2014年12月30日火曜日

第97回 「温もり。」

寒くなってきました。

こんな季節に恋しくなるモノ。。。


  • 温泉

  • こたつ

  • ホットコーヒー ・・・


そして、忘れちゃいけない 「ユニクロのフリース」 (笑)

ユニクロのフリースは意外と歴史があり、今年でナント発売20周年!!

カラバリ豊富で、デザイン性も高く、高機能!(決してユニクロの回し者ではありません。)

20代の頃には「寒さ」とは無縁だった自分も年を重ね、今ではユニクロのフリースが必需品・・・。

クローゼットでの永い眠りから目覚めたユニクロのフリースが、今年も冷えきったココロとカラダに「温もり」を与えてくれるでしょう。

最後に・・・

フリースとは関係ありませんが、僕の密かな楽しみだった少年ジャンプの

連載マンガ「NARUTO―ナルト―」

が連載15年でついに完結!

15年間の連載ってスバラシイ!

長年楽しませてくれて本当ありがとう!!

薬剤科 深川

2014年12月20日土曜日

第96回 「私のアイドル」

寺岡記念病院に勤務し始めて、30年が過ぎました。

毎日毎日、忙しく仕事をしていたなぁと思います。

多くの方々に支えられて、今日があると感謝しています。


昨年体調を崩し、6ヵ月仕事を離れていました。

体調も良くなり職場に復帰しましたが、毎日が不安で、自分自身仕事をこなすのが精一杯でした。

そんな中、まだ若い?私ですが・・・(笑) 実は、岡山県に孫が住んでいます。

なかなか会うことはできないけど、

『寝返りができたよ♪』

『一人でお座りができるようになったよ♪』

『歯が2本~4本はえたよ♪』

と聞かされ、実際に会うとほんとだ!すごいな!

子供の成長は、とても早いものだなと感じています。

赤ちゃんであっても良いこと、悪いこと、分かっており、逆に私たちが成長させてもらっています。

2014年9月21日 初孫 颯斗君1歳の誕生日会をしました

いろんなことが出来るようになり、『バイバイ・踊ったり・片言を喋ったり』とっても可愛いです♥♥♥

一升もちは重くて背負えなかったけど、一人で立ち1歩・・2歩・・歩きました(*^_^*)

颯斗君の可愛い笑顔に元気をもらって、毎日仕事・家事頑張っていきたいです。


たくさん食べて大きくなあれ~



看護師 中畠(外来)

2014年11月30日日曜日

第95回 「趣味」

みなさんはどんな趣味をお持ちですか?

私の趣味、それは「バレーボール」です。

私がバレーボールを始めたのは中学校からで、高校、大学を経て現在まで細々と続けています。

現在は9人制をしており、6人制とのルールの違いと、体力の衰えに苦戦を強いられながら、

汗を流しています。

ポジションは一応アタッカーをしています(笑)

週1回の練習や試合、飲み会などメンバーと和気あいあい頑張っています。

興味のある方お待ちしています。


さて私の話は置いといて、広島にはJTサンダース、JTマーヴェラスという男女のバレーボールチームがあります。

11月22日、23日にVプレミアリーグが福山にやってきます。(この記事が載るころには終わっていますが…)

男子のJTサンダースの試合を、ローズアリーナで見ることができます。

迫力あるプレーを間近で観戦できますよ。

今後も各地で試合が行われますので、気になる方は足を運んでみてください。

広島県内でも試合があると思いますよ。

詳しくはホームページなどをご覧ください。

近年男子バレーボール人気が低迷気味なので、また人気が出でほしいなと思っています。


放射線室 川ノ上


2014年11月20日木曜日

第94回 「休日の出来事」

先日、職場の人と一緒にBBQを開催しました。

天気もよくて、とても楽しく過ごせた時のことをお話ししま~す(^○^)

もちろんお肉を焼いてくれたのは、将来居酒屋の大将「☆☆☆」が担当です。

焼き鳥を焼く姿なんて、

「大将!! 今日のおすすめは?」

と、声をかけたくなる雰囲気を醸し出してました。

お肉をたらふく食べた後は、やっぱり・・・甘いものが欲しくなります。

マシュマロを竹串に刺し、クルクル焼くと、超甘くておいしいですよ~ 。

お腹も満腹になり、ちょっと散歩へ。


お山の中のお宅で開催されたので、周りは自然がたくさん。。。 

BBQ中、お庭に小さなトカゲが登場したんです。

踏まれたら大変!!

と、「❤❤❤」ちゃん手のひらにのっけて救出。。。

すっご~い!(^^)!

みんなで自然探索へGO~!!

天気が良くて池をのぞくとこんな感じ~。




とても楽しい一日でした。 


看護師 安井(本館2階)
         

2014年11月10日月曜日

第93回 「猿の惑星」

【「猿の惑星」と私】

以前、「てらおか井戸端情報」(第55回 参照)でも書いたが、私は猿が人になっていった人類の発生について研究をしている。

小坂といえば類人猿、類人猿といえば小坂である。

類人猿は、「人」、「チンパンジー」、「ゴリラ」、「オラウータン」の4種類である。
これを2つに分けると、人(human)と猿(ape)である。これはフランスのSF作家であるピエール・ブール(Pierre・Boulle)が書いた「猿の惑星」(1963年発刊)でも同じように分類している。1968年に、彼の小説を映画化したのが、20世紀フォックス配給の「猿の惑星(Planet of the apes)」である。

この映画は私にとって刺激になった。
その後、「猿の惑星」は「続・猿の惑星」、「新・猿の惑星」、「猿の惑星・征服」、「最後の猿の惑星」とシリーズ化したが、1973年からは途絶えていた。

それから、38年経った2011年に「猿の惑星・創世記(ジェネシス)」が上映された。

1900年代の作品を前半、2000年代の作品を後半に分けて比較してみた。



【前半と後半の「猿の惑星」の比較1(ストーリー)】

「猿の惑星」のストーリーは、ANSA(アメリカ国立宇宙管理局・現実のNASAに相当する組織)がロケットを打ち上げた。そのロケットは地球に戻ってくるように設定されていたが、ある惑星に不時着してしまった。その惑星では、猿が人を支配していた。テイラーという主人公(チャールトン・ヘストン)は人に友好的な猿の手助けを借りて、猿の軍隊から逃れ、禁断の地に行ってみる。テイラーがそこで見たのは、砂に埋もれた自由の女神であった。すなわち、猿の惑星は地球であった・・・というものである。

このラストシーンはあまりにも有名であり、小生にとっては、衝撃的であった。

後半の「猿の惑星(・創世記)」は、ウィルという科学者がアルツハイマー病の特効薬のワクチンを開発していた。猿に投与すると賢くなり、どんなゲームでもクリアしていく。しかし、人体実験には至っていなかった。徐々に悪化していくアルツハイマー病の父親をもつウィルは、父親にワクチンを注射してみる。すると父親のアルツハイマー病は改善し、音楽教師であった父親はピアノを上手に弾けるようになる。しかし、それも束の間で、また、アルツハイマー病が悪化する。再度、ワクチンを父親に注射すると、父親は死んでしまう。

さらに強力なワクチンを開発し、猿に投与するとさらに賢くなる。これを吸引した人は血を吐いて死んでしまう。これが、人から人へ感染し、全世界に感染は拡大する。

人が死んでいくシーンはないが、映画の最後に、出演者紹介の文字のバックに、感染の拡大を、飛行機に乗って世界中に飛び散る様を光で描出している。

一方、作家のピエール・ブールが第二次大戦中、インドシナで日本軍の捕虜になったことがある。「猿の惑星」の猿を日本人(イエローモンキー)に見立てて小説を書いたという説もあるが、定かではない。



【前半と後半の「猿の惑星」の比較2(猿が地球を支配している理由)】

前半の「猿の惑星」は核戦争によって人が滅亡し、とってかわって、猿が地球を支配していった。すなわち、人が戦争で、同じ人を殺害している間に、猿に地球を乗っ取られたと思わせている。

後半の「猿の惑星」は人が作りだした薬によって人が滅亡し、逆に、実験に使われた猿が賢くなって繁栄する。

SARSやエボラ出血熱が飛行機に乗って世界に伝染する様を描出し、現代の人に忠告しているようだ。



【前半と後半の「猿の惑星」の比較3(猿の表情)】

前半の「猿の惑星」では、特殊メイクが有名で、メイク担当のジョン・チェンバースがアカデミー名誉賞したことは覚えている。喜怒哀楽の表情はそれなりのものがあった。

後半の「猿の惑星」はCG(computer graphics)を駆使している。猿の顔の表情が詳しく理解できる。特に、ラストシーンの怒った猿(ブルース)の顔は怖いものがある。



【ついに「猿の惑星」か】

先日、50才代の男性が猿に咬まれて救急で運び込まれてきた。右示指・中指・環指・小指が伸展できなかった。傷は右前腕に2つあり、腱が見えていた。よくみると、手首の近い方の傷で伸筋腱が完全に切断されていた。2つの傷を継いで視野を広くして4本の伸筋腱を縫合した。

ついに、「猿の惑星」が来たかと思ったが、動物園の飼育員が興奮したテナガザルに咬まれたことが分かった。そして、猿にも犬歯があることを知った。

そして、私の類人猿の研究はまだまだ続く。



【最後に】

後半の「猿の惑星」のセリフに「猿は猿を殺さない」というセリフがある。確かに、ゴリラやオラウータンは平和主義である。しかし、チンパンジーは攻撃的で、リーダーは自分のグループをかばうが、他のグループのリーダーを噛み殺したとの報告もある。 

なぜ、猿が武器を得、人を支配下におくかは「猿の惑星・新世紀」で理解できるが、現在上映中のため、記載しないほうが良いでしょう。映画をみてのお楽しみにしましょう。


副院長 小坂(整形外科)

2014年10月30日木曜日

第92回 「鯉に恋して」

『広島県人の合言葉、

   野球はやっぱりカープ、
  
      車検はやっぱり車検の速太郎じゃろう』


我が家では聞きなれたフレーズなのですが、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか?

カープファン歴はや10年以上!!
カープ女子のパイオニアだと自負しております!!

