2014年4月19日土曜日

第73回 「アコースティックギターの話」

何を書こうかなって思った時、やっぱりギターの話にするかと思って書きました。

一応、趣味でやっていますが、始めたのは高校2年生の時だったと思います。
当時は高校で先輩がバンドを組んでいてかっこいいなと思っていましたが、自分は地味に父親の持っていたYAMAHAのギターを弾いて遊んでいました。もともと母親はピアノを、父親はトランペットやギターを弾けて自分も自然と入り込んでいった感じです。小学校5年生、6年生の時に鼓笛で演奏し、中学に入っても音楽部に所属し、トランペットに熱中していました。ちなみに剣道を小学校1年から高校3年までやっていました。そんな中学時代から高校に入ってからギターを弾くのが楽しくなってきた感じです。

父親はフォーク世代で、吉田卓郎、井上陽水、かぐや姫など・・・。まあ、吉田卓郎の「結婚しよう」「神田川」はよく弾いていて、それを聞きながら見よう見まねで弾けるようになった感じで、CDを聞きながらコードを探し弾き語りをやっていました。

短大に入ってからは軽音楽部に入部し、学園祭ではギター・ボーカルをやっていました(5万くらいするエレアコを購入しました)弾いていたのが当時流行っていた「GLAY」「ラルクアンシエル」「19」・・・などで、「山崎まさよし」「ゆず」なんかもやっていました。

それから社会人となり、自分の結婚式で軽音メンバーを招待して学園祭でやっていた曲を演奏しました。他にも友人の結婚式では「コブクロ」の「永遠にともに」を演奏したりだとか、最近では昨年結婚されたリハビリの藤田君、砂取さんの二次会に招待してもらい同じくリハビリの赤繁さんと「一青窈」の「ハナミズキ」を披露したり、今年妹が結婚しましたが、そこでは親戚のおばさんのマンドリンとのセッションで「キロロ」の「未来へ」を演奏しました。

3年前に昔母が保育士として勤めてした幼稚園(自分も行っていた)で、そこの先生の呼びかけで音楽会が開催され、母親と一緒に沖縄の「童神~わらべがみ~」をギターと歌のセッションをしたのがとても印象に残っていて、本当に貴重な体験をさせてもらい母親も自分と一緒に出られたことを喜んでいました。

そして、前述した幼稚園の先生が昨年癌が原因で亡くなられました。病院で闘病生活を過ごされていましたが、ほんとに音楽が好きな先生で(自分の年長の担任の先生)亡くなられる2か月前に、母親が「ギターを弾いて歌ってあげたら喜ばれるから」と頼まれ、自分もお世話になっていたし、母親も本当に色々お世話になっていたので、少しでも力になれればと思い先生の傍で何曲か歌わせてもらい、それを聞いていた先生の優しい顔は忘れることができません。夏川りみの「涙そうそう」、一青窈の「ハナミズキ」、森山直太郎の「さくら」や「浜辺の歌」「上を向いて歩こう」などなど色々歌いました。病院の看護師さんも一緒に交じって歌ってくださいました。

音楽って本当にいいです。これからもギターを大切に(テイラーの15万するギターなので)、時々弾きながら楽しみたいと思います。




看護主任 森貞