三原スーパーに行き、後ろの方から買い物かごにガムとかチョコレートとかこっそり入れると、「いいえのぅ。」としかられて、でもなにかひとつは買ってくれました。少し大きくなってからは、「いいえのぅは、いいえとNOの二重否定だから、結局OKなんじゃ。」と、口ごたえもしましたが。

大半の孫たちが大阪で生活しているので、お盆やお正月には大人数になっても、春休みや5月のGWには、やってくる孫は僕だけのこともあって、あの頃はやや背中の丸くなっていた祖母もまだ元気だったので、小学生の僕を連れて小旅行に連れて行ってくれたことがありました。

三原駅から南へ数分歩くと国道2号線をこえてすぐ海で、三原港があります。その港から船に乗って30-40分揺れると生口島という島の瀬戸田港に着きます。今ではしまなみ海道ができて、平山郁夫美術館や瀬戸田レモンで有名なその町には耕三寺というお寺があります。11月にはきれいな紅葉で知られる境内には、赤いツツジが咲いていたので5月のGWの頃かもしれません。

耕三寺は朱色や金色の極彩色の鮮やかな本堂にも驚きましたが、その隣に入口のある千仏洞地獄峡という地下約15mに掘られた全長350mにもなる地下道(隧道)が輪をかけてびっくりでした。中は薄暗く、たくさんの石造りの仏があり、滝が流れ、数十の地獄極楽図の額が掲げられていました。笠岡の寺の境内で育ったので、仏や地獄極楽の絵図は見慣れてはいましたが、地下道の薄暗いなかでは、子ども心にはだいぶおっかなく、祖母の後ろをついて歩きながら、はやくこの地下道から抜け出たい気分でした。

びくびくしながら歩いた地下道を抜けてほっとした、帰り道の参道で、太助饅頭(たすけまんじゅう)という名物のお饅頭がほかほかと蒸されて売られていました。小さな卵くらいの大きさで、酒粕を練りこんだ白い薄皮で小豆あんを包んである素朴な饅頭は、少し甘酒のようないい香りがして、地下道で疲れたところに恵みのお菓子でした。小さいのでぱくぱく何個も食べてしまって、一気に何個食べたのか忘れてしまいましたが、とても美味でした。太助饅頭が売られていた三浦太助饅頭本舗は閉店されてしまって残念ですが、祖母の「いいえのぅ。」と瀬戸田の太助饅頭は、今も懐かしく思い出されます。


祖父は酒飲みで、煙草吸いで、誰も起きていない朝暗いうちから起きて、玄関を開けて新聞をとり、カチコチと動くゼンマイ式の柱時計がある居間にどっかり座って、タバコに火をつけて煙をくゆらせながら老眼鏡をかけて新聞を読んでいました。

夏休みには、孫たちのなかでは一番朝に強かった僕をつれて、たぶん朝5時くらいに散歩に行くことがありました。行先は家から北にある山の中腹にある三原観光ホテルでした。新幹線の高架をくぐって、今は三原バイパスができていて、その恵下谷ランプがある甲山通りのある谷の道を歩いていき、だんだん上り坂になっていきます。なにかすこしは話をしながら歩いたのでしょうが、明治生まれで口数が少なく、歩くのが速い祖父だったので、ついて歩くのがやっとで何を話したのかは覚えていません。

山の中腹にある三原観光ホテルに着くころには明るくなっていて、そのホテルの隣にある公園で休憩しました。中央公園というその公園からは三原市街地が一望できて、その南に沼田川、帝人の工場、瀬戸内海、そして、山頂から望む瀬戸内海国立公園の多島美は瀬戸内海随一といわれ、風光明媚で知られる筆影山がよく見えました。

毎年8月の第2日曜日を含む金土日にある、とても賑やかな三原やっさ祭りの最終日には花火大会があるのですが、1回だけこの公園から沼田川河口で上げられる花火を見たことがあって、花火が川面に映ってとてもきれいでした。

今でも三原駅から北西の山の中腹に白い建物は見えますが、実際にはホテルも公園も荒廃して見る影もありません。しかし、祖父と眺めた景色は、今も懐かしく思い出されます。



後年、祖父は家の近くの国道2号線で早朝に交通事故にあい、周りの認識もできなくなってしまい、気管切開を受け経管栄養でだいぶがんばりましたが亡くなりました。祖母は何年かはひとり暮らしをしていましたが、叔父のいる大阪に転居し、東西に長い思い出の三原の家は無くなってしまいました。





三原の名物といえば八天堂のくりーむパンが有名ですが、寒くなると同じ港町一丁目にある昭和21年日本初の製法特許を取得した共楽堂の「即席あめゆ」が秀逸です。小箱に入ったその粉には生姜が入っていて、お湯にとかすと穏やかな山吹色になり、生姜のよい香りと麦芽飴のやさしい甘さがじんわりと温めてくれます。優しかった祖父母の思い出のように。


内科医長 松本

2013年10月30日水曜日

第57回 「アンパンマン」

ここ最近のニュースで少し悲しかった出来事は、アンパンマンの作者であるやなせたかしさんが亡くなられたことである。

子どもを持つまではアンパンマンに対して何の思いもなかったのだが、子育てをしていると、アンパンマンの偉大さに気付くことが多い。我が息子は、スーパーや薬局、その他様々な場所でアンパンマンを見つけるとすぐに寄っていく。話し言葉では「まんま」と同時期に、アンパンマンを意味する「パンマン」を発し出した。

また、アンパンマンのパジャマを着ると脱ぎたがらないので大変である。子供にとってたくさんのキャラクターが存在する中、アンパンマンの位置づけは絶大と思える。

しかし、アンパンマンのマンガを実際に見ていると、アンパンマンはそんなに強くないことに気付く。どちらかといえば、いろいろ悪知恵が働くバイキンマンの方が、要領よければかなり強いのではないかと思うことがある。それでも皆のヒーローであるのは、お人好しで目の前の人を見捨てず、どんな相手でも戦いを放棄しない精神があるからだろうか。

作者も認める弱いアンパンマンがなぜヒーローなのか。

やなせさんの言葉より。


『自分は全く傷つかないで正義を行う事は難しい』

『ぼくらも非常に弱い。強い人間じゃない。でも何かの時にはやっぱりやってしまう。ヒーローと言うのはそういうものだと思います』

・・・


アンパンマンの弱さに、ずしんと大きなものを感じずにはいれなかった。
ちなみにアンパンマンの人気キャラクターランキングでは、

1位はドキンちゃん

2位アンパンマン

3位バイキンマン

悪役も憎めない。どことなく愛着が湧いてしまうのもアンパンマンの魅力だろうか。

最後に・・・、

やなせたかしさん。

アンパンマンという素敵なヒーローを誕生させ、私たちにたくさんの愛と勇気と希望をあたえてくれて、どうもありがとうございます。天国で安らかに眠ってください。

リハビリ室 岸本(作業療法士)

2013年10月19日土曜日

第56回 「トークしましょ・・・」

11月生まれ・射手座の私は、好奇心旺盛で熱しやすく冷めやすい性格です。

その為か、気になる事がとても多いです。

短大時代に某大学のサッカー部マネージャーをしており、サッカーが好きだった影響で、Jリーグ元年には地元サンフレッチェの応援に毎週通いました。(ホームゲームだけですが・・・)

友達の影響で、F1も夜な夜な観戦し、英田サーキット(現在の岡山国際サーキット)にもセナ様の勇姿(最期のレースとなりましたが・・)を観に行きました。

先輩K看護師さんのお誘いで、モトクロスの大会の救護班にも借り出され、週末には観戦に行きました。

野球好きな友達の影響で、野球観戦にも通い、日本シリーズもチケットを並んで買い観に行きました。

又、自分でもやってみたく、ジャズダンス・バレーボール・バトミントン・卓球とサークルに入り、やってみました。冬場にはスキーにも行きました。

寺岡記念病院初の結婚休暇以外の長期休暇を無理やり頂き(まだリフレッシュ休暇というものがなかった頃)、アメリカへ海外旅行へも行きました。

又、最近は子供達の影響でバトミントンの観戦にも熱が入ったり、フィギュアスケートの観戦にも熱くなっています。

読書も好きで、マンガ・アニメ・小説なんでも読み漁り(なのでマニアックな知識がへたに多い)、音楽も好きでジャンルを問わず何でも聴きます。

管弦楽の生演奏はそれはすばらしいです。

子供達が太鼓も叩くので和太鼓の演奏も聴きます。

その上、自称、プチ歴女な私は歴史に関する事もとても好きです。今はやはり戦国時代以降から太平洋戦争までが気になっています。

こんな私がここ近年、はまっていることがK-POPと映画鑑賞です。

6年前ぐらいに娘に頼まれて、某グループのCDを予約購入し、PVを一緒に見たことがきっかけでK-POPに取りつかれてしまいました。

一時、日本にもブームが到来しましたが、早くも下火となってきました。もう若さと元気がないので、追っかけができませんが、PVやドラマや映画を見てうきうきしています。

おすすめのグループもたくさんありますよ。
私にとっては近くて遠い国・・・「韓国」へ行き、ストリートダンスを見る事とライブに行く事が、今の目標です。

そしてもうひとつの楽しみ映画鑑賞は、エーガル8シネマがOPENしてからの事です。
とは言っても、毎年35本前後しか観れないので未だにブロンズ会員から昇格はしていません。

ちなみにこの秋のおすすめは、10月5日から公開のゲキXシネ「シレンとラギ」です。
舞台のシネマ化なので映画館で舞台を観ている感覚です。迫力満点で感激しますよ。前売り券を購入するとお安く観れます。年末にかけて続々と話題作満載です。

思い付きをお話しましたが、多趣味な私ですから、広く浅くですがとりあえずは何でも対応できると思います。

暇な方はトークしましょ・・・・。

看護主任 川相

2013年10月10日木曜日

第55回 「人類の起源」

「人類の起源は?」

と聞くと、

「アダムとイブ」

と、答える人が多い。

しかし、これはキリスト教の旧約聖書の中にあるだけで、現実的ではない。

生物の中で最も進化しているのは、霊長類(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オラウータン)である。
この中で、道具を使えるのがヒトである。なぜ、ヒトが生まれたかは歴史学者が研究している。