カープを好きになったのが、10歳のころ。
今季で退かれる監督の野村謙二郎さんは、まだ現役でした。投手陣は佐々岡さん、黒田さん、高橋健さんらが活躍し、野手陣では江藤さんや金本さん、次監督の緒方さんらがいらっしゃいました。
父親の野球好きがきっかけで野球を見るようになり、さらには10歳で少年野球クラブに所属しました!!(女子は私以外にはいなくて、紅一点でさみしかったのですが…)
8番(時折9番)レフトと微妙なポジションでしたが、休日には父親とキャッチボールしたり、ノックしてもらったりととても楽しい野球ライフでした♪

当時は10歳ながら前田智徳のサインを欲しがるような渋い子供だったと母親から聞いています(+_+)
さらには、将来の夢で『広島市民球場のボールガールになりたい。もしくは投手交代時ブルペンから車を運転する人になりたい』と言い、母親にあきれられたものです…。(広島市民球場時は外野のブルペンから次投手が車に乗って登場していました。実際に今でもグランド整備でもしたいと思いますし、始球式をする人を羨望の眼差しで見ております)

当時はまだ福山市民球場で年1回公式戦があり、グローブを持参して両親に連れられてよく見に行ったものです。

ちなみにカープは1984年に日本一、1991年にリーグ優勝しておりますが、1991年当時私は3歳だったので記憶にはありません…。

今年こそは!!と思っていたのですが残念な結果に終わってしまいましたね(/_;)

FA制度が承認されてからは黒田さん、江藤さん、金本さん、新井さん、大竹さんなど主力が引き抜かれ、資金難のカープにはたくさんのつらいお別れがありました。(今年は梵さんも噂されていますが…)

広島市民球場がなくなり、マツダスタジアム設立の際に樽募金があり、わずかながらに協力させてもらったりといろいろと思い入れのあるカープですが、12球団の中で一番優勝から遠ざかっているというさみしい現実…。

マエケンのメジャー挑戦がおそらく来季終了後になるので、来季は緒方新監督のもと優勝めざしてがんばってもらいたいものです!!もちろん応援もがんばります!!


最後になりましたが、最初に書いたフレーズ!!

我が家ではTVでカープ中継がない日はラジオ中継を聞きます。そのラジオCMで耳にタコができるくらい流れるのが上記フレーズです。決して車検の速太郎の回し者ではないのですが、どうしてもこのフレーズが頭から離れないのです…(-_-;)

リハビリ室 赤繁

2014年10月20日月曜日

第91回 「My Favorite♡」

私はスポーツが好きで、中学では「ソフトボール」、

高校では「ソフトテニス」をしていました。

今は、旦那&息子二人がサッカーをしているのもあって、

私もサッカーをしています!!!

サッカー日本代表の選手のような技術はもちろんありませんが・・・(笑)

小5の息子が入っているサッカー部のお母さんたちで、

近くの体育館で汗を流しています\(^o^)/

話は変わりますが、私のお気に入りはジャニーズの


『嵐』です!!!♡♡


相葉ちゃんの可愛さにいつもメロメロになってます(照)

ちなみに・・・・・・、中3の娘は、

「Hey!Say!JUMP」


Jr.の「岩橋玄樹くん」

が大好きで、いつもTVの前でキャーキャー言ってます(*^_^*)

そんなことはさておき、相葉ちゃんのかわいい笑顔を見るたび

仕事の疲れがふっとんで、HAPPY♡!!!になれるんです!!!


これって・・・・、恋なんでしょうか???(笑)


やっぱり、ジャニーズっていいですねぇ~。

みなさんは好きなアイドルいますか???

私のお気に入りはまだまだありますが紹介はここまでにしときます。

・・・でもやっぱり家族といるときが一番お気に入りの空間です♡♡♡(#^.^#)

看護師 森川(本館3階病棟)

2014年10月10日金曜日

第90回 「秋なので、城下町津山の観光スポットなどご紹介」

朝の空気がひんやりとして、金木犀のやわらかな香りが漂う秋になると、3回目の「てらおか井戸端情報」の順番が回って来ました。どうも私は秋の担当らしいなぁ(笑)。

今回は、以前に住んでいたことのある、岡山県の北東部にある城下町津山の観光スポットなどをご紹介してみます。津山城の東、「城東伝統的建造物群保存地区」には、城下町のしっとりとした町並みが保存されています。

B’zの稲葉浩志さんの故郷としても知られる津山は、山々にかこまれた緑の多い盆地の町で、中央を西から東に、岡山三大河川の一つ、吉井川が流れています。

吉井川は、津山の西隣の苫田郡鏡野の三国山に源を発し、奥津渓(おくつけい)、津山を経て、岡山県の東部を北から南に流れ、NHK大河ドラマ黒田官兵衛ゆかりの地、通称「備前福岡」、岡山県瀬戸内市長船町福岡地区の方へ下ってゆきます。

津山の秋の紅葉の名所は、津山城の鶴山(かくざん)公園、衆楽園(しゅうらくえん)、横野滝(よこののたき)、少し離れて奥津渓が知られています。

では、津山駅前から出発して、北に伸びる道路に沿ってご紹介を始めます。

駅のすぐ北にある今津屋橋(いまづやばし)で、まず、吉井川を渡ります。

津山では、川に住むというカッパをごんごと呼びます。夏に善良な市民がカッパに扮して踊る、津山納涼ごんごまつりが、今津屋橋北のごんご通りの商店街で開かれます。歩道にはごんごのモニュメントもあり、自然と町の調和を感じさせてくれます。

通りをさらに北上してなだらかな坂道を登って、大手町の交差点を右折すると、平成17年に備中櫓(やぐら)が再建され、日本さくら名所100選に選ばれている「津山城の鶴山公園」の登り口に着きます。お城の見上げるような石垣と、その石垣の上に一面に咲く桜は、壮大な景色で、春はたくさんの観光客や酔っ払いで(笑)にぎわいます。

また、その登り口には「つやま自然のふしぎ館」があります。世界の希少動物のはく製や化石などがびっくりするほど大量に展示されています。まるで、本の図鑑が現実になったような不思議な感覚です。めったに見られないので、必見です。

その隣の建物の「津山郷土博物館」には、「東京スカイツリー」の展望デッキにレプリカが展示されているという、津山藩のお抱え絵師の鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が文化6年(1809年)の江戸時代に、まるで東京スカイツリーから眺めて書いたような、江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ)、の実物があります。江戸時代を代表する新しい都市景観図の傑作として高く評価されているそうです。現在はレプリカ展示ですが、平成26年11月6日から11月30日の期間は、実物が展示されます。屏風ですから、かなり大きいですが、コンパクトなレプリカは500円で販売されていますので、お土産にいいかもしれません(笑)。その他、埴輪(はにわ)、銅鐸(どうたく)から、黒田官兵衛、羽柴秀吉の書状など、幅広く展示されています。

さて、駅前の通りに戻って、北上すると、津山高校付近を過ぎ、津山商業高校のある山北の交差点を右折すると「衆楽園」という旧津山藩別邸庭園があります。お隣の津山商業高校のグラウンドの約2倍の奥行を持つ園内は、南北に長い池に4つの島があり、曲水もあり、落ち着いたたたずまいで、池の周囲に歩道が整備され、春は桜、夏は睡蓮、秋は紅葉が素晴らしく、しかも無料(笑)。ぜひ、お勧めしたい庭園です。
 山北の交差点に戻り、駅前の通りをさらに800mくらい北上すると、中国自動車道の高架の手前に「つゝや」という、津山では有名な、五大北天(ほくてん)まんじゅう(10個500円から)のみを売っている和菓子屋さんがあります。平らで丸くて、外はつるっとしていて、中は黒糖生地でしっとりした蒸しパンのような柔らかさで、こしあんも入っていて、他にありそうでない、くせになる(笑)、とてもおいしいおまんじゅうです。このおまんじゅうを食べながら、「衆楽園」散策もいいかもしれません。

ここからは、津山の郊外になるので、車移動となります。

さらに駅前の通りを2kmほど北上して、吉井川の支流である横野川を渡って右折して、丘を登ると「グリーンヒルズ津山」に着きます。ここにあるグラスハウスという繭(まゆ)を半分に切ったかのような、ガラスが印象的な温水プールは、ジャグジーもあり、雨天でも雪でも、楽しめます。周囲の芝生も広々としていて、丘の上に吹く心地よい風を感じることができます。

 横野川を渡って右折せずに北上すると、コンビニのセブン-イレブンの手前に「麺屋大輔(めんやだいすけ)」というラーメン屋さんがあります。とんこつラーメンと塩ラーメンのお店です。とんこつラーメンは、見事に乳化したスープが胃もたれもしない素直なコクとうまさで、麺の湯で加減もよく、満足できます。

 さらに、「麺屋大輔」を過ぎて2kmほど北上すると、津山の奥座敷の「横野滝(よこののたき)」に着きます。夏は「もみじ亭」のそうめん流し、秋は紅葉がきれいで、横野は和紙の里でもあり、金箔をはさむために使う箔合紙という薄い和紙が特産品だそうです。暑い夏に、つめたい水でのそうめん流しは、大人気です。

津山から少し離れますが、もう少しご紹介を続けます。

津山から少し西、中国自動車道の院庄(いんのしょう)IC(インターチェンジ)から、国道181号線を西に向かうと、個人手作りの高さ7mのZガンダムのモビルスーツが置かれている「道の駅 久米の里」があります。ここには、とても大きく、甘い(笑)ピーマンのジャンピー(ジャンボピーマン)の入った仙人うどん、仙人そば、津山ホルモンうどんがあります。仙人うどんにはジャンピーの天ぷらが乗っていて、ピーマンの概念が変わるおいしさです。

院庄ICから、国道179号線を北に向かうと、吉井川の渓谷と、渓谷に沿った紅葉のトンネルが素晴らしい「奥津渓」と、その中に、吉井川の渓谷を窓辺に見ながら入浴できて、家族風呂もある「大釣(おおつり)温泉」があり、お勧めです。

津山は秋も良いところです。

ぜひ、足を延ばしてはいかがでしょうか。 

第二内科部長  松本

2014年9月30日火曜日

第89回 「沖縄LOVE」

今から何年前でしょうか・・・、子育てが一段落し少し時間に余裕ができたこともあり、リフレッシュ休暇を利用して女子3人で初めて沖縄旅行に行きました。

職員の弟さんが旅行会社に勤めておられたので、お奨めのツア-を探していただいて、有名な観光名所はほとんど巡り、料理もとてもおいしくて天候にも恵まれ楽しい旅行になりました。

その時から沖縄が大好きになり、年に一度、家族や友人を誘って沖縄に行くようになりました。

ハプニングもありました。

主人と行った時は、台風直撃で3日間ホテルに缶詰めとなり、挙句に帰りは広島空港に着陸できず、福岡空港に引き返し夜中に到着。博多祇園山笠最終日で、ホテルが満室。やっと一部屋確保、疲れた-。

