2018年6月30日土曜日

第211回 ウォーキング大会参加

第44回50キロ福山夜間ウォーキング大会に参加しました。

2018年2月10日20時に福山市役所を出発し、ゴールである上下町を目指しました。タイムリミットは2月11日12時です。
芦田湖オートキャンプ場ではスタッフの方から豚汁のサービスがあり、小雪まじりの中で食べた豚汁はとても美味しくて元気をもらいました。 
八田原ダムを過ぎると、路面は凍結し、何度もリタイアを考えましたが、大会スタッフの温かい声援や励ましのおかげで、13時間かけて翌朝の9時にゴールできました。
参加人数は500人で、リタイア108人 完歩392人でした。
完歩最高年齢は80歳の男性でした。

凍結した道はとても危険でした


第31回瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加しました。

3月10日・11日の2日間あり、5キロ・10キロ・20キロ・30キロ・40キロのコースがありました。
私は、11日の倉敷市役所から鷲羽山までの30キロコースに参加しました。
1ヶ月前に50キロウォーキングを完歩できていたので、軽い気持ちで参加しましが、意外にしんどくて、リタイアも考えました。 
途中の旧野崎家住宅・熊野神社・デニムの街児島・瀬戸大橋の景色や歴史を楽しみながら歩く大会で、約6時間30分で完歩できました。
2日間の合計参加人数は10,596人でした。


旧野崎家住宅
旧野﨑家住宅(国指定重要文化財)は、江戸時代後期に大規模な塩田を開き、「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門が建てた民家。約3000坪の敷地内には母屋を中心に7棟もの土蔵群が軒を連ねており、庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いをうかがわせます。さらに土蔵の中では、塩づくりに関する歴史的な資料や江戸時代からの民具などを展示しています。


熊野神社
和歌山県紀州熊野本宮大社より、701年修験道の始祖役行者の高弟達が当地に祀る。全国に3800社余りある熊野神社で本宮の昔の姿をこの地のみに残している。神殿は重文、県の重要文化財が連立している。また日本唯一「いじめ除け」の神としての八尾羅宮も境内にあり広く信仰を集めている。


デニムの街 児島
アメリカ産まれのジーンズを日本で初めて国産化したのが児島の街です。


瀬戸大橋
1988年4月に9年6ヶ月の歳月をかけて完成しました。橋の長さは9,368mです。

施設管理課 伊達

2018年6月20日水曜日

第210回 旅行に行こう!

最近、小旅行を楽しんでいます。
雪の季節に友達と白川郷や上高地に行きました。

5月には主人と立山・黒部アルペンルートに行きました。
前日まで雨で天気が悪く心配しましたが、当日は晴天に恵まれました。
澄んだ空気と青い空、雪景色に心洗われる気分でした。
これまでは旅行と言えば車で出かけることが多かったのですが、新幹線や電車、バスの旅は、いろいろな方とお話しする機会もあり、車の旅行とは違い新鮮でした。
立山・黒部はケーブルカー、ロープウエイ、トンネルトロリーバスなどいろいろな乗り物を体験し、景色を堪能しました。
雪の大谷、黒部ダム、立山ロープウエイ、室堂、等々・・・。
1泊2日の強行スケジュールでしたが楽しい旅行が出来ました。

皆様も素晴らしい景色をご覧ください。
看護部 黒田

2018年6月10日日曜日

第209回 私の脳神経外科医としての歩みと脳卒中予防の重要性

 高齢化が進むにつれ、脳梗塞、脳内出血、くも膜下出血など脳の病気にかかる人が増加している。このような病気にかかると、多くの場合、認知機能障害、片麻痺、失語症などの重大な後遺症を残すため、予防に向けた取り組みが重要である。2016年春、鳥取大学医学部附属病院脳神経外科を退職し、社会医療法人社団陽正会寺岡記念病院(寺岡暉理事長)の脳神経疾患治療センター長に就任した。