今回は、これを大まかに書くことにする。

ヒトは約170~100万年前にアフリカの東側にあるジャングルから平地に下りたといわれている。平地では生活できなくて、ジャングルに帰ったのが、チンパンジーとゴリラである。ヒト、チンパンジーとゴリラは、赤道直下で太陽からの直射日光から保護するために皮膚は黒い。平地に下りたヒトは、他の動物のように牙や爪がないために、2本足歩行(直立)して食料を獲るために手で道具を使ったり火を興したりした。これがホモ・サピエンスである。ホモとは人類のことであり、ホモ・サピエンスは「知恵のあるヒト」という意味である。

その後、10万年前に、ホモ・サピエンスが北上してネアンデルタール人となったという説とホモ・サピエンスとネアンデルタール人は共存し、中東あたりで交配して一種になったという説がある。さらに、黒海まで北上して、4万年前に、現在のヨーロッパあたりでクロマニヨン人になった。そこは、アフリカのように暑くなく、むしろ寒い地方のため、肌が黒いと紫外線を吸収して作るビタミンDを作れなくなるために、肌が白くなったといわれている。これが、白人(コーカソイド)で、現代のヨーロッパ人である。

さかのぼって、100万年前にアフリカから海にのって東に渡ったのがジャワ原人といわれている。これが、オーストラリア原住民であり、やはり肌の色は黒い。

黒人は走ったり跳んだりが得意で鼻の孔が丸く、白人は泳いだり潜ったりに適したように鼻の穴が長くて細い。

50万年前にアフリカからアジアに渡ったのが北京原人である。しかし、アジア人のみが黄色人種(モンゴロイド)といわれ、なぜ肌が黄色なのかがわからない。黒人と白人は頭蓋骨以外の体格・骨格はよく似ているが、アジア人は脚が短く、弯曲が強い。学説はないが、霊長類のなかで唯一長い茶色の毛を持ち、ボルネオの森にしかいない「森のヒト」といわれているオラウータンがアジア人の先祖ではないかと密かに考えている。


副院長 小坂(整形外科)

2013年9月30日月曜日

第54回 「大好きな京都」

私は、結婚以来28年間、東寺の五重塔を見ながら京都に入り、毎年のように京都散策を続けています。

まずは、「世界遺産の社寺めぐり!」

去年は28年ぶりに三千院の美しい庭を歩き、寂光院で建礼門院の姿を想像し、気持ちが落ち着いたところで、いい香りのするお香を買って帰りました。
次は、「お祭りに突入!」
祇園祭りで四条通りの歩行者天国を山鉾とともに歩いてみたり・・・。

そして、「紅葉!」
紅葉の永観堂 夜間の拝観はとても感動しました。

そこにたたずむ見返り阿弥陀は、とても優しい顔をしていました。
優しい顔といえば、奥嵯峨の愛宕念仏寺の羅漢さん! なんと、境内には、1200体もの羅漢さんがならんでいるんだそうです。みんな赤ちゃんのようにかわいかったです。





二人で京懐石を食べて満足し、次はお財布の中を考えて、おばんざいに変更してみたり・・・。

錦市場をうろうろして、いろんなものを食べ歩き、楽しい旅は続きます。


「老後は京都で暮らすかなぁ~?」

などと考えながら、 これからも二人で京都散策を続けていこうと思っています。

京都大好き!な方がおられたら、声をかけてください。

一緒にお話ししませんか?













医事課主任 河本

2013年9月20日金曜日

第53回 「太陽つかまえた」





「太陽つかまえた」・・・こんな写真の発想 こんな感性の人がいるでしょうか?










「あなたが一生懸命、仕事している姿は、いい感じだよ」

元々真面目な(?)私は、若かりし頃、とある医師からいただいた言葉を真に受け、更に(?)真面目になり、黙々と懸命に働き(?)、ついには、とある看護助手さんから 

「THE真面目!!」

と言われるまでになり、何の面白味もない仕事人間(?)になってしまいました(^◇^)

そんな私も、嫌になったり、投げ出したくなったり、落ち込んだり、発狂したくなることが多々あります。

そんな私の「心の回復」「元気の源」は、前述の彼の「言霊」に触れることです。

  • 「磨けば何でも光ります。例えダメな選手でも野村監督にかかれば超一流に(^_^)v おバカも元気に生きたらアイドルみたいに(^_^)v 大仏も磨けば金ピカに♪ 物は考えよーです。使いよーです。」

  • 「泣きたい時は泣けるときはいっぱい泣いてください。でもそれを過ぎたらもう『泣かないで』」

  • 「元気出してください。ニッコリしてちょーだい♪やる気だしちゃって下さい。悩むのバカらしくなっちゃって下さい。それでも悩むなら、より良くなるために悩んでんだから胸張ってクヨクヨしてください。」

  • 「辛いことがあったら空見て深呼吸してごらん?上向いて胸張って跳べるから」

いかがですか?


彼はいつも超前向き!「感謝」の心を持った少年のような瞳の素直な人。


そして、今年も行ってきました! 
「言霊」だけでなく、彼の「音霊」「笑顔」に触れ、更に 「元気」 と 「パワー」 をもらうため・・・。 

「THE真面目!!」 な私からは、とても想像できない・・・・彼のもとへ・・・。



























遊助ライブツアー2013
『あの・・素敵な時間作りたいんですケド。』


今年も、唄って、踊って、タオルぶんぶん振り回して、笑って、感動して、涙して・・・・。

参戦するまえより、いっぱい元気になって、パワーもらって、心の充電 ハイ 満タン(^_^.) 


これからまたしばらく、何でも頑張れそうです。 

彼のライブは、唄だけでなく、お芝居・コント・・・三拍子そろった、メッセージ性のある内容で、 笑いあり、感動あり・・・のクオリティーの高いショー!

グッズ売り場では、毎年、空くじなしのガラポンがあり、金の玉が出ると、「ライブ終了後の楽屋ツアー」で本人と御対面できるというファンサービス!

疲れているのにね・・。こんなファンサービス他のライブではありませんよね?

当たる確率なんて、相当低い・・・でも、夢見ながら今年もガラポンに何度か挑戦。

結果は・・・・・・・




「生写真」と「缶バッチ」



・・・いいんです。夢が見れるだけで・幸せな時間が持てるだけで・・・。 

あなたも一度彼の「言霊」に触れてみませんか? 

そう、まずは彼のブログを覗いてみてください。 

TVで見る彼が書いているとは思えない、素敵な言葉の数々・・・ 

確実に元気がもらえる。太陽をつかまえることができるはずです。 

看護主任 千葉

2013年9月10日火曜日

第52回 「展覧会」

9月に入り、涼しくなってきた日曜日。

雨の中、広島県立美術館で開かれているゴッホ展に行った。

昨年末「楽園のカンヴァス」という小説に出会って以来、西洋絵画の世界に興味を持ち始めていた私は、著名な作家であるゴッホの作品が一堂に会するという今回の展覧会に、期待をよせていた。


ここで少しこの小説の内容に触れておくと、

アンリ・ルソーの幻の絵画をめぐり、大手オークション会社、美術館キュレーター、コレクター、研究者などのそれぞれの思惑、また絵画への愛情が描かれていて、普段公になることのないアートを取り巻く状況が垣間見え、ハラハラしながら一気に読み終えた。

ルソーやピカソなどが生きた当時のパリの状況も描かれていて、お金がない作家は、すでに絵の描かれたキャンバスを購入し、その上から絵を描いていたというエピソードが印象的だった。

再び展覧会について話を戻すと、生で目にするゴッホの筆致、色彩に魅了された。
その力強さの中に垣間見えるはかなさにも強く引き込まれた。

ただ一つ疑問に思ったことは、絵画はあらゆる文脈を抜きにしては、鑑賞することはできないのかということである。

キャプションに書かれるテキストは、年代毎の絵画技法の細かい分析など研究者の視点も入り内容は盛りだくさんであった。

が、むしろ多すぎる感もあり説明を読むだけで精力を使い果たし、途中で挫折してしまった。

展覧会を評価するなど私にとって畏れ多いことだが、説明は最小限にして、感覚的に絵そのものをじっくり鑑賞できるような展示にしてほしかったかなという印象を持った。

ゴッホ展の後、地下展示場で、中西繁展をたまたま観ることができた。

「廃墟と再生」というテーマで、アウシュビッツやチェルノブイリ・それに加えて地震におそわれたフクシマの原子力発電所が圧倒的な迫力で巨大なカンヴァスに描かれていた。

ヒロシマと並びフクシマは現代文明の負の象徴。
いまだに高い放射線量を示す汚染水の問題は深刻である。

しばらく憂鬱な気分で絵の前に立っていた。

以上二つの展覧会をみた感想です。「楽園のカンヴァス」は一読をお勧めします。


老年内科医長 竹原

2013年8月30日金曜日

第51回 「沼隈(ぬまくま)のご紹介」

わたしの家から、新市町の寺岡記念病院までの通勤時間は、車で約1時間。
沼隈というところに住んでいます。
誰に言っても

「遠い所から通っとるねぇ~。」

と、言われます。

来た事がある方も多いと思いますが、少し沼隈の紹介をしたいと思います。

まずは、有名な阿伏兎観音(あぶとかんのん)です。
正式には「磐台寺観音堂(ばんだいじかんのんどう)」といいます。

この観音堂は毛利輝元によって創建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
昔から航海の安全・子授け・安産の祈願所としても有名です。

廊下は少し斜めで、柵は低く落ちそうな感じで怖いですが、ここから見る瀬戸内海は穏やかできれいです。


そして、沼隈の能登原とんど祭り。
毎年1月第2日曜日に行われています。
能登原のとんどは、とにかく派手です。

高さ約7mの櫓にわらと飾りをつけ、10数人の大人がこれを担いで、中には子供が入って太鼓をたたきながら地域を練り歩きます。
その後各地区から能登原小学校に集まった6基のとんどは、出来栄えを競いケンカ神輿の要領でぶつけ合いをします。
最後は各地区で燃やされ、鏡餅やミカン、書き初めを燃やして一年の無病息災、五穀豊穣を願います。