又、父を誘って石垣島へ行った時、初めてダイビングに挑戦したら、スポットに行くまでに船酔いしてしまい、嘔吐をしながらのダイビング。その日から2日間食事ができず、迷惑をかけた苦い思い出も。

今年は、連れがいなくて、一人で行きました。
レンタカ-を借りて、気の向くまま名所(琉球村、ビオスの丘等)をめぐり、プールで泳いだ後、沖縄料理をたらふく食べ、リフレッシュしてきました。

観光名所は数限りなくありますが、美ら海水族館、ビオスの丘、おきなわワ-ルドの「ス-パ-エイサ-」が特に好きです。


一部加工しています


きれいな海を眺めているだけでも癒されます。

是非沖縄へ一度行ってみてくださいね。

医事課 内田

2014年9月20日土曜日

第88回 「私の愛するもの」

日々仕事と家事、育児に追われている今日この頃。

私のストレス発散、生きる楽しみ?(大袈裟ですが。。)は、嵐を見る事です。

嵐ってアイドルのです。

「いい歳して・・・」

と、母親に言われたり、子供や夫には半分呆れられたりしていますが、私は大好きなのです。

二宮君を見たのは、イメージキャラクターをしてバレーのコートで笑顔を振りまき歌い、踊っていました。その頃は私も20代半ば。「かわいいな~」と興味本位でCDを買いバレーボール前に歌っているところを見るくらいでした。

結婚、出産、育児、仕事と30代になり余裕が出た頃、ふと10周年を迎えた嵐を見るとやはり二宮君がキラキラしているのです。恋が再燃したかのようにそれからは誰がなんと言おうと、「嵐」 なのです。二宮君押しですが。。。

毎年のようにコンサートに行き(当選すればですが)二宮君を見て興奮しています。

昨年のコンサートでは近すぎて足の力がなくなり、声にならない声?しか出ず夢のような時間を過ごしました。なんとも言えないかわいい顔、わたしはかなりの面食い、そう元々ジャニーズ顔が好きなのでしょう。光ゲンジに、はまった記憶があります。

DVDを見ると、最後まで見てしまい夜中になる事もしばしば。それでも朝はすっきり起きれるのです。ストレス発散なんだな~。

なかなかチケットが取れない嵐ですが今年も参戦するためコンサートチケット予約をエントリー中です。これでチケットが取れないと私の生きる楽しみがなくなってしまいます。どうかどうか当たりますようにと日々祈っています。ボーっと物思いにふけっている私を見たら病だな。。。と思ってください。

皆さんは好きなアイドルは誰ですか?恋をすると元気になりますよ~(^_^)/

看護師 江本

2014年9月10日水曜日

第87回 「変換間違いと、この星の未来」

「よそ卯に半紙て、実際庭上しょう市て居た。」

一昔前は、パソコンのこのような変換間違いは日常的なものであった。
その度に、あ~バカ!とか言いながら直したりしたものだ。

「実際には上昇していた」

という文言が、

「実際庭上しょう市て居た」

に比べて正しいという判断は、人間ならではのものだった。
機械は単語を真面目に漢字変換しているのであって、意味までは理解できない。

そう、一昔前までは、そうだった。

今のパソコンで、ここまでの間違いをする物はないだろう。数文字入れればたちどころに文章単位で予測し、変換候補を提示してくる。その候補も、最近使用した単語や文章を学習しもっとも確度の高い予測を提示する。iPhoneのsiriに、

「今何時?」

と話しかければ瞬時に時計を表示し、

「7時15分です」

と返答する。

「福山駅を検索して」

と言えばwebの検索結果をすぐに提示する。

「暇だ」

と言うと、

「楽しんでいただけるように何か考えてみます」

と。

これらの機能は全て、帰納推論という概念に基づいたコンピュータの自己学習によるものだ。この概念は人間の思考に類似した多くの学習アルゴリズムの総称でかつ、非常に複雑な数式が無数に組み合わさっており我々一般人には理解しがたいが、厳然たる事実としてコンピュータは自ら学習し、進化する能力を獲得しつつある。

ジョニー・デップ主演の映画「トランセンデンス」が6月に公開された。
人間と同じ思考ができる人工知能が暴走し、世界を大混乱に陥れるというストーリーである。コンピュータは眠らず、休憩も要らない。インターネットに接続すれば瞬時に世界中の情報を手の内にできるという訳だ。さらにその情報を基に学習と進化を続ける。

現実世界でも現在、世界中の名だたる研究機関や企業が高度な人工知能の開発に血眼になっている。実際に投入されている予算と人員は莫大で、人間と同じ思考や会話ができ、感情も理解する人工知能の完成まで数十年という見方が大勢だ。個人的にも、50年はかからないだろうと思っている。さらに人間の脳そのものと、コンピュータの回路をつなぐ基礎研究も進んでいる。人間の脳とコンピュータが一体化するのだ。こちらはもう少し時間がかかるかもしれないが、100年はかからないだろう。

そんな未来が実現した時、私達人類と機械の関係はどうなっているのだろうか。未来のコンピュータはきっと、猛烈に頭がいいだろう。だから物を覚えたり、計算はコンピュータの仕事になる。では企画の立案や文章の執筆などは?これに関しても、ほぼ無限の情報を基に、恐ろしくよく練られたものを一瞬で作成するだろう。ニヤッとさせる、流行のジョークなども入れてくるかもしれない。では話し相手はどうだろう?これも同様だ。今年6月米国で行われたチューリングテスト(人工知能を見破るテスト)大会で、人工知能「ユージーン」と会話した人間は、会話の相手がコンピュータである事を見破れなかった。



では芸術は?人間らしい感情や感性は?恋愛は?これらに関しても、情報学者達の答えはイエスである。コンピュータでも可能になると。理由は、人間の脳も生まれてから得た情報や経験の組み合わせで新しい発想や感情を組み立てており、脳の思考アルゴリズムをコンピュータが模倣する、または模倣するように学習させるアルゴリズムができれば、早晩コンピュータも人間と同じ思考、感情も解するようになる。なぜならばそのアルゴリズムは人間の脳の仕組みと同じだからだ。私は神経を扱っている医者だからなおさら、これらの話が非常に妥当で、大げさな話ではないと思う。 

コンピュータが会話し、多くの業務をソツなくこなし、絵画や小説を書き、恋愛もする。プログラムを組み込まれたロボットが、工事現場やショップ店員もこなす。こうなると、我々人間とはそもそもなんなのだろう、コンピュータとの違いがわからなくなってくる。この星の未来はどうなるのか。変換間違いに腹を立てていたのはもしかすると、とてつもなく幸せで、のどかな時代だったのかも知れない。


脳神経外科 花


2014年9月8日月曜日

第86回 「私の癒しって?」

私は結婚9年目にして39歳でやっと子宝に恵まれ、5歳児の女の子の母をしながら、看護師を頑張っています。

この5歳児が私にとっては癒しでもあり困り種でもあります。

1人っ子なのでわがままであまり言うことを聞かないことが多く、困っています。

私の勤務が一定した勤務ではないので寂しい思いをさせているのではないかと後ろめたさがあるためについ甘やかしてしまうこともありますが、寝ている姿をみると愛おしくなります。

子供以外、癒しと言えば私にとっては俳優の藤木 直人さんの大ファンで、ファンクラブにも入会しています。

藤木さんのドラマやおしゃれイズムのMC姿をうっとりしながら、見ていると子供に邪魔をされることもしばしばあります。例えば、テレビを消されたり、眠るまでに私の爪を触らせろと要求されることもあります。(家の子は爪フェチで足の裏に私の爪を当てながら、寝ます)

そんな時には、きっと邪魔をされると思いながら、録画予約をしており、後からみることも多いです(”(^_^;)”

子供が生まれる前はライブに行ったりしていましたが、子供がいると見に行くことも出来ず、ファンクラブの会報やウェブサイトを見ながら癒していますが、時には生で見に行きたい衝動にかられます。

最近では舞台があったのですが、広島県内では上演はなく、見ることはできず他県でのチケットを取ろうと思いましたが、遠方すぎて日帰りではかなり困難で諦めました。子供を産むと、色んな事を諦めないといけないなと思っていましたが今では仕方ないと思いつつ、

いつか子供が大きくなって、何かのイベントなど一緒にいけたらいいなと、1人で思い描いています。でも趣味が合うかがちょっと心配ですが・・・。

子供が自分の事が自分で出来るよう成長している姿を毎日見れることは励みであり、楽しみで幸せだなと思います。

私も子供に負けないように、母として看護師として嫁として、少しでも成長していけたらと思っています。

看護師 藤本

2014年8月30日土曜日

第85回 「好きなもの」

私の好きなものを紹介したいと思います。

一つ目は、月や星などを見ることです。
夜空に光る月や星は幻想的で、見ているだけで癒されるからです。

最近では、台風11号が全国的に猛威をふるった8月10日の夜、雲の切れ間からこの日見えたのが「スーパームーン」である。スーパームーンとは、地球と月が最も近づいたときに満月又は新月となるときのことを指します。満月のときには、より明るさが増し、大きく見えるそうです。日本時間では、11日の午前2時44分~午前3時9分に最も大きく見えると言われていました。

3時ごろから起きてみることは無理そうだったので、10日の午後9時ごろ外へ出てスマホで撮れた月の写真がこちらです。

8月10日 PM9:00頃撮影

画質が悪く、写真からだと伝わりづらいとは思いますが、輝きがいつもの月とは比べものにならないくらい明るく、大きく見ることができました。

また今年は、7月12日・8月10日・9月9日となんと3回も見ることができる機会があります。もし今回スーパームーンを見ることができなかった人も、まだあきらめてはいけません。9月9日が今年のラストチャンスです。日本時間では午前10時38分が一番近づくそうですが、8日の夜あたりに是非少し空を見上げてみてはいかがですか??

二つ目は、ひまわりの花です。
ひまわりの花のたくましさ・力強さに元気をもらえる気がするからです。
私は、お盆休みを利用し、笠岡のベイファームへ行ってきました。あいにくの曇りの日でしたが初めてのひまわり畑で、こんなにもたくさんのひまわりを見たことがなかったのでとても感動することができました

 








このベイファームで見ることのできる花は、春に菜の花から始まり、次にポピー、夏はひまわり、秋はコスモスだそうです。今年のひまわりはもう終わりかけていますが、これからコスモス植えて、10月にはコスモス畑が見ごろだそうです。家族や友達と一緒に見に行かれてみてはいかがですか??

