2016年2月29日月曜日

第138回 「私の引き出し」

寺岡記念病院へ転籍して、早いもので3年半が過ぎました。

北川病院(当時)最後の1年は、1人の検査室で相談相手もなく淋しい(?)日々を送っておりました。そして、検査室の閉鎖に伴い、大掃除、新しい検査室への移転など、誰に頼る事もできず1人でもくもくとやりました。今振り返ると不思議なくらいのパワーです。

転籍すると、今度は新しい事を覚えなくてはいけません。老体にムチ打って何とか覚える事ができました。若い人には想像もつかないと思いますが、とにかく書きまくりました。
当番も北川病院での最後の1年は呼び出しもほとんどなかったのですが、寺岡ではない日が珍しいくらいです。

でも私はどこでもすぐ寝れるので、その点は大丈夫です。何回呼び出されても帰ったら寝れます。神経質な人には考えられないでしょうけど…ある意味特技です。

3年も経てば検査室の9人の性格がだいぶわかり、和気あいあいと仕事ができるようになりました。
これも(実は)20年前くらいに【3H会】と称して寺岡記念病院7人、府中総合病院6人、北川病院4人の検査技師が集まり情報交換の目的で飲み会をしていました。

そこで寺岡の方と面識がありましたし、1年半先に転籍になっていた加納さん、高校2年の時のクラスメート(とても仲良し)の山岡さんがいてくれたのでとても心強かったものです。

一緒に働いてみると私が想像していた印象とのギャップに驚く事も多々ありました。でも、一番びっくりされているのは皆さんの方だと思います。それはなんとなく日々肌で感じております。

先日手話サークル(私もメンバーの1人)がリハビリ室でのバレンタインコンサートに参加して『花は咲く』をマンドリン、ギター、歌に合わせて手話で披露しました。

初めての企画で他部署、多職種との交流を持つ事ができました。

仕事の方でも褥瘡委員会、NST、教育委員会、病床委員会などに参加して少しずつ顔見知りの方も増えてきました。やはり知っていると仕事もスムーズに行きやすくなると思います。

北川病院の時も踊りのグループ『ほたる』に所属して病院の行事はもちろん、色んな施設に慰問したり、色んなお祭りに参加していました。『ほたる』も多職種の集まりでした。

『ほたる』は南中ソーラン、よさこいソーラン、エイサー、フラダンス、韓国の踊りなど、色んなものに挑戦しました。とても楽しい時間を共有しました。

北川鉄工所の方と一緒にドレミファフェスティバルへも参加しました。顔にペイントしたりして、暑さも忘れるくらい楽しかったです。また、打ち上げが最高!!病院は女性の職場、鉄工所は男性の職場、お互い珍しいものだからはっちゃけて…

なんとなく私の印象が変わりつつあるのでは?

私の特技のひとつに誰とでもおしゃべり出来る事があります。(これは年齢とともにスキルがあがっています)どこかで話をする機会があったらびっくりされるかも…

以前、中村検査室室長と三郎迫君(同じ検査室同僚)と一緒に勉強会へ行った時の事です。


中村室長

「いつ息してるの?」


だって…ひどいでしょ!
それを家に帰り主人にしゃべったら、「それみてみ、わしがいつも1分黙っといてくれ!と言ってるだろ」だって。

いやいや女子はみんなおしゃべりですよね…

それではお近づきになれた時はお相手よろしくお願いいたします。

臨床検査室 松尾     

2016年2月20日土曜日

第137回 「主人と2人だけの久々の旅行」

家族全員での旅行は、子供が小さい頃は毎年のように出かけておりましたが、子供も大きくなり家族旅行は自然消滅しましたが、主人との2人旅は33年前の新婚旅行と7年前に私の新車で普通車を購入した記念に車で京都に行きました。

今回が2人だけの旅行は3回目となります。

主人が勤めている会社の福利厚生の中の一つに、ダイヤモンドプランというのがあり、満59歳になる社員及びその配偶者を対象に永年の会社への貢献に感謝すると共に、今後の人生設計を考える機会として、海外5泊6日でハワイ、オーストラリア、ニューヨーク、シンガポール、香港の中の何処かを選んで参加するといった制度があります。