そしてこれがわたしの大好きな帰り道の夕焼けです。内海大橋に沈む夕日は本当にきれいです。
この海で泳いだり、魚釣りしたり、語り合ったりと青春してきました・・・こんな夕焼けをみる度に沼隈っていいなぁと思います。これを見て「行ってみたいなぁ~」「いい所だな~」と思えてもらえるとうれしいです。

山と海しかない沼隈ですが、いいところなので来てみてください。

栄養管理室 門田

2013年8月20日火曜日

第50回 「通販生活!?」

私は通販をよく利用しています。TV、雑誌本、ダイレクトメール等などで注文します。
だからそういった関連雑誌本やダイレクトメールが送られてきたり、TELがよくかかってきます。


家の中には通販で購入した商品は沢山あります。
使用している物もあれば、1回2回使用して期待はずれの品もあり、押入れの中で眠っているのも多々あります。

美容に関するものでは特にダイエットに関する商品、健康食品、台所用品、掃除用品、日用品等など(^v^)

大きな商品では、ソファー、ランナーマシンー、電動自転車、等通販で購入しました。

準夜勤務を終えて帰宅し入浴を終えた頃には目が冴えて眠れません。その時のTVをつけBSを出すとどのチャンネルも通販の番組ばかりです。


TVでは、

「今から注文して頂いたお客様に限り、○○%OFFです!!!」

「あと残りわずかです、早く注文しないとなくなります!!」

「この商品はここでしか買えません。」

の声に、ついつい商品番号と商品名を書きながら、ダイヤルプッシュしている自分がいるのです。


そして、キャッチコピーで心を動かされて購入した商品も数々。
そのキャッチコピーの一部を紹介します。


ぷよぷよお肉にエステシャンの揉み出しケアを実践、頑固なお腹の肉に衝撃!
商品名⇒アセノスリムタップ

ぐうたらな毎日でも「ながらシェイプ」ですっきりボディ、深層筋の刺激でお腹に喝。
商品名⇒シエイプビートコア。


これ1台でいつものお部屋が「おうちジム」に早変わり。
商品名⇒ランナーマシーン


気になる目もと、目立たなくなりシミやタルミを伸ばして10歳若返り
商品名⇒ジーニー

などなど・・・。
ほんと欲しくなる文句に洗脳され心揺さぶられ、購入してしまいます。

・・・が、中には期待外れの物もたくさんありました。

「もう注文しないぞ!」
と、その時は思うのですが何故かまた注文してしまっている自分がいます。


次に購入しようかなぁ~と思っている商品は、ちなみに

高級化粧品・エステ・サプリよいもずっと使える栄養素丸ごと吸収、酵素でエンジングケアー。
商品名⇒79800円のミキサー ヴァイターミックス

油を使わずサクッとした食感が楽しめる世界で大ヒットヘルシー調理器
商品名⇒ノンフライヤー


自宅でマッサージとストレッチ運動、1台2役のメディカルチェアー
商品名⇒ファミリーメディカルチェアー・プレスナ

などなどです。

どうですか?皆様もこのフレーズをみて欲しくなりませんでしたか?



私はまだまだ続きそうです通販生活。


家族いわく通販中毒、通販依存症と家族の冷たい視線を感じながら・・・・・・・。

看護主任 桐島

2013年8月10日土曜日

第49回 「たまに行くならこんな場所 -ブラジル・マナウス編-」

大学生のころは旅行が好きで、夏休みは1年間のアルバイト代をすべてはたいてバックパック一つ背負って旅にでかけていました。

学生時代にしか行けないようなところに行こう、と思っていたので、アメリカ横断、エジプト縦断、東南アジア縦断など、今思えば体力勝負な旅行ばかりでした。

今日はそのうちの1つをご紹介。

ブラジルのマナウスです。


ブラジルのサンパウロまで日本から飛行機で25時間。
さらに国内線に乗り換えて8時間、ブラジルのアマゾンのど真ん中に、突如として高層ビルや近代的な建物が姿を現します。巨大都市、マナウス。アマゾン河の支流、ネグロ河とソリモンエス河の分岐にできた港を中心に発展してきました。アマゾン河の対岸まではおよそ11km。うっすら対岸が見えますが、どう見ても湖にしか見えません。



マナウスの港からボートで対岸まで30~40分。うっそうとしたジャングル内の水路をボートで進んでいきます。ところどころ倒木があり、適宜ナタで切り倒して進みます。



まずは晩ごはんを捕まえに行きます。
捕まえるとか言っている時点で相当あやしい晩ごはんになりそうです。
辺りも暗くなり、真っ暗な葦(アシ)の生えた水面に懐中電灯を照らすと、反射して光るものが無数に・・・・・
現地ガイドさんがおもむろに船から上半身を乗り出して水面にすばやく手を伸ばすと・・・・・
ごらんのとおり!

ちっちゃなアリゲーター(ワニ)!

なんと!

これが今晩のメインディッシュです。
ぶつ切りにしてトマトソースで炒めて食べます。鶏肉のようにあっさりしているけど適度に油分が霜降りのようになっている。パスタやパンとの相性が良くって、これが意外においしかったです。




昼はジャングルトレッキングです。
ボートを岸につけて、ジャングル上陸です。虫刺されと闘いながら、うっそうとした木々の間をひたすら歩きます。

「あー!ガイドさん、喉が渇いたよー。」

「はいはいー。」

そういって彼はするすると瞬く間に木の上に上り詰めると・・・ボトっ!上から落ちてきたのはヤシの実。
ナタで口を切ると、中にはポカリスェットみたいなヤシ果汁がたっぷり。冷えていたら美味しいのにな。



「ガイドさーん!」

「コバラが減ったよー!」

と、今度はボートから手を伸ばした先には天然のカカオの実が無数になっていたのでもぎ取ります。
硬い皮を割り、中の果実をしゃぶる。へぇー!カカオって、酸っぱいんですね。意外。どうしたらあんなにカカオの粉みたいにチョコっぽくなるんでしょう?いくらでも食べて良いそうなので、バクバクいただきます。




二日目。

晩ごはんのおかず捕獲作戦!釣りです。ただのサオに糸と針がついています。そこに、1cm角の牛肉をつけてそっと水面に沈めると・・・・・数十秒でHit!釣り上げてビックリ!なんとピラニア!釣りなんてロクにしたことない私でも、面白いように次々と釣れます。ピラニアの口に、私の親指の太さくらいある木の枝を噛ませてみる・・・・・グヮシグヮシガブガブ!木っ端微塵です。・・・・・って、このボートの下には無数のピラニアがいるってことですよね!?もしこのボートが転覆したら、私たちは何秒で骨になるでしょう?ちなみにこのピラニア、ヤシ油でカラっと揚げていただきます。とても美味です。




ジャングル内の集落で知り合った子どもたちとPK合戦。
使い古したサッカーボールと、木枠のゴールで、素足でキック。雨が上がった後なので泥だらけ。靴を履いてですらロクにサッカーボールなんて蹴ったことないのに、ましてや素足で普通のサッカーボールを蹴るなんて。しかも、なんかものすごく重い、このボール。でも、こんなアマゾンの奥地でも、子供はみんなサッカーが好きで、ボール一つあればいつまでも遊んでいられるのだ。サッカーって偉大だなぁ。







次にこんな冒険できるのは、退職してからになりますかね。

脳神経外科 宇佐美

2013年7月30日火曜日

第48回 「うどんLove❤ 讃岐うどんは好きですか?」

私と讃岐うどんの出会いは10数年前。

友人が大のうどん好きで、

「毎日食べても飽きない!!」

と力説。それでは、食べに行ってみよう!が始まりでした。


あれから、年に1、2回本場うどん県(香川)の讃岐うどんを食べに行きます。

値段が安くて、麺一玉を最小単位として、そこから自分の腹具合に応じた玉数に増やし、天ぷらをいくつかのせて「一杯のうどん」が完成します。

出来上がる工程もワクワクします。

量こそ少ないですが、「かけうどん」「ぶっかけうどん」「釜玉うどん」「温」「冷」などを選ぶことができ1日をかけて‘うどんのはしご’をします。

昨年、吟味して行ってきた4件のお店を紹介したいと思います。


山越---

テレビで紹介されたことがあり、うどん県(香川)最人気店「釜玉」お勧め!
県外ナンバーも多い。

なかむら---

ネギ畑がすぐそばにあり、自分でネギをきざむことができる細いうどん。


坂出山下うどん---

目の前で揚げる「海老のかきあげ天」人気。食べ応えあり。


長田in香の香---

お店も広く駐車場も広い。メインは釜揚げ。麺は太くてやわらかい。



このように、お店によって色々な特徴があります。私が食べるうどんはすべて「冷」!
うどんのモチモチした食感を最大に楽しめるからです。

食べ終わると、自分の練ったプランを達成した喜び~☆

今年も、また行きたいです!!!




(・・・聞こえてきます。そんな遠くまで行かなくても「○亀製麺所」があるよと・・・)



地域医療連携部課長補佐 藤井

2013年7月20日土曜日

第47回 「子供と一緒に」

私は、4人の子供がいます。(「えーっ、みえない!」と言って下さい(^^)/)

今まで家族の協力もあり、仕事一筋に頑張って来ました。

子育ては苦手(?)なこともあり、育児休暇はとらず、産休明けにはすぐに仕事をし、夜勤もしました。

ですから、子供と一緒にどこかに行ったり遊んだりは、あまりしていません。

上の子供は小学6年、下はもうすぐ3歳です。


今年は、2年前から上の子が入部しているジュニア正和フットベースボールの保護者会長という役をいただき、土・日にフットの練習や試合に付き添っています。(同じ部署の方、土日に勤務希望ばかり出してすみません(>_<))

実は私も、小学生の頃はフットベースボールをしていました。
同じジュニア正和です。(あの頃は新市町内だけでも3つクラブチームがありました。)

だから、ルールもわかるのでついつい子供に

「何しょうるん!!」

と怒ってしまいます。

子供は、

「そんなに言うんだったらおかーさんがしたらいいがっ!!」

と口ごたえです。

でも、そんなやりとりも楽しいですね。

今までより子供と話す内容が増えてうれしいです。
今まで仕事中心でしたが、これからは(もちろん、仕事もおろそかにはしませんが)少しずつ子供と一緒にすることを増やしていきたいです。

来年は2番目・3番目の子供が入部しているサッカーに付き添って行こうかな~(*^_^*)。


看護主任 松岡

2013年7月10日水曜日

第46回 「秘密の彼女」

甲高い彼女の声が、少し疲れている僕に勇気を与えてくれる。
髪を挙げたうなじに、少し筋肉質の腕に汗が伝い、躰全体がゴムまりのように弾み、そして至福のクライマックスを迎える...