栄養管理室 三好

2014年8月12日火曜日

第84回 「カープが負けた後」

カープが負けた後、特に口惜しさ・無念を引きずりそうな敗戦の夜には、日頃やり残している書類整理や文献抄読、症例報告・学会発表の準備、依頼原稿の作成などに専念するようにしている。

応援している立場の者としてやるべきことをやっていないから負けたのだと言い聞かせるように、まるで自分に罰を課すように取り組むのだ。

そこには本来因果関係はあり得ないのでおかしな考えではあるのだが、晴れない気分を紛らわせる効果があるだけではなく、結果としては案外に仕事がはかどるので、やけ酒をあおってふて寝をするよりはよっぽど建設的なやり方であると言える。

実は今夜は今年初のサヨナラ負けを喫したので、いまこれを書いている。

さて、本来自分は少年時代は巨人ファン、とりわけ王貞治ファンであった。

岡山県の片田舎では、テレビでは広島県とは違って巨人戦か阪神戦がほとんどであったからであろうし、王選手については努力の結果作り上げた誰もまねのできない独特なフォームから華麗なホームランを打ちこみ試合を決める姿に魅かれたのだろう。父親は阪神ファンで、自らも軟式野球チームでプレーしていたが、長男である小生が野球・ソフトボールのプレーにはやる気を見せずからっきしへたくそでしかも巨人ファンになってしまったので、複雑な気持であったに違いない。

父親の思うようにはならないぞという反抗的な思いがそこにあったかどうかはっきりしないが、進路を決めるときにも父親がしきりに法学部、弁護士、と言っていたのに、理科系に進んで医学部を選択したのも幾分反抗的なものもあったのかもしれない。

話をプロ野球に戻すが、王選手が引退したあと、プロ野球自体は好きだったが巨人は好きではいられなくなった。新人入団時のいざこざ、他球団の大物の移籍入団、最近のFA移籍、自前の若手選手が活躍の機会を十分与えてもらえずに消えていく、そして妖怪のごとくいまだに君臨しているナベツネ。常勝を課せられている球団としての宿命とはいえ、どうにも気持ちよくない。

平成元年から当院非常勤となり、常勤に移行して、平成3年に福山に転居して23年、妻は元来カープファンで、子ども達は広島県で生まれ育ち自然とカープファンとなっていて、つられた感はあるものの、自前の若手選手と、他球団を出された選手と、一流ではない外人選手が、高給をもらわずに果敢に挑んでいる、そんな地元球団に対して近年愛着が加速している。

今や、妻や息子を置いてけぼりに一人でマツダスタジアムに応援に行くこともある。
スポーツも音楽もライブが好きなもので、しかもマツダスタジアムが良い(ヤンキースタジアムみたい)。
今後も、多忙な勤務の合間をぬって、すきあらば観戦応援に行くであろう。

最後にお断りしておきますが、お誘いいただいてもご一緒はできませんのでご容赦下さい。
なにせ友人・仲間と行くと全敗、家族・単独ではほぼ全勝という戦歴を誇るものですから。
あしからず。


副院長 熊谷

2014年7月30日水曜日

第83回 「ヨットでGO!」

ヨットでGO!

夫の趣味、私は興味なし。

購入して10年位立つのかな?
もっとかな?

関西の方から2泊3日くらいで乗って帰ってきた。

途中、おおしけに合い

「死ぬかと思った」

と。

・・・、死んではいない。

子どもも免許を取り、クルーが2人。

もうすぐ3人になる予定。

たのもしい。


内海フィッシャリーナに置いてあります。家から車で40分。ちょっと遠い。

手前のヨットがうちの


先日、尾道の花火にヨットで出かけました。

夕方まだ日差しの強い中、出発!

「熱いが風が気持ちい~い!」

帆を貼るわけでもなくエンジンでゆっくりと1時間30分。

横をクルーザーがビューンと通り過ぎ、横波をうける。

「わぁお!」

「あれで行くと20分くらいかなぁ~?」

と思いながら揺られる。

尾道水道に入ると潮の流れと、横をビュ~ンビュ~ン何艇も通り過ぎるおかげで横波を受け、揺れに揺られた。

すでにビュ~ン、ビュ~ンとこされた船が沢山浮かんでいる。

打ち上げ場近くにはいけない。

後ろの方でアンカーを降ろすが潮の流れでうまくかからない(水深がわからないかなり深い様子)

うまくはかかってないが固定でき、他の船の邪魔にならないところで停止。


19:30、ドンドンドン 少し明るいが、花火開始。

病院カメラマンも同乗。

2時間、取り続けていた。

病院カメラマンの後ろ姿(無断掲載 笑)


久しぶりの船上から花火を見た。

毎年いろんな形が出るが やはり昔からの大玉のやなぎが一番よかった。

 


こんなに船が密集していて事故が起きないわけがない。

「あ~!あ~!あ~!」


「ミシミシ」

「ボン」 

「バギィ」


近くでぶつかっていた。


今度は帰りが大変だ。

終了後、一斉に帰るのだ。

アンカーをあげるとき、舵を握った、ヨットがあらぬ方向を向きだした。

息子から。

「母さん 舵 反対」

「ハイ」

真っ暗い中 灯台の燈とブイの燈を頼りにすすむ。

暗い海で揺られると、揺れが大きく感じられ、恐怖感・不安感が大きい。

灯台の燈とブイの赤・緑の燈を頼りにすすむ。


大丈夫か!?うちのクルーたち!

夜空には 星がいっぱい。

満ち潮で 潮の流れにのって帰りは1時間で着いた。


ホッ・・・

たまにはヨットも気持ちいい。

年に1回 海の風をうけるのも・・・。

ちなみに、午前中、留学生達をクルージングへ連れて行ってあげました。

留学生たちとパシャリ ※モザイク加工しています



地域医療支援センター  小川

2014年7月20日日曜日

第82回 「山登り」

私は、趣味がたくさんあります。

ほとんどがアウトドアです。

その中のひとつが、「山登り」。

もっぱら日帰り登山のみですが・・・山頂から観る景色は癒されます。途中のきつい坂も山頂に着くと、なぜだか忘れてしまいますね。
そして、山頂でお湯を沸かしてドリップコーヒーを飲むと、これがまた美味しいんです。

近場では、『比婆山』・『道後山』『宮島の弥山』があります。
これらの山は初心者でもすぐに登れますよ。

主人が四国に単身赴任しているときに、徳島の『剣山』に行きました。ここはロープウェイで山頂の近くまで行けるので、歩くのがちょっとと言う方はお勧めです。山頂の景色は想像以上に良いです。

愛媛の『石鎚山』では鎖場を経験しました。ちょっと怖かったけど登り切った時には、「やった!」って感じです。ここは修験道としても有名ですが、途中何度も高下駄を履いた修験者と出会いました。岩場が多い山を高下駄で登るなんてすごいわと、ただただ感心してしまいました。

遠くでは九州・大分の『九重山』。
「ミヤマキリシマという花がきれいだよ」
って、友達に誘われて行きましたが、その年はいつもより咲くのが遅くて少ししか見ることはできませんでした。でも家に旦那と子供を置いて、2泊3日した女2人旅はとても良い想い出となりました。高原地にあるホテルでの星空はとても綺麗でした。
主人が東北出身なので、『栗駒山』にも登りました。ここで飲んだ水はすごく美味しかったのを覚えています。この時は家族みんなで登りました。まだ娘も中1だったのでついて来てくれました(笑)

鳥取の『大山』にも登りました。
この山は山頂までは行けませんでした。途中から天候が怪しくなったので、断念しました。ほぼ頂上という辺りでしたけど・・・。下山の途中から雨が降り出して、しかもバケツをひっくり返したような大雨の中、中年夫婦がカッパ来てびしょ濡れになっている姿は誰も想像できませんよね(笑)でも、こういう経験も山登りの醍醐味かなって思います。

まだ数えるほどしか登っていません。
しかも、去年は肩や腰を痛めて休日は病院通いでした。歳のせいですかね(笑)
やっと少しずつスポーツして良いと許可がでて、テニスを再開。自転車もサドルを買い替えて・・・。体力をつけようとヨガにも通い始めて。とにかく、身体を動かすのが大好きなんです。そうしないとストレスが溜まってしまうのです。

そんな時、今度は左足を捻って骨折してしまいました。さすがにこれは、職場のみんなにも多大な迷惑をかけてしまって、しかも非常に不便ですね。私が骨折した5日後、息子が高いところから飛び降りて右足首の靱帯損傷で、またもギブスを巻きました。家の中に2人もギブスを巻いた人がいるなんてそうはない事ですよね(笑)

話がそれてしまいましたが、骨折の治療が終わったらリハビリに励んで、体力をつけていきたいと思います。

そしてもっともっと色んな山を歩きたいなって思います。

石鎚・鎖場

剣山山頂
看護主任 金子


2014年7月11日金曜日

第81回 「クイズ・なぞなぞについて」

私は、TVで観るものといえば、スポーツ、お笑い・バラエティー、そしてクイズ番組です。

雑学を身に着けるのにはうってつけです。

雑学王といわれる人はそれこそとんでもない量の知識を持ってますね。

「なんでこんなことを知ってるんじゃろうか?」

私はそんな知識で勝負するクイズよりも頭を使うクイズ、いわゆる「とんち」のほうが好きです。


最近耳にした、なかなかしゃれたクイズがありますのでご紹介します。



1.「ちっとも懐かない手乗り文鳥がいます。飼い主は手のひらに大好物のエサを置いて誘っています。このとき、文鳥はどう思っていたでしょうか?」



2.ある植物学者がこんな発表をしました。「この植物は茎だけで成長します。」この話は本当か、嘘か?

3.Tで始まり、Tで終わる英単語で中もTで満たされているものは?