 東京都出身で、子どものころは弁護士にあこがれていた。しかし文系より理系の成績が良かったため、法学部をあきらめて医学部の道へ進むことを決意した。「合格するはずない」と思っていた東京大学医学部に合格した。試験の出来も悪かったので、合格発表も見に行かなかった。すると別の学部を受験した従兄弟から「合格しているよ。」と連絡があり、漸く合格発表を見に行った。

 せっかく入学した東大だったが、最初の二年間は、教養についての授業ばかりで、自分には必要ないと勝手に判断し、ほとんど学校へ行かなかった。それでも興味のある授業だけは出席し、試験もきちんと受けるなどして、無事に進級を果たした。三年生からは真面目に通学し、外科医を目指すことにした。

 高校・大学ではサッカー部に所属。大学時代にはスキーにもはまり、本気でスキーのインストラクターになろうと考えていた。「本業インストラクター、副業で整形外科医」と。しかし、サッカー部の友人の勧めもあって、最終的には脳外科医の道を選んだ。

 卒業後は都立墨東病院、東大医学部附属病院などで勤務。1987年に鳥取大学医学部へ。当時の東大脳神経外科教室の教授から鳥大に行くかアメリカに留学するかを迫られ、二、三年で東京に戻るつもりで鳥取行きに決めた。それなのに、まさか三〇年近くも鳥取にいることになってしまった。

 1990年からの二年間、スウェーデン王立カロリンスカ研究所の生化学教室に留学した。まったく臨床から離れた基礎医学の世界である。冬のスウェーデンは10時ごろ夜が明けて、14時ごろには日が沈む。昼間の時間は短くて暗い気持ちになるし、食事も口に合わないし、日本に帰りたくてたまらなかった。手掛けていた研究の成果もなかなか出なかった。日本人は困っている人を見ると手助けするが、スウェーデンの場合はお国柄なのか、余計なことを言う人はいなかった。そういった「大人の対応」のおかげで、自分自身で何とかしなければならないことを悟った。研究のやり方を変えて漸く結果を出すことができた。

 再び鳥大へ戻り、1999年に同大医学部教授に就任。高次脳機能障害(主に脳の損傷によって起こされるさまざまな神経心理学的障害)外来の設置や、高次脳機能障害支援の拠点病院となるなど、高次脳機能障害の診療に携わった。

先手必勝をモットーに
 寺岡記念病院ではこれまでも脳ドックを実施していたが、今後さらに力を入れていく方針である。鳥取県の米子市より、高齢者の多い地域なので、まずは脳ドックの内容や必要性を多くの人に知ってもらいたい。脳の病気はほとんど自覚がなく、突然起こるイメージだが、発症リスクは知らないうちに少しずつ高まっている。定期的に検査を受けることで、早期に発見できる可能性が高い。現在、毎週火・木曜に行っている脳ドックの人数を増やし、脳卒中発症数を少しでも減らせればと考えている。また同病院のホームページなどでも脳ドックの重要性について詳しく紹介している。さらに勤務している医師についても、プロフィールなどの情報を出している。検査も治療も「先手必勝がモットー」。たばこを吸う人や高血圧の人などは、ぜひ受診を。それぞれの生活習慣に合わせ、予防に向けた指導を行う。

 忙しい毎日だが、趣味のドライブでリフレッシュを計る。車の運転が好きで、鳥取─福山間はもちろん(約30年続けた)、鳥取─東京間を一人で休みなく運転しても苦にならないほどである。時間があれば、以前より車で旅したヨーロッパ各地を再度車で旅したい。日本だと、京都、山口県萩市や島根県津和野町あたりへまた出掛けたい。

 今後は一般向けの医療講演会などを開催し、検査の必要性や病気の予防法などを呼び掛けたい。当院の強みは、岡山大学、東京大学、鳥取大学、広島大学などとの連携がしっかり取れていること。場合によっては各大学の専門の医師を呼んで治療や手術もできる。そういった連携を生かしながら、地域医療に貢献していきたい。

脳神経疾患治療センター長 渡辺高志

本文章は「ビジネス情報 平成28年7月10日号」の記事を一部修正し、掲載しています