秘密の彼女の話をしようと思う。


彼女は僕より丁度一回り年下で、初めて出会った頃は可愛くて元気いっぱいで、時々ヒステリックになるのには閉口したけど、とてもきらきら輝いていた。
3年前久しぶりに会えて、以前と変わらない笑顔と声で嬉しかったのを覚えている。
お互いの都合で、会えるのはいつも夜中になるのだが、人目を気にしなくてもいいのでそれも良いと思っている。
着飾っているときの彼女もそれはそれで素敵なのだが、着飾った服を脱いでプレイに没頭する時の彼女はまた違った輝きを見せてくれる。
モデルのようなすらりとしたスタイルではなく、グラマラスな肉感的なボデイでもない、女性らしさをとどめた範囲内で、しなやかで美しい筋肉質。素早い動きで攻められるとたまったもんじゃない、振り回されて降参。

人妻であろうと構いはしない。

僕の方も結婚して27年連れ添っている妻がいる。妻も少しは彼女のことを知っている。でも、また会いたい、今度はいつ会えるのだろうか。心配なのは、この前、いたずらっぽい笑顔で、

「今度会えるかどうかどうなるかわからない」

と、言っていたことだ。

気持ちの問題なのか、躰の具合のことだろうか。無理を強いる気は毛頭ないが、また会えることを心待ちにして、僕は僕で、もらった勇気と小さな幸せを心に抱きながら、彼女に負けないように、恥ずかしくないように、前向きに、日々を過ごしていくのだ。



・・・・・・・・・・・



「カモーン!!」

の声と胸元の小さなガッツポーズは、ゲームを決めるようなポイントを取った時のお決まり、こっちも一緒になって

「カモーン!!」

と口走ってしまう。

かつてはポニーテールの上に、まるで決死隊の鉢巻きに見えてしまう白いバンダナがトレードマークだった。
相応のトレーニングを積み上げてツアーに再参戦した時には、驚きながらもうれしかったが、でも無理だろう、やめておけばいいのに、という感想を抱いた。
ところが彼女のすごいところは、着実に成績を積み重ねて、ランキングも上げて、とうとうまた世界の、グランドスラムの大会にも出場するに至ったのだ。わくわくさせてもらうのはこの上ないのだが、2年前には、なんと、いくらピークは過ぎたとはいえ、あのヴィーナス-ウィリアムスを打ち破りそうになった。満足せず手を緩めずますます加速、伸び悩む日本の後輩の若手を尻目に、先日のウィンブルドンでは、1回戦で伸び盛りの10代のパワーヒッターを蹴散らし、2回戦は脂ののった20代前半の正確なストロークプレーヤーを退け、42才で3回戦進出。ランキング1位のセリーナ-ウィリアムスとの対戦は、勝てるわけはないにしても、少しくらいあわてさせることができれば、と思ったが、第1セットは結構できていたのではなかろうか。さすがに渾身の

「カモーン!!」

連発とはいかず敗退したが、対戦後のインタヴューで、

「芝ではなくハードコートで対戦してみたい」と言うところがすごい。セリーナがやめてしまわないうちに再戦させてあげたいと思うとともに、からだと気持ちが続く限り思いっきりテニスを楽しんでいるのだな、と思う。

「来年は、コートに立っているか、解説席に座っているか、わからない」

と、悲壮感のない笑顔で話す、クルム-伊達公子、42才。

伊達さん、綿密な体調管理とトレーニングは大変でしょうけど、やれるだけ頑張ってみて下さい。

来年のウィンブルドンのコートの上のあなたと会えるのを楽しみにしています・・・

テレビで、ですけれど。


副院長 熊谷

2013年6月29日土曜日

第45回 「過信?慢心?」

私は、小さい頃から歯科で治療した記憶がなく、ほぼ歯科とは無縁で過ごして来ました。


そして、いつのまにか自分の歯は大丈夫なのだと思ってしまっていたのかも知れません。


しかし、ついに忍びよってきたものがありました。



・・・そうです。


歯周病です。



年齢とともに歯周病には気をつけなければいけないと知っていましたし、自分なりにケアはしてきたつもりでした。



でも、意識はしていなくてもどこかに自分は大丈夫という思いがあったのでしょうね。



一病息災という言葉も浮かびました。



今は何事も無い方も、知っているからわかっているからというだけでなく医療機関でチェックしてくださいね。


薬剤科 廣常

2013年6月20日木曜日

第44回 「北海道好き」

ワタシは、北海道が大好きです。

これまでに4回ほど北海道を旅しています。好きだと言うわりに4回は少なく感じますが、
そこは時間とコストの関係でそんなには行けません(=_=)

初めての北海道は看護学校の修学旅行。この頃は北海道にさほど思い入れもなく、札幌~函館をバスで巡る旅でした。

2回目は看護師として働き始め何年か経った世の中がスキーブーム絶頂期、私をスキーに連れてっての頃です。スキー旅行の行き先は北海道の富良野。ホテルに着いた日のナイターから帰る日の午前中まで最高なパウダースノーを滑りまくった二泊三日でした。

3回目は2009年。帯広、富良野・美瑛、旭川・札幌、小樽・登別の四泊五日。かなり無茶な行程でしたが、どうしても行きたい場所をピックアップするとこうなってしまったのです。
ほとんど車移動でしたが、快く運転を引き受けて頂いた先輩と一緒でワタシ的には快適な旅。帯広ではドリカム好きの私の独断で池田町に寄り、夜は十勝川モール温泉、富良野の道の駅で野菜とメロンをお買い物し美瑛をドライブ、旭川はラーメンと動物園、札幌はジンギスカン、小樽は海鮮丼、登別では地球岬の夕日を堪能し夜は登別温泉でまったりとカラダとココロを癒した思い出があります。




そして4回目は2012年。
前回の無茶な行程を頭の片隅に入れ調整した結果、支笏湖温泉・旭岳温泉の二泊三日旅となりました。支笏湖と旭岳・・距離がありますが、今回も快く車の運転を引き受けて頂ける先輩と一緒でまたまた快適な旅。支笏湖は夕食ビュッフェ朝食バイキングの食べ放題、旭岳の夕食は一人にアワビ1個とメロン半分付きでお腹いっぱいになり疲れた胃袋を温泉で癒すという女子には楽しい旅でした。そして旭岳の紅葉と美瑛の青い池や景色も満喫です。



ワタシが北海道を好きな理由・・・

それは美味しい食べ物とココロ落ち着く温泉や景色ですが、『大泉洋』が好きという理由もあります。

今、第5回目の北海道旅行を計画中。
2014年、札幌で開催される『ジャンボリー※』への参加を夢見て日々仕事を頑張ります。私の北海道満喫旅はこれからもまだまだ続きます(^^♪ 
※ジャンボリーとは、2年に1度札幌で行われる大泉洋所属事務所のイベントのことです

看護主任 片山


2013年6月10日月曜日

第43回 「エベレストと空手」

先日、三浦雄一郎さんが80才にしてエベレスト登頂を見事果たされました。
中高年の体力もまだまだ捨てたものではありませんね。

ところで、エベレスト(チョモランマ)の標高は8,848mですが、

世界に8,000m以上の山はいくつあるかご存知でしょうか。

昨年の高校生クイズ王決定戦にもこの問題が出されました。



答えは14峰です。

すべてアジアにあり、ヒマラヤ山脈およびカラコルム山脈にあります。
世界の屋根と呼ばれる所以ですな。

エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョ・オユー、ダウラギリ、マナスル、ナンガ・パルバット、アンナプルナ、ガッシャーブルムⅠ峰、Ⅱ峰、ブロードピーク、シシャパンマ、

以上です。

このすべてに登頂し世界最初の人は、イタリア人のメスナーという人です。
1986年、42歳にして成し遂げています。

このような情報もインターネットで簡単に知ることができる時代になって、小生のように多岐に渡って物事を知りたい者にとっては便利な世の中になったものです。昔は地理で使っていた地図帳の巻末に前述の14峰が載っていたと記憶しています。

さて全く話は変わり、趣味についてのお話です。

4年前からフルコンタクト空手を始めています。現在1級(茶帯)です。学生時代は少林寺拳法をやっていて、こちらは3段を取得していました。

練習日は週3回あるのですが、とても全部には出れません。せいぜい月に3~4回でしょうか。以前はランニング、ウエイトトレーニングなどもしていたのですが、それも最近ではおろそかになっています。今後の目標として、この秋には黒帯(初段)挑戦!
ただし、10人組手(同レベル以上の10人と連続しての組手)を完遂しなければなりません。体重100kg以上の巨漢、腕が小生の脚ほどもある支部長、元気いっぱいの高校生、etc.・・・・・

はぁ~。

日々鍛錬あるのみ。

主任外科医長 浦久保

2013年5月30日木曜日

第42回 「鳥取砂丘へ」

先日、家族で鳥取砂丘へ行ってきました。

仕事と家事に追われる日々から少し離れて自然の癒しを求めに…


さすが晴れ家族(笑)、天気は晴れ。
早朝の生活感のない空気、気持ちのいい青空に眠気もふっとび子どもたちは(大人たちも…)大はしゃぎ!