さて、答をここに載せると頭の体操になりませんので、知りたい方は私にご連絡下さい。

答を聞くと、

「ん~。なるほど。そうか~。」

と、思いますよ。

「やわらかなあたま」これはケータイのメールを打つときに、すべて「あ」行で成り立っているフレーズです。


凝り固まった頭をときどきほぐしてみては如何でしょうか。


外科部長 浦久保

2014年6月30日月曜日

第80回 「熱中症とは」

熱中症とは、室温や気温が高い中での作業や運動により、徐々に体内の水分や塩分などのバランスが崩れ、体温の調節機能が働かなくなり、体温上昇、めまい、体がだるい、ひどいときにはけいれんや意識の異常など、様々な症状をおこす病気です。

家の中でじっとしていても室温や湿度が高いために、熱中症になる場合がありますので、注意が必要です。 

熱中症について正しい知識を身につけ、体調の変化に気をつけるとともに、周囲にも気を配り、熱中症による健康被害を防ぎましょう。


熱中症の症状
○ めまい、立ちくらみ、手足のしびれ、筋肉のこむら返り、気分が悪い

○ 頭痛、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感、いつもと様子が違う

重症になると、

○ 返事がおかしい(呼びかけに対し反応がおかしい・会話がおかしいなど)、意識消失、
   運動障害(普段通りに歩けないなど)、けいれん、からだが熱い


熱中症予防のポイント

○ 部屋の温度をこまめにチェックしましょう ! (普段過ごす部屋には温度計を置いておきましょう)

○ 室温は28℃を超えないように、エアコンや扇風機を上手に使いましょう !

○ のどが渇いたと感じたら必ず水分補給しましょう !

○ のどが渇かなくてもこまめに水分補給を心がけましょう !

○ 外出の際は体をしめつけない涼しい服装で、日傘や帽子などで日よけ対策もしっかりと !

○ 無理をせず、適度に休憩をとりましょう !

○ 日頃から栄養バランスの良い食事をとりましょう !

熱中症の応急手当

✚涼しい場所へ
エアコンが効いている室内や扇風機・うちわなどで風をあて、体を 冷やす、風通しのよい日陰など、涼しい場所へ避難させる

✚からだを冷やす

衣服をゆるめ、からだを冷やす

(特に、首の周り、脇の下、足の付け根など保冷剤、氷、冷たいタオルなどで)

✚水分補給

:水分・塩分、経口補水液※などを補給する

(水に食塩とブドウ糖を溶かしたもの)

厚生労働省ホームページ「熱中症関連情報」参照


薬剤科 清水

2014年6月20日金曜日

第79回 「過去へタイムスリップ」

私の母は、現在一人暮らしをしています。
今年で78歳になります。
遠方でなかなか会えませんが、メールでやり取りしたり、電話をしたりと連絡は欠かさず取り合っています。電話で話し始めるとなかなか話が尽きません。話していると、ついつい時間を忘れてしまい、夫に注意されてしまう事も度々あります。

先日もいつものように、母から電話がありました。

押入れの整理をしていたら、私の小学校の文集が出てきたと言うのです。
母は、文集を読んで懐かしがって電話してきたのでした。

私の小学校の頃の思い出を次々に話し始めました。
私が忘れていた話や、今まで知らなかった話をうれしそうに話しはじめます。

そんな母ですが、最近物忘れをする事が多くなりました。
自分でも忘れないように工夫しているようです。カレンダーが真っ黒になるくらい予定が書き込んでありました。でも、電話では思い出話が嘘のようにどんどん出てくるのです。びっくりしました。

先日、母に会いに実家へ帰りました。
ダンボール箱の中に、私の小学校時代の文集や日記帳がまとめてありました。

懐かしく手に取ってみました。

何十年ぶりに読むのでしょう。
小学生時代に書いた私の直筆の活字がそこにはありました。
400字の原稿用紙に、はみ出しそうな大きな字が並んでいました。
小学校2年「将来の夢」と題した作文に、

「私は花屋さんになりたい」

と書いていました。

友達の作文は、「将来、野球選手になる」「将来ピアノの先生になる」と書かれていました。
読んでいくうちに、小学校時代に戻ったような気分になり、作文を書いている時の自分を思い出してきました。あの時の教室の風景や、作文を考えて書いている自分、友達の顔や担任の先生の顔。懐かしい思い出が蘇ってきました。40年前の自分の頭の中を覗いている気分です。過去へタイムスリップしたと言えばかっこいいかもしれません。茶色のざらざらした紙に印刷され、勿論カラー印刷ではない、友達の手書きのイラストが添えてある、1枚1枚手で折って束ねてホッチキスで閉じて自分たちで手作り製本した記憶もよみがえってきました。

母の記憶力も感心しましたが自分の記憶力も順序をたどれば思い出していくものだとつくづく思いました。そして写真も思い出になるけれど、一生懸命に考えて書いた文章はかけがえのない「その時の自分」そのものだと思いました。

今ここに書いている文章が10年後に読んだら懐かしく思い出されるでしょうか。
これからもずっと母と笑いながら語り合っていきたいと思います。


看護主任 小川 智穂子

2014年6月10日火曜日

第78回 「郷土のあるべき姿」

広島カープ 強いですね。

昨年終盤からの勢いを今シーズンにそのまま持ち込み、セリーグは予想外?の展開になっています。
最近はマツダスタジアムに出かけると、スタンドでは老若男女を問わない一体感のある応援、溢れんばかりのお客さんは球場内の各種ショップに詰めかけ、試合後の広島駅周辺の飲食店はどこも満員といった状況になっています。まさに地域活性化を目の当たりする状況です。

スポーツによる地域活性化効果について 中国地方総合研究センターの本郷満さん は経済面だけではなく、社会面(地域への愛着、コミュニティー及び社会参加意識の高揚)をあげておられます。最近政府の新成長戦略である「日本再生ビジョン」においてプロ野球の16球団拡大が地域活性化案の1つとして打ち出されました。これもまた、スポーツによる社会面を含めた地域活性化を期待するものと考えられます。

地域を単位とする社会意識は、スポーツ関係だけではなく医療界においても近年キーワードになりつつあります。

平成26年度の一般歳出の約三割を社会保障費が占めており、今後の高齢化とともに社会保障費は急激な増加が見込まれています。また地方における二次医療圏の設定や医療従事者の確保などが、国主導の体制であることも問題点として指摘されています。

地域に適した医療のために 医療提供の量(病床数)、質(医療提携、医療安全)の評価と配分、包括ケア(検診や医療と介護の切れ目なく高齢者を支えあう仕組み)などの医療システムの再構築が地域主導で行われようとしています。

人々の価値観は多様化し、社会状況も変化します。地域における課題も多様化し、教育や環境などの問題も地域を単位とする対応がすすめられてきています。

広島で生まれ育った人たちにとってカープは郷土の象徴であり誇りでもあります。数十年ぶりのカープの快進撃を見守りながら、後年の郷土のあるべき姿にも、少しばかり思いを巡らせてみたいと思います。


内科 河野



2014年5月30日金曜日

第77回 「米作り」

この地域にも、お米を作っておられる方もたくさんいらっしゃると思います。
多くの方がコメ作りの大変さを知っておられることでしょう。

私の家も代々米作りや野菜を作って家族で食べていました。両親が亡くなるまでは、手伝ってくれと言われない限り自分から手伝う事がありませんでしたので、コメ作りのやり方は一切知りませんでした。

さあ大変、5年前に両親が亡くなり米作りの事は何も知りません。
ですが、田んぼを荒らしたらいけない、草が生えて隣の田んぼに迷惑をかけてはいけないなどの理由で米作りを継続することにしました。手間暇を考えるとお米を買って食べるほうがずっと安上がりだとは考えましたが。

田んぼをトラクターで耕す事はやっていましたので分かるとしても、苗をどうするのか、苗の品種はなんだろうとか、肥はどうするのか、除草剤はどうするのか、田植えをした後の水の管理はどうするのだろうとか分からないことばかりでした。

1年目、4月頃近所のおじさんに父が作っていた苗の品種を教えてもらい知り合いに苗を作ってもらう事にしました。次に肥料と除草剤・殺虫剤を購入していたところを教えてもらい注文し、肥料屋さんからいつどういう方法でやればいいのか教えてもらい田植え前の準備が出来ました。これだけではなく石崖の草をむしったりやることがいっぱいありました。

そして、田んぼに水を入れ代掻きをするのですが水がたまるとモグラの穴などから田んぼに穴があき水が流れ出してしまって大変でした。昔、父が丁寧に雑なことをするなとよく怒っていましたがなんとなくわかるような気がしてきました。

なんとか代掻きを終え水漏れも少なくなり後は苗を植えるだけですが、植え方も植える量も近所のおじさん方の指導を受けながらとにかく植え付けを終わらせました。

ここからがまた大変でした。朝起きて田んぼに穴が開いていないか見て回り、水がなくなっていないか見て回ったりと油断していると大きな穴があいていたりしました。

川に水がたくさんあるときは問題ないのですが、雨が少ないと田んぼに水がない状態になってしまいます。自然のことなのでどうしようもないことと分かりながらも、これが近所間のトラブルになっていることもありました。

8月・9月になりますと今度は、稲が台風などで倒れないか心配しなければなりません。

それと、イノシシが田んぼの中を走った為その対策もしなくてはなりませんでした。

やっとの思いで10月の初旬に稲刈りを行いました。前年の収穫と比べると袋の数が少ないようでした。初めて自分ひとりでコメを作って収穫をしてみると大変さが身にしみてきます。それとは別に、収穫の喜びとやっと終わったと思う満足感を得たように思いました。

2年目、春になるとまた1年生でした何をすればいいのかな、どういう段取りでしたかなと、近所のおじさんに探りを入れながらやり始めましたが、少し変わってきたのは田んぼに穴があかないようにするにはどうしたらいいか、水の入れ方はどのやり方がいいか、少し考えてコメ作りをやろうと思いだしたことです。

3年目から5年目、少し欲が出てきました。収穫量の事を考えるようになってきました。

近所の人と今年はこれだけ収穫できた、去年より少なかったのは肥料が足らなかったのかなとか一人前の口をきいている自分がいました。

まだ父が作っていた時の収穫量はありません。何かが違っているのでしょうね。

コメ作りが、割に合わないのは実感しました。農機具や肥料・農薬など費用がかさむばかりで大変です。ただ、収穫時の達成感と自分の作った米を毎日食べられる喜びが、また次の年もコメ作りをさせてしまうのかもしれません。

今年も、田植えの季節になりました。今年はこうしよう、ああしようと思いつつ5月の終わりから田植えをしておいしいお米を作ろうと思っています。

放射線室長  鉾崎

2014年5月20日火曜日

第76回 「我が家のセラピー犬」

我が家の愛犬を紹介します。

名前はミミで7歳、犬種はパピヨンです。



まさに私の癒し、我が家のセラピー犬です。
どんなに疲れて帰っても、喜んで出迎えてくるミミの姿をみたら疲れがとれ、明日も頑張ろうと思わせてくれます。また、私には子供2人いますが、子供が成人した今、いつもそばで寄り添ってくれるミミは末娘のようでとても愛らしい存在です。

