2014年1月20日月曜日

第64回 「心に残る名言とペット」


私の好きな、ネルソンマンデラの名言を集めてみました。

ネルソンマンデラとは??
元南アフリカ共和国大統領
ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
1918年7月18日生まれ
南アフリカ共和国の政治家、弁護士
南アフリカ共和国での愛称はマディパ


「人は思いやりでつながっていきます。同情やお仕着せではなく共通の苦しみを未来への希望に変える方法を学んだ人間としてです」 

「教育は最強の武器です。教育によって世界を変えることが出来ます」 

「大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す」 

「勇気とは、恐れを知らないことではなく、それを克服することだと学びました。 勇敢な人は恐怖を感じない人ではなく、恐怖を乗り越える人などです」 

「生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある」 

「成功するために大切なのは、どこから始めるのではなく、どれだけ高く目標を定めるかである」 



さて、話はガラリと変わり、私は、休暇を利用してプチ旅行しています。
実家が山口県なので、山口・九州方面が多いです。 

去年は、東京見物・スカイツリー・フィギュアスケート観戦してきましたが、チョー感激しました。

元気な内に今しか行けない…と言い続けて、ハワイ(子供の結婚式)・香港・韓国…海外にも行けました!

私も子育てが終わり、7年前に知人がペットのシーズー犬(シェリー)が飼えなくなった為に、我が家で引き取る事になりました。

それからは、シェリーと一緒に家族旅行の始まりでーすo(^▽^)o 

私が4年前に大病を患い、自宅療養中にシェリーが心臓病と脳梗塞(右半身麻痺)になり介護犬になりましたが、3年前に他界しました。

私の病気を持って行ってくれたのでしょうね(´;ω;`) 

それから一年後 寂しくなった我家にトイプードル犬(りんちゃん)が我が家に仲間入りしました。 

私の趣味は編み物です。
すべて愛犬の服は手編みです。夏はレース糸でテーブルセンター・ジャグカバーなど、昨年は孫が誕生しベスト・帽子・マフラーにチャレンジしています(*゚▽゚*)



暮れにもう1匹、ワンちゃんも増えました。▽・w・▽ももちゃんです。

今は我が家に慣れるまで大変ですがとっても癒されまーす♥♥♥♥♥(((o(*゚▽゚*)o)))


























看護主任 金尾

2013年12月30日月曜日

第63回 「暇人の本読み」

「本を読むことは実に楽しい」ものです。

そして、本を読むことであたらしい発見もあります。

小学生の頃から、古代文明に憧れて関連の本を読むようになりました。
旅行記、解説書、写真集などよく買っていました。
「本を読むことで、行った気になれる」その程度のことですが、60歳を超えた今でも興味は尽きません。

最近は以前購入した本、古代エジプト史『ピラミッド文明・ナイルの旅』(著者:吉村作治)を読み返しています。その本の著述の一部を紹介します。


"人はよく、エジプトにはピラミッドがあるからそれだけで十分価値があるという。

それも一理あるが、実はピラミッドに負けないくらいおもしろいものが古代エジプト人の人生観である。

彼らは「エジプト人」とはどういう人をいうかを明確にしている。

「ナイル川の水を飲んだ人をエジプト人とする」

と述べているのだ。

すなわち外国人でもエジプト人になれるということなのだ。

そこには偏狭な人種主義はなく、おおらかな価値観を感じる。

また人間は死んだらどうなるのだろうかということを真剣に考えた最古の人たちでもあるだろう。

どんな人でも死は怖い。

だからその恐怖から逃れようとして、古代エジプト人は再生・復活という思想を考え出して

死の恐怖から解放された。

人間は死ぬが、その魂はあの世で復活し、永遠に生きていける。

そして、その魂はあの世からこの世にもどって来られるし、その魂がこの世で入る自分のもとの

肉体を大切に保存しなければと考え、ミイラとした。

合理的である。

しかも誰もが死ぬと復活してあの世へ行けるのではなく、この世にいる時悪いことをしていないというのが条件となる。"


私は考古学者ではないので歴史の真偽はわかりませんが、約4~5000年前の古代エジプト人の知恵です。よく考えたものです。

「実におもしろい!」
薬剤科 加塩

2013年12月20日金曜日

第62回「私の癒し」

私は、みなさまのように 『趣味』 と言えるようなものがありません(涙)

「趣味は?」

と聞かれたら・・・

強いていえば、 『仕事』 と 『子育て』 と答えると思います。

看護師の仕事は自分では『天職』だと思っています。(え~っ!?て思った人がいたらごめんなさい!)
寺岡記念病院に入職し、脳神経外科患者さんと関わるなかで、 『脳神経外科』 のすばらしさに出会い、脳卒中リハビリテーション看護認定看護師を目指し取得しました。

「脳」 ってすごいんですよ~❤❤❤。

脳についてしゃべりだすと止まらなくなります。(気がつくと・・・周りに誰もいない)
一緒に脳について熱く語ってくれる人募集してま~す。

2つ目の趣味と言えるかどうかわかりませんが、私にはかわいい息子が1人います。
かわいいと言っても現在小学6年生の反抗期真っ只中ですが・・・。

そんな息子の影響で、 アニメ『名探偵 コナン』 にはまっています。

みなさんご存知の『名探偵 コナン』は週刊少年 サンデーの人気コミックです。
簡単に説明すると、高校生探偵 工藤新一が、黒の組織の一員(ジン・ウォッカ)に毒薬(アポトキシン4869)を飲まされ、身体が縮んでしまった。小学1年生の姿になった工藤新一が、組織の目を欺くために江戸川コナンと名乗り難事件を解決しつつ、アポトキシンの解毒薬や黒の組織について探りをいれているという感じの話です。「索状痕」・「吉川線」・「アーモンド臭」・「プラスチック爆弾」etc・・・警察用語や隠語もコナンで知りました。(笑)

私の携帯電話のメール着信音も『コナンのテーマ』です。(笑)
休憩室でも時々「ちゃらら~ら~ちゃらら~ら~らら」と鳴っていますが、本館2階のスタッフはみんなもう慣れっこで、「井上さん、コナン鳴ってましたよ」と報告があります。(2階のみんないつもありがとう!!)