長距離のドライブも、道中立ち寄るサービスエリアや初めて見る景色のおかげか思ったほど疲れることもなく、途中事故渋滞に巻き込まれるというハプニングもありながらも、お昼前には無事鳥取砂丘に到着。

ゴールデンウィークということもあり、砂丘の駐車場は満車。
少し離れた駐車場に停めて少し歩いて砂丘へ。
おそらく20数年ぶりの鳥取砂丘は、記憶の中のそれよりも随分きれいになっていて、月日の流れを感じました。

現地に到着するまで、子どもたちはどうも鳥取砂丘をちょっと大きめの砂場だと思っていたらしく、初めて見る一面に広がる砂丘に大興奮!!


さっそく裸足になり目の前にそそり立つ砂丘へ。

無謀にも一番急な斜面を選びいざスタート!

さすが若者…丘のてっぺんに一番乗りしたのは6歳の甥っ子でした。

心臓が飛び出るかと思うほどの急斜面を登り切り、やっと登りきったその先に広がるのは雄大な日本海。瀬戸内育ちの私たちにはどこまでも続く水平線はとても新鮮で感動的で、せっかく登ってきた砂丘を再び登らなくてはならないという現実などすっかり忘れ、今度は登ってきた方とは逆側へ急いで波うち際までかけおりていました。

時がたつのも忘れて、たまに寄せてくる大波に素足を濡らしながら、海の水の冷たさを心地よく感じ、まさに大自然に心癒されたひと時でした。

なにげない生活の中にあっても、家族みんなでこうして一緒に出掛けることのできる幸せ…こういうささやかな幸せがいつまでも続くことを願いながら、帰りの車の中ではもう次の旅の行先で盛り上がっていました。

放射線室  前原 

2013年5月20日月曜日

第41回 「ダイエットを兼ねた介護予防」

運動なんて面倒で疲れるので、夫に一緒に歩こうと誘われても断っていました。(夫は10㎞以上歩いて半日帰ってきません。それに歩くのが早すぎてついていけないのです)

夜勤中での夜中の間食や、仕事を終えての解放感からの夕食はドカ食いで、最近晩酌も日常となり、どんどん中年太りを加速させてきました。

そんな時、子供の同級生のお母さんから、

「近所にフィットネスクラブができたから行ってみよう!」

と誘われました。
年配の方が多いと聞いていたので、入会する気もなく気軽なつもりで見学に行くと、色々な油圧式のマシーンと、足踏み台を交互に並べてあり私にもできそうな運動でした。

「こんな運動の仕方があるんだ」

と物珍しい気持ちで見ていたら店長さんから声をかけて頂き、すぐその気になる性格のため入会してしまいました。

それからというもの月に何回通っても同じ料金なので、”行かなきゃもったいない根性”で時間があれば通っています。1回30分の短時間でできることや買い物がてら寄れる場所にあることや、通勤路の途中にあることが魅力で通い続けられる理由です。

入会して地道に通って痩せて当然と思われますが、私の場合は見た目ではよくわかりません。
ただ現状維持で太らなくなりました。痩せたという話はメンバーの方からよく聞くのですが、数人からも太らなくなったと私と同じ意見を聞きました。姿勢が良くなったとか、腰の曲がったおばあちゃんが、ちょっと姿勢よくなったかもと、何かしら成果は出ていると実感しています。
私の場合は痩せるためには、キツイ食事制限が必要なのだと思います。普段のドカ食いの食生活は続いているので効果は『あり』だと思います。

だから、ちょっとくらい暴飲暴食しても私は運動しているから大丈夫という気持ちがあります。(それがダメなのでしょう。)

また昨年の訪問看護の研修中に講師の先生から、私の通うフィットネスクラブが高齢者の介護予防の協力店となっていると聞き、年配の方が多いのと一人一人に合わせた運動ができるので納得と思いました。

最近、『ロコモ』と言われる言葉をよく耳にします。『ロコモティブ』は機関車、移動という意味ですが、医学的には、関節、骨、筋肉などの運動器を意味します。運動器が衰え段差で転倒して骨折する人がいますが、特にひざ痛、腰痛症、骨粗鬆症の人は要注意で、筋肉をつけるという意味でこの運動方法は理に叶っていると思います。

今後、私も年を重ねて簡単に転倒しない足腰や寝たきりにならないために、超高齢者になっても自分の事は自分でできる身体作りを今からしていきたいと思っています。


看護主任  佐藤

2013年5月10日金曜日

第40回 「大腸がん検診について」

2007年度厚生労働省人口動態統計によると、がんで亡くなる人は年間33万6290人で全死亡者の3人に1人を占めるとされています。

私は、寺岡記念病院で内視鏡業務を中心に日常診療を行なっております。
便秘、腹部膨満や貧血などを訴えて受診され、大腸がんと診断される患者さんも少なくありません。

今回は、大腸がんに関して検診という側面から考えてみたいと思います。

結腸及び直腸がんを合わせた大腸がんは、部位別がん罹患率及び死亡率ともに、第二位(前者2007年 後者2011年集計)を占めております。しかし、大腸がんは早い段階で治癒した場合、5年生存率は90%以上と、治癒も可能ながんの1つとされています。検診による早期診断は重要と言えるでしょう。

現在大腸がん検診(老人保健法に基づく市町村健診)は、スクリーニング検査(一次検査)として免疫学的便潜血反応(二日法)、異常が認められた場合、精密検査(二次検査)として下部消化管内視鏡検査が行われるのが一般的です。 

免疫学的便潜血反応は、便を検体とする非侵襲的(身体に負担のない)かつ簡便な検査です。40歳以上の人が便潜血検査による検診を毎年受けることで、大腸がんによる死亡確率を60%程度減らすことが証明されています。
しかし、国民生活基礎調査によるとスクリーニング検査受診率は、男性28.1% 女性23.9%と低く、他のがん検診と比べても低い傾向が指摘されています(2010年)。
広島県でのスクリーニング検査受診率は、県全体では17.6% 特に福山市17.0% 府中市11.7%(2011年)と全国平均を下回っているのが現状です。 

大腸がん検診精密検査も非受診により、大腸がんによる死亡の危険率が4~5倍になることが証明されております。しかし、日本対がん協会が2005年に全国支部で行った大腸がん検診の結果では、スクリーニング検査受診者数は212万1425人、うち精密検査が必要と判定された人は13万1247人(要精検率6.2%)、この中で精密検査を実際に受診した人は8万7479人(精検受診率67.6%)と有用性が証明されているにもかかわらずその受診率の低さが指摘されています。 

2011年度当院で行われた大腸がん検診の結果を提示します。

スクリーニング検査受診者は604人。うち精密検査が必要とされた人は32名(要精検率5.3%)、このうち実際精密検査を受けられた人は4人(精検受診率12.5%)と全国検査と比べ精検受診率は約1/5とかなり少ない結果でした。 

がん検診精密検査を受診しない理由として内閣府調査によると、健康状態に自信があり必要性を感じないから 心配な時はいつでも医療機関を受診できるなど無症状であることが前提となる理由が挙げられています(2006年)。症状が出てから診断される場合、治療内容の侵襲(身体への負担)度が高くなる場合が多く、予後が危険になる場合も考えられます。 

加えて大腸がん精密検査受診率低値の理由として、検査の特異性(直腸~結腸の内視鏡検査)、前処置(腸管洗浄)に時間を要することや煩雑さもあると思われます。また以前、内視鏡検査でしんどい思いをされたことを理由とされる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、下部消化管内視鏡検査は大腸がんの前がん病変の1つとされる腺腫の発見や治療も可能であり大腸がん予防という点においても重要であります。
近年は問診により被験者により適した前処置の工夫も可能となってきています。また内視鏡や機器の進歩などめざましく、以前と比べ苦痛のなく短時間に下部消化管内視鏡検査を受けていただくことも可能となってきています。 

検診対象者には検診の意義を理解していただき、まずスクリーニング検査を受けていただく。
医師のみでなく検診業務関係者も検診の意義をよく理解した上で単なる検査の提供だけでなく、被験者の立場に即したamenityや説明の提供を行う。被験者の皆様に安心感や満足感のある検診を受けていただくには、このような検者、被験者間の相互理解が必要でないかと考えています。

参照サイト

http://www.daichougan.info/
大腸がん情報サイト

http://ganjoho.jp/public/index.html
国立がん研究センターがん対策情報センター がん情報サービス

内科 河野

2013年5月2日木曜日

第39回 「ひろしま菓子博2013に行ってきました!」

第26回全国菓子大博覧会・広島が4月19日(金)~5月12日(日)まで開催されると聞いて、4月21日(日)に早速行って来ました。

当日は、風の強い曇り空にも関わらず、開催3日目ということもあり、広大な会場に40,700人が来場し、すごい人で賑わっていました。

人気のパビリオンは長蛇の列でなんと120分待ち・・・
その時点で

「とんでもない所に来てしまった・・・」

と心が折られてしまいました。

しかし、それにもめげず、全国お菓子めぐり館でお菓子を見て歩いたり、お菓子のテーマ館にて広島県内の和・洋菓子職人が、約1年間かけて制作した15分の1スケールの工芸菓子「嚴島神社」を見たりして来ました。
紅葉まんじゅうだけでも、40種類以上あるそうです。(ビックリ!!)

