2013年2月28日木曜日

第33回 「0系新幹線ラストラン」

特に印象に残っている旅があります。
2008年12月14日の新幹線旅です。車・鉄道の事などよくわからないのですが・・・。
この日のチケットは発売開始からなんと数時間で
ソールドアウト。キャンセル待ちでやっと手に入れた博多発の新大阪行きのラストランの切符でした。






「0系新の最後の運転に立ち会い,新幹線ごときに引退式?どんなものなんだろう」というくらいの軽い気持ちでした。

しかしそんな気持ちは吹っ飛び、

な・な・なんとカメラを手にした人・ひと・人・ものすごい人!!!



物々しい警備、拡声器の声、歓声、新幹線を見つめながら懸命に手を振る人、敬礼をする人があちこちで見られました。


ラストランの0系が通過した後の構内に響き渡る拍手。

それまでの自分の知っているホームとは大違いの光景でした。それはまるで別世界に迷い込んだ様な感覚でワクワクしてきます。

「プゥワァーン」

警笛や笛の音・・・余韻のあるレトロな響き・・・

博多を出発し見慣れた広島駅。
0系到着のホームにずらっと一列に整列し最敬礼で迎え見送るJR職員・保安員・清掃員の方々・・・ゆっくりとホームに入ってくる0系が警笛でそれに応える。

感動的な場面でした。

新大阪に到着!プラットホームでは厳粛な式典が物々しい重装な警備の中で行われ、「てつこ」「てつお」鉄道マニュア?人・人・そして人でホームは埋め尽くされていました。

戦後復興の立役者となり、ひた走りに走ってきた0系新幹線・・・ご苦労様。



たくさんの人に愛されていた0系に卒業式にて我が子を送り出すような気持ちになり、感動して涙がじゅわーっとこみあげてきて止まらなかった事を、今も忘れられません。

家に帰ると、テレビの特集で0系のラストランが報道され、新たな感動に慕っていると・・・、ある日、着払いで大きな箱が届きました。

そこにはなんと1/45縮尺の0系新幹線車両模型と高額の請求。

!?!?!?!?!?!?

夫が嬉しそうにニヤリ・・・

我が家では時々0系の「プゥワァ~ン」という懐かしい警笛音が鳴り響いています。

栄養管理室 湯藤

2013年2月20日水曜日

第32回 「私の看護発祥地」

私が看護を学んだのは、瀬戸内海に面した町“呉”です。

呉は造船業で栄え、あの悲運の戦艦「大和」を造った町です。明治37年呉海軍工廠職工共済会病院の創立と同時に看護師の養成を始めた私の母校は、なんと今年で108年を迎える歴史ある学校です。 

“呉共済病院看護専門学校”での学びが、
私の看護の原点です。 







私が入学した当時は、3階建ての古い寮の上に増築された建物が校舎でした。
1年生はしばらく学科だけで、8時間の授業は体育会系の私にとっては地獄でした。1日の授業が終わると教室・トイレ・実習室の掃除があります。
担任の先生が窓の桟を指でこすり、

「まだ汚れとるよ!きれいにしんさいや!」

「そこに髪の毛が落ちとるじゃないね!」

と一喝。
そんな教務の先生は厳しかったけど愛情がありましたね。

1年生の1学期が終了する頃、初の病棟実習です。
この頃は戴帽式がまだ済んでいないため、実習着はなく、白い診察着を着て、頭に白い三角巾をターバン様にまいた姿で実習です。髪の毛が少しでも出てはいけません。想像できますか?
“たこぼうず”と私たちは言っていました。 

戴帽式後は実習が徐々に増えていき、症例が終わるごとに症例報告をまとめる繰り返し。精神科実習、事業所実習、夜勤実習、母性実習も加わり、お産の立会もさせてもらいました。会陰切開を初めて知り、その場で絶対子供は産まないと誓った私は、3回の出産を経験しました。

晴れて、看護師免許を取得した私が配属されたのは、元結核病棟で、院内で最も古い木造2階建ての病棟でした。終末期の患者あり、検査入院の患者あり。あの当時、腎生検は病室でしていました。深夜勤務での採血は山ほど、ICG,PSP、GTTなど同じ日にあれば、タイマーをかけて走り回っていました。患者が急変すると研修医をまず呼びます。挿管やら血管確保やら、未熟者同志で一生縣命処置をしていましたが、いろんなエピソードがありました。忙しかったですが充実した毎日でした。

