2013年4月20日土曜日

第38回 「私のパワーの源」

他府県よりこの地に嫁ぎ、最初は手に職を付けたいと小さな縫製工場へ務めました。
居心地が良く10年務めた頃、急な工場の閉鎖になり、同じように繊維関係に再就職をと考えました。
その少し前、実父・義祖母・義父と次々に親族を亡くし、お世話になった看護師さんの姿に

「いいなー、私もこんな職業に就きたかったなー」

と頭の片隅にありました。
それが急な工場の閉鎖で、どうしたものか家族に看護師になると宣言をしたのです。
家族は冗談だろうくらいのつもりだったようですが、どんどん夢は膨らみ、自分でも驚くほど夢は現実に進んでいきました。

ブランクがあり、すでに記憶力も減退しかけていたので若い人達についていけるか不安はありましたが、そこはおばさんパワーで一生懸命頑張りました。

准看護学院2年の後、福山医師会看護専門学校の24期生として3年間通いました。
通学に片道40k近くかかり、

家庭・仕事・勉強と大変だったでしょう!

よく頑張ったね!

と、みんな言ってくれます。
ところが、あんなに充実し楽しかった日々はなかったというのが実感です。
そう、私は2度目に来た青春真っただ中にいたと、今も思っています。

専門学校なので、年齢も私に近い人が何人もいて、直ぐに友達になりました。
授業や実習が終われば反省会と称し友達とお茶を飲み、悩みを話したり勉強を教えあったり、
しんどさは楽しみへと変わり、かけがえのない友達との学生生活でした。
また、友達と通知表に一喜一憂したのもいい思い出です。

卒業を前にこの友達と別れたくない、何とかしなくてはと考えました。
前おきが長くなりましたが、そこに何か残したいと考え「ひめの会」を立ち上げることをみんなに話しました。そんなに大それたものではないのですが、「ひめの会」発足です。
この「ひめの会」というネーミングにも、何にしようかとあれこれこだわり迷ったものです。

「ひめの会」の決まりは何もありません、ただ24期生で参加したい仲間は誰でも OK!

毎年2回夏と暮れに、同じ月・同じ曜日・同じ時間・同じ店に集まり十数年以上が経過しました。人数的には10人程度で、友達伝いに「こんなことをしてたのか」と新たな参加者もいます。子連れの参加者や時には担任だった先生も出席され、よく食べ、よく話、次の再開を約束してお開きになるのですが、これが私のパワーの源!第二の青春を乗り越えた親友達との楽しい時間です。
また1~2年に1回旅行を計画し、これまでに黒川温泉・立山黒部・伊勢、そして今年は能登輪島へ行きました。枕投げはしませんが夜遅くまで語らい、七尾湾に朝日が昇るのをみんなと露天風呂で眺める最高のシュチエーション!もう来年のリクエストも話あっての帰路でした。

杖を突いても集まりたいネと話す、今日この頃です。

看護主任 有地