あと、お昼は人が多すぎて、菓子博なのに会場の外でパンを買って食べました。

これがほんとの菓子パンです(笑)

また、その日は7時間でなんと歩数2万歩!!
博覧会ってそんなに歩くものなんですね・・・ 

結果的には人が多すぎて、菓子博に行ったにも関わらずお菓子もあまり食べれず、買えず、というなんともほろ苦い思い出となりましたが、私にとっては生まれて初めての博覧会だったので、何もかもが新鮮で貴重な経験でした。

ちなみに4月28日に行った知り合いは、51,000人と混雑はしていたけれど、食べ切れないぐらいの試食が出来て良かったと話され、私に紅葉まんじゅう1つくれました。やっと菓子博のお菓子が食べれて良かったです。展示誘導など改善されているようですので、まだ行っていない方は更に楽しめるかもしれません。

あと、さすがに広島までは行けないという方も、府中市出口町302-2にある精進堂という和菓子屋さんには、前回広島菓子博(92年前)で金賞に輝き、天皇陛下にも献上された百合羊羹があるそうなので近場で菓子博の醍醐味を味わうことも出来るようです。

私も今度こそは自分で食べに行きたいと思います。 

リハビリ室 副室長 田中(理学療法士) 

2013年4月20日土曜日

第38回 「私のパワーの源」

他府県よりこの地に嫁ぎ、最初は手に職を付けたいと小さな縫製工場へ務めました。
居心地が良く10年務めた頃、急な工場の閉鎖になり、同じように繊維関係に再就職をと考えました。
その少し前、実父・義祖母・義父と次々に親族を亡くし、お世話になった看護師さんの姿に

「いいなー、私もこんな職業に就きたかったなー」

と頭の片隅にありました。
それが急な工場の閉鎖で、どうしたものか家族に看護師になると宣言をしたのです。
家族は冗談だろうくらいのつもりだったようですが、どんどん夢は膨らみ、自分でも驚くほど夢は現実に進んでいきました。

ブランクがあり、すでに記憶力も減退しかけていたので若い人達についていけるか不安はありましたが、そこはおばさんパワーで一生懸命頑張りました。

准看護学院2年の後、福山医師会看護専門学校の24期生として3年間通いました。
通学に片道40k近くかかり、

家庭・仕事・勉強と大変だったでしょう!

よく頑張ったね!

と、みんな言ってくれます。
ところが、あんなに充実し楽しかった日々はなかったというのが実感です。
そう、私は2度目に来た青春真っただ中にいたと、今も思っています。

専門学校なので、年齢も私に近い人が何人もいて、直ぐに友達になりました。
授業や実習が終われば反省会と称し友達とお茶を飲み、悩みを話したり勉強を教えあったり、
しんどさは楽しみへと変わり、かけがえのない友達との学生生活でした。
また、友達と通知表に一喜一憂したのもいい思い出です。

卒業を前にこの友達と別れたくない、何とかしなくてはと考えました。
前おきが長くなりましたが、そこに何か残したいと考え「ひめの会」を立ち上げることをみんなに話しました。そんなに大それたものではないのですが、「ひめの会」発足です。
この「ひめの会」というネーミングにも、何にしようかとあれこれこだわり迷ったものです。

「ひめの会」の決まりは何もありません、ただ24期生で参加したい仲間は誰でも OK!

毎年2回夏と暮れに、同じ月・同じ曜日・同じ時間・同じ店に集まり十数年以上が経過しました。人数的には10人程度で、友達伝いに「こんなことをしてたのか」と新たな参加者もいます。子連れの参加者や時には担任だった先生も出席され、よく食べ、よく話、次の再開を約束してお開きになるのですが、これが私のパワーの源!第二の青春を乗り越えた親友達との楽しい時間です。
また1~2年に1回旅行を計画し、これまでに黒川温泉・立山黒部・伊勢、そして今年は能登輪島へ行きました。枕投げはしませんが夜遅くまで語らい、七尾湾に朝日が昇るのをみんなと露天風呂で眺める最高のシュチエーション!もう来年のリクエストも話あっての帰路でした。

杖を突いても集まりたいネと話す、今日この頃です。

看護主任 有地

2013年4月10日水曜日

第37回 「早春の三曲」

早くもこの井戸端情報も二巡目が巡ってきましたね。

去年は「早春の三冊」ということで、その頃再読して心に残った三冊の本を紹介しました。今回は僕の大好きなJAZZから、春の曲を3つ選びました。考えてみれば「早春」というのは、2,3月頃のことで、ちょっと時期を外れるかな?とも思うのですが、まあ、この原稿を書いているのは実は3月はじめですし、「早春」という言葉の響きが好きで・・・ということでお許しください。 

JAZZというのはなんだか旋律をひねくり回して、ややこしく難解な音楽、と思っておられる方が多いかもしれませんが、実は「名曲」の宝庫です。その中から、春のタイトルのついたスタンダードナンバーの名曲を選びました。


1) You Must Believe in Spring Bill Evans Trio

ピアニスト、ビル・エバンズの同名の1977年録音のアルバム” You must believe in spring”から、二曲目。
限りなく美しい旋律です。戦慄します(寒っっ)。ビル・エバンズのピアノトリオ曲としては、「ワルツ・フォー・デビー」という超名盤がありますが、気がつくとこちらのディスクがターンテーブルに載っていることが多いですね。このアルバムの録音から三年後にビル・エバンズは亡くなり、死後に発表されたアルバムです。この曲を聞いていると、テンポがゆらりゆらりと微妙に「揺らぐ」のですが、ベースのエディー・ゴメス、ドラムのエリオット・ジグムンドの二人もぴったり息を合わせて「揺らぐ」のです。こんなことはクラシックなどでは考えられないことですが、エバンズは「音楽にはあらかじめ作曲された(決められた)音楽と、ジャズがあるんだ」と語っていました。インタープレイと言う言葉がありますが、三人の心の交流が語られるようなピアノトリオを是非聞いてみてください。 



2) I’ll Remember April(四月の思い出) Sonny Clark Trio 

ソニー・クラークの1957年録音のピアノトリオアルバム、”Sonny Clark Trio”から六曲目。 

ソニー・クラークというのは、前述のビル・エバンズなどと比べると華やかさに乏しく、どちらかというと地味な存在ですが、マイナーを好む日本人ジャズファンのなかでは人気のピアニストです。このアルバムは、ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズとベースのポール・チェンバースという当時最高峰の二人にサポートされて、思う存分「歌って」います。五曲目の「朝日のようにさわやかに(Softly as in a morning sunrise)」が名曲として有名ですが、それに続くこの曲も更に味わい深く、心に残る名演です。この曲は「歌」でもあるので、歌詞がついていますが、それによると「あなたとの四月の思い出がある限り、秋の寂しさをおそれはしない・・・」というような、哀愁に満ちたソニー・クラークのピアノがぴったりの曲ではないかと思います。 


3) April in Paris Count Basie and his orchestra 

最後の曲は、打って変わって“脳天気な”ビッグバンド・ジャズ、カウント・ベイシー・オーケストラによる1955/56年録音の同名のアルバム”April in Paris”から一曲目。

“カウント(伯爵)”・ベイシーは”デューク(公爵)”・エリントンと並ぶ、アメリカのスウィング・ジャズ、ビッグバンド・ジャズの王者です。日本にも何度も来日し、たくさんの熱狂的ファンがいました。なにしろゴージャスな演奏者を揃え、ゴージャスな音で聞くものを楽しませる、ビッグバンドの神髄を表現しているバンドですね。このアルバムを聴くときはアンプのボリュームをぐいっと上げて聞きます!! 



以上三曲、それを収めた三枚のアルバムは、どれをとっても素晴らしい出来ですので、聞いて(買って)損はありません。(ディープなジャズファンには当たり前の物足りない話で申し訳ありませんでしたが)これにて2013年4月のお話は終了です。

院長 武田

2013年3月30日土曜日

第36回 「私の休日」

つい先日、10才・7才・2才の子供達を連れて映画を観に行きました。

映画は「映画ドラえもん☆のび太のひみつ道具博物館」です。
公開から2週間過ぎたので、もう観る人は少ないだろうと思い開演15分前に行ったのですが・・・チケット売り場は長蛇の列でした・・・。残り席も後わずかとなっていたので、次の回にする事にしました。
次の回でもほぼ満員の状態で鑑賞しました。相変わらずのドラえもん人気に驚かされました。

私の時代は、ドラえもんが大山のぶ代さん世代なので、声優さんが一気に新たになった時は最初は少し・・・正直違和感がありましたが、子供たちは何も思わず楽しんで観ていました。

上映中、映画館でも

「わ~」

とか、

「きゃ~」

とか歓声も上がっていました。

今回の映画の内容はひみつ道具がいっぱい出てきたり、ミステリーぽいストーリー、ドラえもん・のび太の感動の友情物語となっているので大人も子供も楽しめる映画でした。 

ドラえもん映画の定番の構成と少し違うので大変面白かったです。ぜひ皆さんも映画館へ足を運んでみてください。

しかし今回、一番驚いたのは一番下のチビちゃんがずっといい子にして観たことです。
すぐにぐずり出して観ないかなと思っていたので大変驚きました。(上のお兄ちゃんは3才で真ん中は4才でそれぞれ映画デビューでした。) 
もちろん、ポップコーン(キャラメル味)にジュースを買って入っていのでお腹が減ったーとかの催促はなく、終止モグモグと口を動かしながら観ていました。・・・だからいい子にして観ていた?

「楽しかったー!」

と帰りの車の中で子供達は話をしていましたが・・・

「次はクレヨンしんちゃんを観るー」

の一言におもわず苦笑いがでた、私の休日でした。

医事課長 村上

2013年3月21日木曜日

第35回 「私のリフレッシュ法」

もともと、何でもかじってみる性格で、アマチュア無線の免許を取ったり、茶道、華道をお稽古したり、バイクのレースのピットクルーになったり、どれも広く浅くではありますが、経験はあります。


なかには、長ぁーく続いているものもありますが、一つは手芸、もう一つはパン作りです。(どこかから、えーっという声が聞こえるような・・・)

まず一つ目の手芸ですが、編み物と小物作りで、編み針は保育所のころから持ちはじめ、できた作品は数知れず、もちろん結婚当初主人にも編みました。

この冬は、ティペット2つ、ショール、襟巻、娘のケープ、ベストを編みました。よく、

「肩が凝らないの?」

と聞かれますが、不思議と集中して編んでいると気分がふんわりしてきます。
・・・なので編んでいる最中の顔は笑やけていると思われます。毛糸が首周りに着くとかゆくなる体質なので、ひたすら人に使ってもらえるものを編みます。