プライベートも充実していました。
英会話・ジム・ジャズダンス・お花を習い、フィリピンへの研修旅行に参加。夜勤明けでチーズバーガーを食べながら映画を観る。行きつけのスナックでマスターが機嫌のいい時にしか聞かせてくれない、ギターの弾き語り「ダスティホフマンになれなかった」に聞きほれる。飲み会の帰りに屋台でラーメンを食べ、サンデーサンでアイスクリームを食べながらもりあがって帰る。次の日はもちろん仕事です。パワフルでしたね~。とにかく楽しかった!

そんなこんなの毎日でしたが、仕事が辛いと思ったことは一度もありませんでした。
今思うと、職種間での人間関係が良く、チーム医療ができていたからかなと思います。

呉での6年間が私を成長させてくれました。

呉共済で看護を学べたことが私の誇りです。
看護師長 門田

2013年2月12日火曜日

第31回 「バロックとJazzが出会ったら」

脳神経外科の井林です。

スタッフ個人情報開示コーナーということで、自分の好きな音楽について紹介させて頂きます。
実はクリスチャンである私は、小さいころから教会に通っていたので教会で演奏される音楽(教会音楽)にはかなり慣れ親しんで育ちました。ただ、ばりばりのパイプオルガン曲などを鑑賞するようになったのは大学生のころからでした。バッハをはじめとしたバロック音楽の、メロディーラインがつきつぎと重なりながら奏でてゆくハーモニーを聴くのはとても心地良く、はまってしまいました。さてそれでは、バッハを演奏する人たちをはじめ、自分のおすすめの演奏家を紹介します。

上段左端のTon Koopmanは私の好きなオルガン奏者です(チェンバロも弾きます)。おすすめの一曲はTrio Sonata BWV 530です。非常に美しいです。
続いて上段真ん中のAndras Schiff。幼少時にピアノでバッハの平均律Inventionsなど練習された方も多いと思いますが、彼のピアノ演奏は堅実できっちりした感じが好きです。

それに比べて上段右端のGlenn Gouldは購入したCDに鼻歌交じりの演奏が録音されており、衝撃を受けましたが、好きです。スピードが速くて個人的なは少し疲れます(笑)。

さて、バッハ奏者から一呼吸おきます。

社会人となり社会の厳しさを知るようになってから、Jazzが好きになりました。いわゆるアルトサックスなどの木管もとても音色に趣きがあって好きなのですが、今回は鍵盤シリーズということで、下段左端のBill Evansを紹介します。
彼のピアノトリオは非常に美しく、哀愁あるAutum leavesを初めて聴いたときは泣きました。彼は少し精神的に病んでいたようですが、そんな脆さが感じてとれるような、fragileな美しさのある曲が多いです。

と、ピアノトリオのかっこ良さに酔いしれていたとある日、出会ったのが下段真ん中、Jacques Lousseirです。

彼はバッハをはじめ、さまざまなクラシック音楽をJazz風にアレンジしてトリオとして演奏しています。有名な「主よ人の望みの喜びよ」やPartitaのjazzyな演奏を聴いて、こんな音楽があったのかと感嘆しました。バロックとJazzが合うなんて想像したことがありませんでした。アルバムJacques Loussier plays Bachなどおすすめです。(ちなみに彼のカバーしたショパンの夜想曲もかなり半端ないです。)みなさん是非聴いてみてください。

以上で井戸端情報を終えますが、下段右端がバッハですね。カツラのようです。彼の音楽は彼の没後評価されるようになったらしく、同時代で活躍したヘンデル(ハレルヤコーラスで有名)などとは対照的だそうです。そのことを聞くたびに、信念を持ち続けて堅実に仕事をこなすことの大切さを感じさせられます。カツラ以外は見習ってゆきたいです。

脱線しました。

疲れた一日を終える前に、良質の音楽をのんびり聴く時間が、私のささやかな幸せとなっております。まだまだ勉強不足なので、皆様からもぜひおすすめの一枚を教えていただければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。

脳神経外科 井林