散歩が大好きですが、とくにミミはボール遊びが大好きです。
晴れた休日は近くの土手に行きボール遊びをします。
一生懸命ボールを追いかけている姿に、周りの人から、

「わー、すごい!」

と、歓声があがることもありますが、

「もしかして訓練ですか?」

と言われたこともあります。



散歩は、夏は暑くて日焼けして冬は寒くて凍えそうですが、歩いて季節の変化を肌で感じることができます。また、散歩に行く土手はどこからともなく人が集まってきてゲートボールをしている人、ジョギングをしている人、たまにはチャッチボールをしている親子もいて、時間に追われる日常と違ってそこではゆっくりと時間が流れている気がしてリフレッシュできます(*^_^*)


主任看護師 前原

2014年5月10日土曜日

第75回 「つながるラジオ ~未来への絆~」

「広島をきらきらさせる周波数」。

そんな謳い文句の映画 「ラジオの恋」 がこの2月に尾道の劇場を中心に公開となった。
ロケ地も役者もすべて広島。やる気を失ったラジオパーソナリティーが、少女との出会いをきっかけに自分の心の奥にしまった大切なものをさがしにいく、心温まるファンタジーだ。情報が氾濫する現代においても、発信の一方向性にとどまらず、リスナーとの絆を大切にするラジオは、若い世代に根強い人気を保っている。

私が生まれたのは神戸の小さな社宅、どこにでもある一般的な家庭だった。
サラリーマンの父と、働き者の母の間の一人っ子として、ごく普通に育てられた。
ただひとつ、テレビが家になかったことを除いては。

両親はテレビのある家庭環境で育った、それにも関わらず新居に準備しなかったのは、「テレビは家事や仕事の妨げになるから」であった。

いつも「教育方針では」という高尚なご指摘を受けるが、違う。
単に、両親ともにテレビが嫌いであっただけである。
生まれた時からテレビ放送に感化されずに生活していた私は、家の中でかかっているラジオ番組を聞きながら過ごしていた。
主にNHK第一放送、ときどきはNHK FM。
ラジオは私にとって魔法の小箱だった。
「おはなしでてこい」で表情豊かなお話のおじさん、おばさんの語りに釘づけになるかと思えば、「上方演芸会」と「真打共演」に笑い転げ、「日曜名作座」の深すぎる大人のドラマに首をかしげ、70年代ポップスは大人顔負けに歌いこなした。もっとも歌詞の内容なんてさっぱりだったけど。

なかでも面白かったのは実況中継だ。
野球も相撲も箱根駅伝も、オリンピックだってラジオで応援した。アナウンサーのたくみな解説におおきな球場や国技館の様子が手に取るように分かった。ただ、問題はすべてが想像であったということ。大学時代まで野球の守備、ショートは二人いると信じて疑わなかった。だってほんとにすばしこいんだもの。

そして、その後の私に大きな影響を与えたのは、やはりクラシック番組だった。
幼少のころはラジオから流れるバックミュージックにすぎなかったが、レコードのかけかたを習得してからは、家にあるクラッシク名曲大全を片端から聴いていった。当時は、絵本感覚で、分からない漢字を飛ばしながら曲目解説を読んでいたが、学童期にピアノを師事するようになってからは、「音が見える」感覚が養われていった。

両親は彼らなりに私が芸術や自然に直に触れられるよう努力してくれた。
普段、ラジオと音楽と想像の世界に閉じこもっていた私にとっては、巨匠の息遣いを感じる芸術作品や、古来の神様がすむ自然は貴重な存在だった。それは、クラシックコンサートや、美術館、そして週末ごとに出かける近郊の山々だったりした。私は山へ出かけるのが大好きだった。誰にも気づかれずにひっそりと咲く花々、虹色のとかげ、まだまだ練習中の鶯たち。山の大人たちはとてもやさしく、小さな私が歩いていると褒めてくれたり、おやつをくれたりするので、ますます得意になってずんずん歩いていったものだった。物心ついてからは、より広い世界を体験するために、ボランティア活動へ送り出された。それは高齢者施設だったり、知的障害者のサークルだったり、精神障害者の復帰を受け入れる食茶房だったりした。そこでのたくさんの出会いが、その後の人生に大きな影響を与えることとなった。

その一方で、普段テレビで慣れていない分、映像に対する感受性は極端に強かった。
端的に言えば、映像が怖いのだ。小学生時分、「日本昔ばなし」のアニメが怖くて、旅行先の部屋から逃げ出した。同じころ、初めてのディズニーランドでは、シンデレラ城ミステリーツアーが怖くて(映像が本物と思い込み)、動けなくなった。映画館ではいまでも緊張と恐怖で震えが止まらない。たとえそれがコミカルな内容であっても。刺激が強すぎるのだ。その映像の記憶は鮮明で、自分も映写機になれるのではないかと思うほど、その内容を思い出すことができる。
もちろん寝られなくなることもしばしばだ。
また、普段はラジオから聴力と第六感を活用して、様々な状況を想像する、「音を見る」生活をしているのだが、テレビ制作番組は音声と映像を一緒に提供してしまう。つまり、私の頭の中ではテレビの音から作り出された自分の想像と、映像による実際の状況との間での修正が常に必要となる。テレビを「ぼーっ」と眺めていることができないので、短時間でも非常に疲れてしまうのである。

小学校に上がってから中学時代までは、同級生の間で「常識」とされる、テレビの話題についていけず、しばしばいじめの対象になった。CMを元に「くずおかんちょー胃腸薬」という不名誉なあだ名もつけられた。もっとも当人は、ピアノを始め音楽の勉強に忙しく、友達と遊ぶこともなかったから、1年間の学級崩壊も経験したが、精神的な影響はほとんどなかった。いじめられないよう、家にテレビを買うなど、言語道断。私にとってテレビは恐怖のパンドラの箱であった。

私とテレビの関係が大きな転換期を迎えたのは小学6年生のときだった。
ときはNASA再興期。チャレンジャー事故以来、初めての打ち上げとなったエンデバー号で毛利衛さんが宇宙飛行士として飛び立った。その宇宙滞在中に行われたNHK「毛利さんの宇宙授業」。そして、帰還後となる「毛利さんの宇宙報告」。これに私は生徒の一人として参加したのである。いつもラジオで聞いていたスペースシャトル打ち上げの様子が大画面に映し出される。そして初めて見るシャトル内の様子。カメラの視線も忘れて釘づけになった。その一方で、秒単位のスケジュールの中、宇宙との限られた交信時間を守ろうと、スタジオは異様な緊張感につつまれていた。一見華やかに見える画面の裏側にはたくさんのスタッフさんの協力があることを知った。このとき、見る側ではなく、発信する側の作業を垣間見ることができたことは貴重な体験となった。

いまでも私の生活の中心はラジオだ。1日の始まりは「バロックの森」、終わりは「ラジオ深夜便」だ。
往年の懐かしいアナウンサーの声を聴ける深夜便は、不眠時の安定剤だ。テレビなんて、なくていい、とは今は思っていない。このおかげで大好きな真央選手の応援もできるし、映像自体が芸術作品であると思う。ただ、「テレビが嫌いだ、必要ないから買わない」という強い意志をもっていてくれた両親に。代わりに精神的にもっと広い世界をみせようとしてくれた両親に、いまは感謝したいと思う。小さな私にとって、情報の氾濫がなかったからこそ、本当の姿を見るための、心の目を育てることができた。小さな表情のうごき、声の抑揚、しぐさ、それらから患者さんの感情を受け取る。苦痛をよみとる。それはいまの私に大きな力となっている。これは診療や、大切なひととのコミュニケーションには欠かせないが、しばしば必要以上の情報までわかってしまい、自分自身が傷つく危険もある、諸刃の剣だ。これからも大切に上手に使い、次の世代に伝えていきたいと思っている。

「ラジオの恋」、ひととひととのつながりが築くこの優しい奇跡がこれからも続いていくことを願っている。

脳神経外科 葛岡

2014年4月30日水曜日

第74回 「刃物を研ぐ人」

黙つて刃物を研いでゐる。

もう日が傾くのにまだ研いでゐる。

裏刃とおもてをぴつたり押して

研水をかへては又研いでゐる。

何をいつたい作るつもりか、

そんなことさへ知らないやうに、

一瞬の気を眉間にあつめて

青葉のかげで刃物を研ぐ人。

この人の袖は次第にやぶれ、

この人の口ひげは白くなる。

憤りか必至か無心か、

この人はただ途方もなく

無限級数を追つてゐるのか。    (1930・6)




二十歳のころ、私は白凰社の高村光太郎詩集を手にした。以来私のバイブルになった。
ページはセピア色になり、ずいぶん手垢がついてしまったが。

今年に入り、新聞広告のカルチャースクールで「包丁を研ぐ」という講座があり目に留まった。
応募したが、定員に達しないため7月に順延するとのこと↓↓↓。

7月にも応募者が少なければ、年内にはないかも? とちょっと危惧している・・・・・。
私の袖が破れ、口髭が白くならないうちに開かれますように!