一昨年、私が体調を崩し、海外旅行に参加する自身がなく、主人に海外に行きたいのなら、1人で行って来てというと、

「これは永年努められたのも奥さんのお陰と奥さんの労をねぎらうのと感謝の意味も含まれているので、1人では行く意味がない」

と言ってくれ、海外旅行は諦め、国内旅行10万円分の旅行に変更してもらいました。不足分は自己負担でしたが。
旅先を決めようとなった時に 以前主人は、「新婚旅行に行った同じ場所と宿泊した同じホテルに行きたい」と言っていたなと思い出し、まさか・・・・・・・・(私は同じところに行きたくないと内心思っていたもので。)
主人が行きたいところあるなら決めていいよ。と言ってくれ、ラッキーと思いましたが、

いざ何処にしようかといろいろ悩みましたが。合掌造りが見たいと思い、昨年9月にリフレッシュ休暇を利用し、一度行ってみたかった飛騨高山と下呂温泉にきめました。

主人も快く賛成してくれ、旅行会社が新幹線のチケットや宿泊先などを全て手配してくれ、行く場所は2人で計画を立てて、ゆっくりと見学し、宿泊先では豪華な食事に舌鼓、そしてゆっくりと温泉につかりゆったりと過ごしリフレッシュできました。

まだまだ行ってみたい所はたくさんあります。次はどこにしようかな~。


看護主任 桐島

2016年2月13日土曜日

第136回 「情熱と人生を捧げたパロネラ」

2016年も2月に入り、暖冬と言えども一年で一番寒い季節になりました。

2015年11月から寺岡記念病院に赴任し初めての冬ですが、広島でも雪が積もるということにびっくりしました!ちなみに私は東北出身(宮城県仙台市)なので、雪は見慣れているはずなのですが、ついついテンションが上がりました。


ところで、、、私の趣味、生きがいは旅行です。
社会人になってからあまり遠くへは行けなくなりましたが、今でも長期休暇には必ず旅をします。
家族旅行、友達との旅行、女子旅、母娘旅、卒業旅行、一人旅、バックパッカーの旅、留学(ホームステイ)などなど、ざっと数えただけでも海外20カ国以上巡ったのが、唯一の自慢かもしれません。(学生時代私は行き詰まるとよく海外へ現実逃避する傾向がありました笑)
海外に行くと、貴重な経験ができるだけではなく、日本の良さを再確認し、日本人に生まれて良かった~と実感します。





色んな旅をしましたが、今回は特に何かの節目の度に思い出す場所をご紹介いたします。

場所はオーストラリア、ケアンズを約100キロ南に位置する町イニスフェル近郊にある古城「パロネラパーク」です。天空の城ラピュタのモデルになったお城とも言われています。




実は私はこの古城を3回も訪れました。

ここで創設者のホセ・パロネラについて一部パンフレットを引用して説明させていただきます。彼はスペインの田舎町に生まれ、祖母が話してくれるお城や貴族にまつわる話を聞いているうちに、いつか自分のお城を持ちたいという夢を持ちました。しかし、実際は貧困のため学校を中退し働くことを課せられ26歳の時に労働者としてオーストラリアへ移住します。その16年後に彼は熱帯雨林の中で滝を見つけ、ここに長年の夢である城を築くことに決め、42歳の時に土地を購入します。馬鹿にされることも多く、挫折しそうになりながらも強い信念と努力で夢を叶えてゆきます。

建築開始から6年後となる、1935年、パロネラパークは遂に完成しました。

その後も度重なる水害や戦争により一度は閉園まで追い込まれましたが、彼が60歳で亡くなった後も後継者によって再建され現在へ引き継がれたと言います。



このパークのキーワードは「夢」なのですが、うっそうと生い茂る林の中を進んで行くと、突如として遺跡が現れ、苔むした城は本当にムードたっぷりで古代にタイムスリップしたような気持ちになります。遺跡に自由に登ったりさわったりすることができるのも魅力的でした。パーク内を歩いていると、パロネラが実現した夢物語、その夢を受け継いできた人々の思いを感じて、なぜか懐かしいような、そして自分もまだまだ頑張らねばと気持ちが奮い立ちます。



小さい時に抱いた夢を実現させ、城の建設に沢山の情熱と人生を捧げたパロネラ。

私も幼い日に医者になりたいと願い、縁あって脳神経外科の道に進み、理想と現実はかけ離れる一方ですが、今も目下修行中です。たまにはつらいこともありますが、これからも諦めずに信念を持って私も自分の夢を叶えてゆこうと思います。 さて、今年はどんな旅をしようか、、、今から楽しみです!




脳神経外科医 久ヶ澤