もう一つのパン作りは、もともとは妹に誘われて入ったクッキングスクール。
そこで息子の一言、

「ケーキ屋さんのケーキみたい」

と言われた誕生日ケーキで天にも昇る気持で、通いに通って約10年、料理、製菓、パンの三種類のコースで、すべてライセンスまで取りました。
現在は、一番相性のいいパンを続けています。計量して、コネはじめ、なかなかまとまらない生地がまとまりはじめ、表面がつるんとなったら一次発酵。
一次発酵から出てきた生地を触ったときのかわいさったらありません。
そうですねぇ、たとえるなら生まれたばかりの赤ちゃんのおしりの感触かな?
思わず頬ずりしたくなるほどです。いわゆる癒し系です。
成形して二次発酵、そして焼成。オーブンの中ですくすくと大きくなっている自分のパンの出来上がりが待ち遠しい。
焼きあがったばかりのパンを食べてみてください。
おいしいですよー!そりゃあもう!
習い始めたばかりのころは、家で待っている家族へ持って帰って一緒に食べようと思って、持ち帰っていましたが、クロワッサンを焼いたときのことクッキングスクールの先生が、「焼きたてのパンを食べれるのはここだけよ♡ パン屋さんでいくら焼きたてって書いてあっても、少し時間がたっているからね。」と…。なんて誘い上手な先生でしょう。その誘惑に負けて食べたときのあのクロワッサン、おいしかったぁ~。その味をまだ追及?するため、クッキングスクールに通い続けているのでした。




看護師長 土路生

2013年3月9日土曜日

第34回 「オフロードバイクと小生」

約30年前に島根医科大学に入学。下手ながらも入学式当日にサッカー部に入部、同日よりレギュラーでした(部員が足らなくて全員即レギュラー)。指宿出身の同級生が持参した白波を飲んで以来、大学時代は芋の湯割りにハマっていました。福山に来てからは日本酒も好きになり、毎晩おいしく飲んで太っています。天宝一もうまいが、獺祭最高~。




大学1年で自動車免許より先に自動二輪中型の免許を取得(授業をさぼって松江試験場で一発試験を受け、10回目くらいで合格 f^_^;;)。中古のエルシノア125、中古のハスラー125、新車のホンダ XL250Sと乗り継ぎました。すべてオフロードバイク(正式にはトレールバイク)。XLとの付き合いは長く、サッカーの試合のたびにバックパックを背負って出かけていました。松山で試合があったときには移動途中で転倒し、擦りむいた膝で試合に出場。一応、試合での怪我ということにしていましたが・・・。当時の先輩ごめんなさい、バイク移動に満喫して試合前はヘロヘロでした。試合だけでなく往復のツーリングも目的の一つでした。




大学6年の夏には浜松での試合後に、後輩と二台で舞鶴まで北上し、フェリーに乗って小樽まで。その後はテント泊しながら、1週間かけて気の向くままの北海道1周旅行。熊におびえながら知床半島走ったり、 途中で三浦綾子の小説『塩狩峠』近くの空地に一泊したり。後輩ごめんさい・・・、北海道までつきあわせて。




三坂八郎林道
島根県匹見町と広島県吉和を結ぶ林道
大学卒業して入局してからは、しばらくバイクはお休み(忙しくて乗れない&脳外科医がバイクに乗るのはやや後ろめたい)。しかし数年後に島根の田舎に赴任してから、バイクふっか〜つ。当時は携帯電話などなくポケットベル持って林道をのんびり走っていました。当時の上司ごめんなさい、病院の近くにいつもいると思われていたでしょうが、日曜日は県境をトコトコ(単気筒エンジンの音)走っていました。PBが鳴っても恐羅漢山付近に公衆電話などあるはずもなく、泣きながら急いで帰っていました。これは赴任後に購入したヤマハTDR250 (オンロードの2スト2気筒エンジンをオフロードに乗せた目的のわからない多目的バイク)。











門司に赴任中はスズキDR250(車高が高くて、短足の小生には酷)で平尾台あたりをウロウロ。留学中にはパリ・ダカールラリーのスタートを見に行ったこともありますが、今はバイクお休み中。今、限定解除を狙っています。大型オフロードバイクでやっぱりトコトコ山中を走りたいですね。大規模災害時に直ちにバイクで現場に駆けつけるDMAT 隊できないかなぁ。



脳神経外科医長 竹信

2013年2月28日木曜日

第33回 「0系新幹線ラストラン」

特に印象に残っている旅があります。
2008年12月14日の新幹線旅です。車・鉄道の事などよくわからないのですが・・・。
この日のチケットは発売開始からなんと数時間で
ソールドアウト。キャンセル待ちでやっと手に入れた博多発の新大阪行きのラストランの切符でした。






「0系新の最後の運転に立ち会い,新幹線ごときに引退式?どんなものなんだろう」というくらいの軽い気持ちでした。

しかしそんな気持ちは吹っ飛び、

な・な・なんとカメラを手にした人・ひと・人・ものすごい人!!!



物々しい警備、拡声器の声、歓声、新幹線を見つめながら懸命に手を振る人、敬礼をする人があちこちで見られました。


ラストランの0系が通過した後の構内に響き渡る拍手。

それまでの自分の知っているホームとは大違いの光景でした。それはまるで別世界に迷い込んだ様な感覚でワクワクしてきます。

「プゥワァーン」

警笛や笛の音・・・余韻のあるレトロな響き・・・

博多を出発し見慣れた広島駅。
0系到着のホームにずらっと一列に整列し最敬礼で迎え見送るJR職員・保安員・清掃員の方々・・・ゆっくりとホームに入ってくる0系が警笛でそれに応える。

感動的な場面でした。

新大阪に到着!プラットホームでは厳粛な式典が物々しい重装な警備の中で行われ、「てつこ」「てつお」鉄道マニュア?人・人・そして人でホームは埋め尽くされていました。

戦後復興の立役者となり、ひた走りに走ってきた0系新幹線・・・ご苦労様。



たくさんの人に愛されていた0系に卒業式にて我が子を送り出すような気持ちになり、感動して涙がじゅわーっとこみあげてきて止まらなかった事を、今も忘れられません。

家に帰ると、テレビの特集で0系のラストランが報道され、新たな感動に慕っていると・・・、ある日、着払いで大きな箱が届きました。

そこにはなんと1/45縮尺の0系新幹線車両模型と高額の請求。

!?!?!?!?!?!?

夫が嬉しそうにニヤリ・・・

我が家では時々0系の「プゥワァ~ン」という懐かしい警笛音が鳴り響いています。

栄養管理室 湯藤

2013年2月20日水曜日

第32回 「私の看護発祥地」

私が看護を学んだのは、瀬戸内海に面した町“呉”です。

呉は造船業で栄え、あの悲運の戦艦「大和」を造った町です。明治37年呉海軍工廠職工共済会病院の創立と同時に看護師の養成を始めた私の母校は、なんと今年で108年を迎える歴史ある学校です。 

“呉共済病院看護専門学校”での学びが、
私の看護の原点です。 







私が入学した当時は、3階建ての古い寮の上に増築された建物が校舎でした。
1年生はしばらく学科だけで、8時間の授業は体育会系の私にとっては地獄でした。1日の授業が終わると教室・トイレ・実習室の掃除があります。
担任の先生が窓の桟を指でこすり、

「まだ汚れとるよ!きれいにしんさいや!」

「そこに髪の毛が落ちとるじゃないね!」

と一喝。
そんな教務の先生は厳しかったけど愛情がありましたね。

1年生の1学期が終了する頃、初の病棟実習です。
この頃は戴帽式がまだ済んでいないため、実習着はなく、白い診察着を着て、頭に白い三角巾をターバン様にまいた姿で実習です。髪の毛が少しでも出てはいけません。想像できますか?
“たこぼうず”と私たちは言っていました。 

戴帽式後は実習が徐々に増えていき、症例が終わるごとに症例報告をまとめる繰り返し。精神科実習、事業所実習、夜勤実習、母性実習も加わり、お産の立会もさせてもらいました。会陰切開を初めて知り、その場で絶対子供は産まないと誓った私は、3回の出産を経験しました。

晴れて、看護師免許を取得した私が配属されたのは、元結核病棟で、院内で最も古い木造2階建ての病棟でした。終末期の患者あり、検査入院の患者あり。あの当時、腎生検は病室でしていました。深夜勤務での採血は山ほど、ICG,PSP、GTTなど同じ日にあれば、タイマーをかけて走り回っていました。患者が急変すると研修医をまず呼びます。挿管やら血管確保やら、未熟者同志で一生縣命処置をしていましたが、いろんなエピソードがありました。忙しかったですが充実した毎日でした。

プライベートも充実していました。
英会話・ジム・ジャズダンス・お花を習い、フィリピンへの研修旅行に参加。夜勤明けでチーズバーガーを食べながら映画を観る。行きつけのスナックでマスターが機嫌のいい時にしか聞かせてくれない、ギターの弾き語り「ダスティホフマンになれなかった」に聞きほれる。飲み会の帰りに屋台でラーメンを食べ、サンデーサンでアイスクリームを食べながらもりあがって帰る。次の日はもちろん仕事です。パワフルでしたね~。とにかく楽しかった!