神様・仏様・光太郎様・・・そして皆さま、包丁研ぎませんか?
切れ味抜群の包丁で誰か私にご馳走を振る舞って下さい、残さず食べますよ(合掌)。

リハビリ室 木村

2014年4月19日土曜日

第73回 「アコースティックギターの話」

何を書こうかなって思った時、やっぱりギターの話にするかと思って書きました。

一応、趣味でやっていますが、始めたのは高校2年生の時だったと思います。
当時は高校で先輩がバンドを組んでいてかっこいいなと思っていましたが、自分は地味に父親の持っていたYAMAHAのギターを弾いて遊んでいました。もともと母親はピアノを、父親はトランペットやギターを弾けて自分も自然と入り込んでいった感じです。小学校5年生、6年生の時に鼓笛で演奏し、中学に入っても音楽部に所属し、トランペットに熱中していました。ちなみに剣道を小学校1年から高校3年までやっていました。そんな中学時代から高校に入ってからギターを弾くのが楽しくなってきた感じです。

父親はフォーク世代で、吉田卓郎、井上陽水、かぐや姫など・・・。まあ、吉田卓郎の「結婚しよう」「神田川」はよく弾いていて、それを聞きながら見よう見まねで弾けるようになった感じで、CDを聞きながらコードを探し弾き語りをやっていました。

短大に入ってからは軽音楽部に入部し、学園祭ではギター・ボーカルをやっていました(5万くらいするエレアコを購入しました)弾いていたのが当時流行っていた「GLAY」「ラルクアンシエル」「19」・・・などで、「山崎まさよし」「ゆず」なんかもやっていました。

それから社会人となり、自分の結婚式で軽音メンバーを招待して学園祭でやっていた曲を演奏しました。他にも友人の結婚式では「コブクロ」の「永遠にともに」を演奏したりだとか、最近では昨年結婚されたリハビリの藤田君、砂取さんの二次会に招待してもらい同じくリハビリの赤繁さんと「一青窈」の「ハナミズキ」を披露したり、今年妹が結婚しましたが、そこでは親戚のおばさんのマンドリンとのセッションで「キロロ」の「未来へ」を演奏しました。

3年前に昔母が保育士として勤めてした幼稚園(自分も行っていた)で、そこの先生の呼びかけで音楽会が開催され、母親と一緒に沖縄の「童神~わらべがみ~」をギターと歌のセッションをしたのがとても印象に残っていて、本当に貴重な体験をさせてもらい母親も自分と一緒に出られたことを喜んでいました。

そして、前述した幼稚園の先生が昨年癌が原因で亡くなられました。病院で闘病生活を過ごされていましたが、ほんとに音楽が好きな先生で(自分の年長の担任の先生)亡くなられる2か月前に、母親が「ギターを弾いて歌ってあげたら喜ばれるから」と頼まれ、自分もお世話になっていたし、母親も本当に色々お世話になっていたので、少しでも力になれればと思い先生の傍で何曲か歌わせてもらい、それを聞いていた先生の優しい顔は忘れることができません。夏川りみの「涙そうそう」、一青窈の「ハナミズキ」、森山直太郎の「さくら」や「浜辺の歌」「上を向いて歩こう」などなど色々歌いました。病院の看護師さんも一緒に交じって歌ってくださいました。

音楽って本当にいいです。これからもギターを大切に(テイラーの15万するギターなので)、時々弾きながら楽しみたいと思います。




看護主任 森貞

2014年4月10日木曜日

第72回 「WE製真空管アンプ」

さてさて、3巡目に入りました。
次第にディープな世界に入るのがコワイですが、仕方ないので入りましょう。

前回のお話(「早春の三曲」)で、僕が音楽を聴くのが好きであることはお分かりと思いますが、音楽を出来るだけ「いい音」で気持ち良く聞きたいと願い、オーディオの泥沼にもかなり足を踏み入れています。その中でもアンプ(音を増幅する機器)の大部分が実は真空管式なのです。

今では電気器具のほとんどは半導体を使うものになり、真空管は「前世紀の遺物」だと思っていませんか?実用機器は効率重視で、半導体が主体なのは当然なのですが、ただひたすら「いい音」を求めるこの世界では、楽器用のアンプも含めてまだまだ真空管式が幅をきかせています。

半導体では、電子が通過し増幅される場所が固体の中であるのに比べ、真空管は妨げられるもののない真空状態の空間を電子が飛ぶ、というのがアンプの「増幅素子」として優れている点である、と信じる人も多いのです。最近になってあらたに真空管ないし、そのアンプを作るようになったメーカーもいくつかあるのが現状です。

1999年の夏にふとしたきっかけでウエスタンエレクトリック(WE)300Bという米国製の真空管を使ったキットアンプ(組み立て式)を作ったのがはじまりで、この更に泥沼な世界に足を踏み入れることになっちゃいました。

なにしろ当時持っていたマッキントッシュ(コンピューターとは別メーカー)という有名メーカー(これも米国製)の半導体アンプと聞き比べ、そのあまりの世界の違いに驚愕したのです。

何しろ真空管アンプの方はアマチュアの初めて作った、ごくごく単純な回路の出力10Wのアンプ。
一方マッキントッシュの方は「世界の・・・」といっていいメーカーの一流品で出力は150W。

でも圧勝したのは真空管君の方だったのです。

ジャズのライブ盤を聞いて、その録音したクラブのタバコの煙くさい(?)空気まで再現してくれる実力には、驚きを通り越して、あきれたものです。アンプを作って最初に音を出したときに、思わず「おーい、おーい」と、タンノイオートグラフを聞いた五味康祐さんのように(なんの比喩か分からないと思いますが)おもわず家内を呼んでしまいました。

それ以来、自宅のオーディオのアンプ部門はほぼ100%真空管式となり、今では10台ほどの真空管アンプが生息しております。(怒←家内)

ここで間違えて欲しくないのは、真空管=ノスタルジックな音、では全くない!!ということ。切れ味鋭い音から、真綿のように柔らかな音まで、自由自在に再現できるのが特徴です。再現が特に難しいとされる、人の声や弦の音色を精妙にreproductしてくれる能力をもっているのです。

また、真空管ってすぐ「切れる」でしょ?というのも大きな間違い。
古い電球とは違って、上に出てきたウエスタンエレクトリックというメーカーの製品など、稼働寿命数万時間以上といわれ、数十年使ってもびくともしないものがたくさんあります。ただし機械がとてもhotになるのはやむを得ず、冬は暖房機器としても利用できます。(強がり)
うちに帰り、まず真空管アンプに「火を入れる」。この瞬間が最高ですね。
透明なガラス越しに見えるボーッと点灯した真空管の穏やかなあかりが、疲れた頭と体をじんわりと癒やしてくれる。どうですか?一度、音楽好きなあなたも経験してみませんか?

院長 武田

2014年3月31日月曜日

第71回 「我が家の記念日」

我が家の恒例行事としまして、毎月9日の記念日があります。

我が家には2011年7月9日に生まれた(超カワイイ)娘がいます。

毎月の9日、1ヶ月ごと成長する姿を写真に撮り続けています。

生まれてですから・・・

今2歳8ヶ月だから・・・

32回の記念撮影をしてきたことになります。おー、結構ありますね!パチパチ・・・

小道具が何もナシだと味気ないし、写真に日付をいれるのはダサイ!しかし毎月写真館で撮るのはどうなのよと。

ならばパパお手製の「おめでとうイラスト」と一緒に撮影することにしましょう。

A4大の紙に、毎月ネタが被らないように苦労しながら、娘がその時一番喜びそうなもの(たぶん)を描いています。

これが半年前



ちなみに今月はこれ!




ハイっ ポーズ!




カワイイねぇ~(^O^)/



最初は何を描いても紙を握って振り回すだけ。次第に何が描いてあるか解り、最近では

「アンパンマン!」

「今度はミニーちゃん描いて!」

とか、

「えーっ これしまじろうじゃないよ~」

となかなか厳しい意見も聞かせてくれます。
これも成長の証だなあと頼もしく思っています。

絵の題材が決まらず当日写真が撮れなかったこともありますが、何とか継続しております。

妻に「いつまでするん?」と聞かれましたが、娘の成長の記録として一応3歳まではと思っていますが、娘の笑顔は私の元気の源なので「パパとはお風呂入らない!」と言われるまでは頑張って続けようかなあ。

実はまだ順番に並べてみたことはないのです。楽しみはしばらく先にとっておきます。

医事課 出原

2014年3月20日木曜日

第70回 「はじけたSMAPコンサート」

「自己紹介をするのに何を伝えよう!?」

と、考えても私の趣味は・・・?特技は・・・?


これと言うものがなく、ある人には、

「こんなに運動ができないとは思わなかったっ!」

と、言われるぐらいだから、スポーツもできない私です。

こんな私の楽しみはお風呂好きもあり、温泉旅行や買い物(特に広島のそごう大好き)、コンサートに行き元気をもらっています。

皆さんもコンサートに行かれるとは思いますが、私も必ず行くのがSMAPのコンサートです。

「いい年をして~」

と、思われるかもしれませんが、実は院内でもファンクラブに入っている人が多く、コンサートにも行っているみたいですよ。

SMAPのコンサートは毎年ではなく2年に1回しかありません。


それは2012年8月のことです。

どのコンサート会場もグッズ売り場がありコンサート前後で買い物をするでしょう。
私もその一人で、コンサート前にグッズを買いに.・・・8月のすごく暑い、暑~い中、長い、長~い列に並び、あれもこれもと物色・・・。


そこで最初の汗!


今度はコンサート中の汗!!


歌いながら体を動かすのだから汗は当然ですよね。


実は、それ以上出来事があったんです。

私の目と、あの“かっこいいキムタク”の目が合ったんです(キャー!!!)。

いつもコンサートの席は良い所ではなく、すごく小さく見える位置、その日もやや前の端、「また顔が見えにくいのかなあ~」とがっかり・・・。

ところが、その横が通路になっていて、移動車でメンバーが私の横を通るではありませんか!!

距離にして1mですかね。

そして、あのキムタクと目と目が・・私に優しく微笑んでくれているではありませんか!!

私の心臓はバクバク、汗びっしょり!!(たぶん錯覚と思われるでしょうね)

その興奮を心にホテルに帰り着ていた服を見てびっくり!!

塩を噴いた服が・・・・・

中学、高校のクラブでよく汗をかき、塩を噴いていたけど社会人になってはこの時しか思いつきません。
当然汗の匂いが・・・・いままでのコンサートの中でこんなに興奮したことはなく、また必ず行こう!と心に決めました。

そして昔からのファンで必ずコンサートに行くのは、浜田省吾のコンサートです。コンサートの中で必ず確認事項があるのが“年齢確認”です。行った人なら「あぁ、あれね~」と頷かれるでしょう。コンサート後半、“10代の人”手を上げて、“20代の人”手を上げて、・・・そして“○○代の人”手を上げて~、私の年齢の番が・・・昔は“ハイハイ”と元気よく手を上げていたのに最近は周りを見ながら小さく“ハイハイ”と手を上げている自分が・・。この時の汗は少し冷たいです。

SMAPから浜田省吾とジャンルは違いますが、それぞれに楽しみ、心に潤いを与えて貰っています。

今年はSMAPコンサートがあると信じ、誰と見つめ合いドキドキできるか楽しみにしています。






                                      看護主任 堀江

2014年3月10日月曜日

第69回 「電車通勤」

昨年の4月から寺岡記念病院に勤務しているが、初めての電車通勤である。

嫁さんが寒がりなので少しでも南に住みたいという希望と、僕が電車通いがしたいという希望が一致して福山に住むこととなった。

前の職場では車で通勤していたが、通勤ラッシュで疲れるうえに寝不足のときは大変だった。時々嫁さんに運転してもらって僕は寝ていることもあったが、見返りが高くつくのが難点だった。

電車通いにすることで、眠いときには眠っていればいいし、眠くなければ読書ができる、見返りのために小遣いを減らさなくてすむし、なにより自分一人の時間が作れることがうれしかった。

しかし欠点もある。

一つは、時間通り出発するので少し遅れても待ってくれないことである。
かっこ悪い話だが、先日もまだ時間があると思ってプラットホームの自動販売機でコーヒーを買って、ドアの開ボタンを押したのだが開かない、おかしいなと思ったら電車が動き出しておいて行かれてしまった。腕時計が30秒ほど遅れていたようだった。

もう一つの欠点は便数が少ないことである。
7時台は15分と45分しかない。15分は通学する学生が非常に多く、座れないことがあり疲れが溜まっているときには非常につらい。また女子学生が多いときには変な冤罪に巻き込まれないように気を使う。7:45は座れるのだが、病院に着くと就労時間ぎりぎりになってしまう。その間の便があれば丁度いいのだが非常に残念である。

もう一つ電車で困ることは、眠ってしまった時どの辺りを走っているのかわからなくなることである。景色で大分わかるようになってきたが、冬場は窓がくもっているので乗り過ごしていないか非常に心配になる。戸手駅と上戸手駅は非常に似ていて、気が付いたら駅に着いていたときにはドキドキしてしまう。目はしっかり覚めるが、朝から体にはよくないように思う。

大体乗る車両が決まってきてあまり変わり映えのない毎日になってきたが、乗り遅れたと思ったら山陽本線の連絡のため待ってくれていたりとか、逆に先日は大雪のために竹藪が線路側に倒れこんだため大分待たされたりとかしながら、なんだかんだと電車通勤を楽しんでいるのである。


外科医長 花畑

2014年2月28日金曜日

第68回 「もうすぐ春ですよ」

積もった雪がとけた庭に小さくてかわいい春をみつけました。(写真)




日差しの下ではだんだんと寒さが和らいでいます。もう春は目前です。


そして、これから春になるといろんなイベント等があります。

私も、今年楽しみにしていることが・・・

それは、”太陽のサーカス”を意味する、「シルク・ドゥ・ソレイユ」日本公演が開催されること。

最新作「オーヴォ」は、「楽しい」 「ユニーク」 と、大人から子供まで夢中になれるショーだという前評判を聞き、期待が高まっています。

ぜひ、でかけて音楽、表現を含む美と感動を体感したいと思います。

ちなみに今回の日本公演では、日本人がシルク初の主演だそうです。


すごいこと、注目したいです。


栄養管理室 田中

2014年2月20日木曜日

第67回 「私の生きがい」

私には、現在、1歳7か月になる孫がいます。
いま私の生きがいは、この初孫の女児の成長を見ることが、生きがいとなっています。

孫は、現在名古屋在住で、夏休みや冬休みの約2週間程、広島に帰省してくれます。その他は、お盆、お正月程度しか会うことはできません。(時々、TV電話で顔を見ることができますが)

でも、孫の成長をこの目で見ることが私の唯一の楽しみの一つになっています。

出産時のエピソードをご紹介します。

2013(平成25)年6月2日20時3分、体重2,674gで産まれました。
私は、この初孫の出産に立ち会うことができませんでした。
なぜなら、娘は初産ということもあり、予定日よりずっと遅れるだろうと予想して、この日は当直に入っていました。


後で、娘に聞いた話ですが、

その日は早朝からお腹に違和感があり、少しおかしかったそうです。
私の主人は、草刈機で、田畑の草を刈っていたみたいです。
しばらくして、陣痛が起ったことを知らせたくて、大きな声を出して訴えたのですが、騒音でなかなかわかってもらえず、痛みもあり、大変つらかったそうです。ようやく聞こえて、車で病院に連れて行ってもらったそうです。
病院に着いて破水したそうですが、こんな状況の中、主人は娘の横で単行本のページをめくりながら、待機していたみたいです。(この冷静さは何・・・!?)

この様子を横目でみていた娘は、陣痛の痛みに必死に耐えながら、こんな劇的な、まして初めてのお産なのに・・・大変さのわかる母親がいないことを嘆いていたみたいです。

このエピソードは、1年7か月経過した今でも話すことがあります。

出産には立ち会えず、娘には悪いことをしたなぁと詫びながら、でも無事生まれてきてくれた孫には、感謝の気持ちでいっぱいです。

当直明け仕事を終えて初孫に初対面したときは、言葉にならない程の感動が沸き上がり、自分の時のお産と比べるものにならない、感激を覚えました。

今現在は、孫も言葉を少しずつ覚えながら、

「じじ」

「ばば」

片言ではありますが喋りながら、会話も成立するようになり、愛くるしい笑顔を振りまいてくれます。

これこそ、

「目に入れても痛くないほど可愛らしい」

という表現がピッタリ当てはまる初孫なのです。



看護主任 明野

2014年2月10日月曜日

第66回 「ポール・マッカートニー来日の記事を読んで」

昨年11月ポール・マッカートニーが来日しました。

その時の様子をある作家が雑誌に書いてたんですが、この作家は中学1年生の時からビートルズのファンだけど、ポール・マッカートニーのコンサートを見たのは今回が初めてだそうです。

内容は東京公演の様子だけでなく、ポール・マッカートニーという人のことを

「完全なマイペース人間で、日本人で例えるなら長嶋茂雄みたいな存在」

であるとか、

「本国イギリスでは”変なおじいちゃん”扱い」

であるとか、読みながらフフフと笑えるものでした。

今回11年ぶりの来日で、ポールももう71歳、日本に来るのもこれが最後だろうという予感があって、見に行ったんですって。

「人間、50歳を過ぎると”もしかすると、これが最後?”がやたら多くなるんですよ」

と書いてるんですが、これを読んで、

「そうなんだよな~」

と思ってしまいました。

私の好きなバンドにシカゴというバンドがあります。

このバンドは結成が1967年、レコードデビューが69年、もう数年で結成50周年という息の長いバンドです。

私が聞くようになったのが71年の春ですから43年の付き合いになります。

いまだに結成当時からのオリジナルメンバーが4人いますが、彼らの年齢も60代後半で、いつまで続くかな、来日公演があると聞くと今回が最後かなと思ってしまいます。

ただ、ポールと違うのは、彼が今回11年振りにやってきて、ビートルズ時代も含めて4回目の来日公演だったそうですが、我らがシカゴは今まで13回来日しており、2000年以降でも5回日本にやって来てます。

昔、音楽雑誌で「ツアーに出るのが好きなバンド」という記事を読んだことがあるんですが、今でもまめに国内外のツアーに出てるんです。前回が2012年10月に来日しましたから、今年はそろそろやって来るかな、それとも来年かなと期待してるんです。

ただ前述のように高齢者バンドで、オリジナルメンバーのひとりは国内のツアーには出ても、海外のツアーには参加していません。

心臓が悪いとか、なんとかという記事を読んだ記憶があるんですが。

こんなバンドですから今度彼らが来日すると聞いたら、「また来るのか」と思いつつも、やっぱり「ひょっとするとこれが最後かな」と思いながらチケットを買うんだろうと思います。

ポール・マッカートニー来日の記事を読んで思ったことでした。

泌尿器科医長 志田原





2014年1月30日木曜日

第65回 「厄祓い」

私の年齢がバレてしまいますが、今年は大厄!!

1月上旬、初詣を兼ねて福山八幡宮へ厄祓いに行ってきました。

私は生まれも育ちもずっと福山、生粋の福山人です。

振り返れば、節目の行事にはいつも福山八幡宮へ参拝しています。

私が生まれて、お宮参り、七五三、初詣と続き、私が結婚してからは安産祈願、子供のお宮参りと続いています。

お祓い中、大きな太鼓の音が体に響き、なんだかとても神聖な気持ちになりました。

お祓いを終え、厄除けのお札とお米・おせんべいをもらいました。

心も体もなんとなく軽くなり、今年1年とても健康に過ごせそうな気持ちになりました。

気分が良いまま、交通安全のお守りと江馬を購入。

最後に大吉を期待し、おみくじを引くと「小吉」・・。

さっきお祓いしたばかりなのに…!

内容も小吉らしいもので、引かなきゃよかったと後悔・・・。

後味はあまりよくありませんでしたが、無事に厄払いを済ませ、今年も元気で楽しい1年にしたいと思います。


医療福祉相談室 向井

2014年1月20日月曜日

第64回 「心に残る名言とペット」


私の好きな、ネルソンマンデラの名言を集めてみました。

ネルソンマンデラとは??
元南アフリカ共和国大統領
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
1918年7月18日生まれ
南アフリカ共和国の政治家、弁護士
南アフリカ共和国での愛称はマディパ


「人は思いやりでつながっていきます。同情やお仕着せではなく共通の苦しみを未来への希望に変える方法を学んだ人間としてです」 

「教育は最強の武器です。教育によって世界を変えることが出来ます」 

「大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す」 

「勇気とは、恐れを知らないことではなく、それを克服することだと学びました。 勇敢な人は恐怖を感じない人ではなく、恐怖を乗り越える人などです」 

「生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある」 

「成功するために大切なのは、どこから始めるのではなく、どれだけ高く目標を定めるかである」 



さて、話はガラリと変わり、私は、休暇を利用してプチ旅行しています。
実家が山口県なので、山口・九州方面が多いです。 

去年は、東京見物・スカイツリー・フィギュアスケート観戦してきましたが、チョー感激しました。

元気な内に今しか行けない…と言い続けて、ハワイ(子供の結婚式)・香港・韓国…海外にも行けました!

私も子育てが終わり、7年前に知人がペットのシーズー犬(シェリー)が飼えなくなった為に、我が家で引き取る事になりました。

それからは、シェリーと一緒に家族旅行の始まりでーすo(^▽^)o 

私が4年前に大病を患い、自宅療養中にシェリーが心臓病と脳梗塞(右半身麻痺)になり介護犬になりましたが、3年前に他界しました。

私の病気を持って行ってくれたのでしょうね(´;ω;`) 

それから一年後 寂しくなった我家にトイプードル犬(りんちゃん)が我が家に仲間入りしました。 

私の趣味は編み物です。
すべて愛犬の服は手編みです。夏はレース糸でテーブルセンター・ジャグカバーなど、昨年は孫が誕生しベスト・帽子・マフラーにチャレンジしています(*゚▽゚*)



暮れにもう1匹、ワンちゃんも増えました。▽・w・▽ももちゃんです。

今は我が家に慣れるまで大変ですがとっても癒されまーす♥♥♥♥♥(((o(*゚▽゚*)o)))


























看護主任 金尾