そんなこんなの毎日でしたが、仕事が辛いと思ったことは一度もありませんでした。
今思うと、職種間での人間関係が良く、チーム医療ができていたからかなと思います。

呉での6年間が私を成長させてくれました。

呉共済で看護を学べたことが私の誇りです。
看護師長 門田

2013年2月12日火曜日

第31回 「バロックとJazzが出会ったら」

脳神経外科の井林です。

スタッフ個人情報開示コーナーということで、自分の好きな音楽について紹介させて頂きます。
実はクリスチャンである私は、小さいころから教会に通っていたので教会で演奏される音楽(教会音楽)にはかなり慣れ親しんで育ちました。ただ、ばりばりのパイプオルガン曲などを鑑賞するようになったのは大学生のころからでした。バッハをはじめとしたバロック音楽の、メロディーラインがつきつぎと重なりながら奏でてゆくハーモニーを聴くのはとても心地良く、はまってしまいました。さてそれでは、バッハを演奏する人たちをはじめ、自分のおすすめの演奏家を紹介します。

上段左端のTon Koopmanは私の好きなオルガン奏者です(チェンバロも弾きます)。おすすめの一曲はTrio Sonata BWV 530です。非常に美しいです。
続いて上段真ん中のAndras Schiff。幼少時にピアノでバッハの平均律Inventionsなど練習された方も多いと思いますが、彼のピアノ演奏は堅実できっちりした感じが好きです。

それに比べて上段右端のGlenn Gouldは購入したCDに鼻歌交じりの演奏が録音されており、衝撃を受けましたが、好きです。スピードが速くて個人的なは少し疲れます(笑)。

さて、バッハ奏者から一呼吸おきます。

社会人となり社会の厳しさを知るようになってから、Jazzが好きになりました。いわゆるアルトサックスなどの木管もとても音色に趣きがあって好きなのですが、今回は鍵盤シリーズということで、下段左端のBill Evansを紹介します。
彼のピアノトリオは非常に美しく、哀愁あるAutum leavesを初めて聴いたときは泣きました。彼は少し精神的に病んでいたようですが、そんな脆さが感じてとれるような、fragileな美しさのある曲が多いです。

と、ピアノトリオのかっこ良さに酔いしれていたとある日、出会ったのが下段真ん中、Jacques Lousseirです。

彼はバッハをはじめ、さまざまなクラシック音楽をJazz風にアレンジしてトリオとして演奏しています。有名な「主よ人の望みの喜びよ」やPartitaのjazzyな演奏を聴いて、こんな音楽があったのかと感嘆しました。バロックとJazzが合うなんて想像したことがありませんでした。アルバムJacques Loussier plays Bachなどおすすめです。(ちなみに彼のカバーしたショパンの夜想曲もかなり半端ないです。)みなさん是非聴いてみてください。

以上で井戸端情報を終えますが、下段右端がバッハですね。カツラのようです。彼の音楽は彼の没後評価されるようになったらしく、同時代で活躍したヘンデル(ハレルヤコーラスで有名)などとは対照的だそうです。そのことを聞くたびに、信念を持ち続けて堅実に仕事をこなすことの大切さを感じさせられます。カツラ以外は見習ってゆきたいです。

脱線しました。

疲れた一日を終える前に、良質の音楽をのんびり聴く時間が、私のささやかな幸せとなっております。まだまだ勉強不足なので、皆様からもぜひおすすめの一枚を教えていただければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。

脳神経外科 井林



2013年1月30日水曜日

第30回 「九州新幹線に乗ろう」

昨年8月上旬・・・

「旅行に行きたいねぇ~」

「温泉で癒されたいねぇ~」
「新幹線で行けるところがいいねぇ~」

との話しから、11月上旬に友人と二人で、新幹線を利用して、一泊二日の旅行へ行きました。

旅先として選んだのは・・・“鹿児島県(指宿温泉)”

今回の旅行の目的は、何といっても温泉だったので、旅館に着くと、すぐ温泉へと向かいました。そして、楽しみにしていた“砂むし温泉”を初体験!!

砂をかけられてすぐは、「重い!」としか思わなかったのですが、だんだん身体がポカポカとしてきて心地良くなり、7~8分経つと、全身から大量の汗が出てきました。15分程で砂から出るのですが、体中の老廃物が大量の汗とともに流れ出てきた感じで、すっきりとして、とても気持ち良かったです。その後は、隣の1,000坪もある大浴場へ移動し、樽風呂や釜風呂や露天風呂など色んなお風呂を楽しみました。
砂むし温泉は、本当に気持ち良くて、翌日も6時半に起きて、砂の中に埋もれました。




二日目は・・・ノープランだったので(温泉の事しか考えてなかったのです)、旅館の方に近くのおすすめ観光スポットを教えて頂き、「フラワーパークかごしま」・「龍宮神社」・「長崎鼻」・「釜蓋神社」・「知覧特攻平和会館」へ行きました。

『釜蓋神社』は、パワースポットで、神社備え付けの「カマのフタ」を、鳥居からお賽銭箱まで頭に載せ落とさずに参拝できたら願い事が叶うと聞き、挑戦してみました。途中には、何段か階段もあるのですが、二人とも一回で落とさずに参拝できました。ご利益あるといいな。

◇釜蓋神社

















初めての鹿児島は、最高の旅となりました。帰りの新幹線では、

「次どこ行く?」

「また砂むし温泉入りたい!」

と、すっかり砂むし温泉の虜になってしまいました。近くで入れるところないかな~。
そろそろ今年の旅プランを計画予定です。また鹿児島へ行く!?

医療福祉相談室 奥中

2013年1月19日土曜日

第29回 「お気に入りの店」

おいしい物を食べることとお酒(種類はなんでも)が好きで、福山住んでおりよく自転車で食べに(飲みに?)出かけています。

今回は、私が気に入っている店を紹介します。ほとんど1人で行くのでカウンターがあるお店です。


おてもやん
瀬戸の小魚と焼き鳥の店、魚がおいしく魚ばかりたのんでいます。
ままかりの刺身・でべらの刺身はここで初めて食べました。
スペアリブ・地鶏モモ焼きもおすすめ

スペイン食堂
一皿300円のタパスにスペインワイン1人でもいろいろ食べれます。
黒板メニューとパスタもあります。
ワインのボトルキープはどれもワインリストの値段(原価)+1500円です、グラスワインもあります。


膳夫 高木(かしわで たかぎ)
大阪の㐂川有尾で修行された店主、薬膳蒸しが名物? 
今までは車で行かなければならなかったのですが、3月に新しい場所に店をだされるそうで、そうなると行く回数は増えそうです。


てっせん
大阪の有名店で修行された店主、出汁はマグロ節でとっているそうです。
この出汁を使用した海老芋の煮物はおすすめ


和処 なかくし
福山では名のしれた和食の店、私が福山に住む前から行っています。
創作和食がお酒に合います、日本酒・ワインもいろいろ取りそろえています。

Pange(パンジュ)
串揚げ&ワインバー。
フレンチを修行した店主が作るおまかせ串揚げコースとワイン
(飲めない人には自家製フルーツ酢があります)
夜はワインバー、有名でなくても小さな珍しい倉のおいしいワイン。


夢心(ゆめごこち)
鞆の浦の魚にこだわる和食屋さん。
季節限定の田酒の大吟醸も飲めます。

夜咄(よばなし)
日本酒と天然の魚にこだわった和食屋さん。
行くたびに違う種類の日本酒が5種類くらいメニューにあります。

イタリン酒場 ルーチェ
リストランテ真田で修行されたオーナーシェフの店。
平日1人だと酒場セット(前菜3種盛りとビールかワイン2杯で1500円)がおすすめ。
前菜は400円くらいからグラスワインも500円からあります。


中国料理 蓮華(れんか)
健康安全な食材にこだわる中国料理。
中国料理らしくない創作料理もありヌーベルシノアと言う人も。
化学調味料は使用していません。
予算を言ってお任せがおすすめです。

腎センター 副センター長 福田

2013年1月11日金曜日

第28回 「方言」

こんにちは!
今日は、私のつぶやきをお聞き下さいませ。お題は、「方言」についてです。
それでは、始まり、始まり~
私は、県外出身で、北国生まれの北国育ちです。縁有り、この地に移り住み、早、うん十年…生まれ育った地よりも、倍以上になりました。(これで、年はばれましたかしら?)

最初に広島弁、正確に言えば備後弁を聞いた時に、何言ってんだかさっぱり解らず(その当時はです)、何度も通訳?してもらってました(私も、自分の土地の言葉は訛ってるので、聞き返されてましたけど.)。その当時の状況をいくつかご紹介します。

「自分、いつも何しよるん」 (えっ、これって私に聞いてるの?自分て、自分だべさ..)

「わしなぁ、」 (えっ、儂!男性が自分の事を「儂」と言う人は、『仁義なき戦い』のyakuzaさんだと思ってましたから、当初はびびってました。)

「やれ、いのうや(帰ろう)」 (どう言う事?)

「あぁ歯が、はしる(痛い)」 (えっ、歯が走る?)

「たばこ(休憩)しようや」 (私、煙草吸えないんです)

看護師を志す前は、託児所付きの縫製会社に勤めていました(この地方は、皆さん働き者なので専業主婦は目立っていました)。年配者にハサミを渡され、

「これ、つんで(切る)、ねき(側)に置いといて」

と言われました。(えっ、はさみでどうやって積むんだべ、ねきってなんだべ?)と、その当時は、まだうら若い私は意味も解らないままに取り合えず、ズボンの半身を繋ぎ合わせた、何枚もあるひと塊を、丁寧に積んで、(どこに置くんだべなぁ)ときょろきょろしていました。年配者が近寄ってきて、

「何しよるん、違うじゃろう、アホか」

(えっ、積んでって言いましたよね、それに、私馬鹿だけど阿呆じゃないもん…)
「阿呆」は私の故郷では、馬鹿以上の罵り言葉です。

「県外から移り住んでまだ日が浅く、言葉がまだ解らないんです..」

と言い黙って項垂れていたら、その方はそれからは、とても優しく教えて下さいました。
そんな私も、10年20年経つ頃には、立派な備後弁で話せる様になりました。
でも、未だに慣れない言葉があります。それは「アンタ」です。
当初は、近所の方が

「アンタ、○○じゃろぅ」

「アンタ、そうしぃ」

のアンタ呼ばわれ(この地方では親近感のある言葉です)に、我慢できなくて

「私、アンタじゃありません、ちゃんと名前があります。」

と抗議した事がありました。今思い出すと、若気の至りで、恥ずかしいです。
私の中の「アンタ」は、両極端の2種類あります。
そのひとつは、女性が愛しい男性に

「ねぇ、あんたぁ、今日は早く帰って来てよぅ」

と言う(私は使った事がありませんが)、ツイストの『あんたのバラード』の世界です。
反対は

「あんたねぇ、なしてそんな事言うのさ!」

の喧嘩言葉です。
因みに、男性から女性に使う愛しい言葉が

「おまえぇ、風邪引くぞぅ、こっち来い」

(言われた事はありませんが)の松山千春の『ひとりじめ』の世界です。
今では、故郷言葉と備後弁の混合ミックス。眠る前には、

「今頃、みんなどうしてるべなぁ、元気にしてるべかぁ、寒いじゃろうなぁ…したら、寝よっかなぁ」

と遠い故郷に思いを馳せる私なのでありました。
それでは、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。
これにてお終いです、ちゃんちゃん。

訪問看護ステーション 管理者 伊達