毎週土曜日18:00~のテレビ放送も良いですが・・・

私は、毎年4月に公開される映画『名探偵 コナン』シリーズが大好きです。
今年で17作目となっています。私の一押しは2001年公開 5作目の『天国へのカウントダウン』です。コナンくんが超かっこよくて❤❤❤❤特にラストの少年探偵団と一緒に脱出するシーン。何度観ても感動します。今すぐレンタルショップへGo~。

毎回、ハラハラ・ドキドキの名シーンばかりで、何度観てもすてきです。いろんなコナンくんに出会えます。コナンファンとしては、映画は公開初日に1回目を観に行く、そして2回目、3回目を観に行く。DVDが発売になったらレンタルして再度観るといった感じで楽しんでいます。今では息子よりも私の方が、コナンにメロ❤メロです。息子もコナンくんのように、すてきな男子になって欲しいです。

今年は、映画公開時期に『セガ・一番くじ名探偵 コナン』というものが某コンビニで販売されていたため、何度も何度も某コンビニに通いました。A賞~H賞(ラストワン賞というのもあります)まであり、1回500円でした。息子と2人で、計25回くじを引いて・・・全商品ゲット!!しました。

家にはコナンのフィギュアからクッション、タオルにクリアファイルetc・・。コナングッズがあふれています。タオルやクリアファイルなんて何枚あるの?状態です。(^^ゞ 

500円×25回に、家族から冷たい視線が・・。ほんとコナンバカですね。

でも、私の唯一の癒しなんです。

これからも・・『名探偵 コナン』に癒されながら、頑張っていきたいです。 
今一番の楽しみは12月7日公開の映画『ルパンⅢ世VS名探偵コナンTheMOVIE』を息子と観に行くことで~す。 みなさまもぜひ一度『名探偵 コナン』を観てみて下さいね!

看護主任 井上

2013年12月10日火曜日

第61回 「アンドレ・アガシ」

1999年の全仏オープン、アンドレ・アガシは決勝戦をアンドレイ・メドベデフと戦っていた。

当時のアガシは長い低迷期の最中であり、グランドスラムの決勝戦に勝ち進むということは奇跡的なことであった。

かつてはその風貌から異端児と言われていたが、18歳にして世界ランキング3位、1995年には世界ランキング1位となり、最も人気のあるテニス選手の一人であり、スポーツ界でも有名な選手であった。

しかしその余りにも絶大な人気、莫大なスポンサー収入、女優との結婚から実力は低迷し、一時は世界ランキング141位まで落ちてしまっていた。その低迷していたアガシが1999年の全仏オープンでなんと決勝戦まで勝ち上がったことは大きなニュースとなった。

当時高校1年生であった私にとってアガシは大好きな選手であったものの、グランドスラムで勝ち上がることは数少なかったため、アガシの試合をテレビで見ることはほとんどできていなかった。私は驚きと期待の気持ちで日本時間深夜からのテレビ中継を見始めていた。しかし多くのファンの期待とは裏腹に、メドベデフの安定した190km/hrを超えるサーブが冴え渡り、第1セット6-1、第2セット6-2で最初の2セットを落としてしまった。



テニスのプレースタイルにはサーブを中心としたサービスプレイヤーとストローク中心のベースラインプレイヤーという2つのスタイルがある。

1999年当時は時速200kmを超えるサーブを武器とするサービスプレイヤー全盛時代であったため、ベースラインプレイヤーの代表格であるアガシにとって、サービスプレイヤーであるメドベデフのサーブが調子良いこと、さらに2セットを先取されているといった状況は絶体絶命の状態であった。
試合の解説者も、実際に試合を見ていた観客も、また当時の私も、おそらくアガシ自身以外の誰もがアガシが勝つことを完全にあきらめてしまっていた。


アガシが低迷した原因は彼自身を取り巻く環境の変化とそれによる練習不足、そしてそれが攻め急ぎからのミスを誘発していたことであった。
しかし低迷期を経験し、どん底を味わったアガシは再度栄光の舞台に立つという野望を抱えるように変わっていた。かつてのグランドスラム優勝者が、自分自身でゲーム数をカウントするためにナンバーボードをめくるような下部リーグに出場するといった屈辱にも耐えるようになっていた。怠惰な生活を改め、頭も丸め、名コーチであるブラッド・ギルバードと一緒にひたすら練習と肉体改造をしていた。




アガシはあきらめていなかった。

かつて長髪でろくに走らず、一発のストロークエースを武器に活躍していた選手が、メドベデフ190km/hrのサーブを必死で返し、ローラン・ギャロスの赤土にまみれながら、ひたすら走り、ボールを拾い、長いストロークの末に生まれたチャンスボールを往年のストロークエースで決めるというパターンを少しずつ見せるようになっていた。

あのアガシが、低迷していたアガシが走っている。

その姿を見て観客は沸いた。解説者の声にも力が入るようになった。最初の2セットでは小雨交じりの曇り空が、終盤には日が照りつけるようになり気温も上昇していた。当然、私自身も興奮し眠れなくなっていた。観客はほぼ全員がアガシの応援をしていた。アガシコール、ウェーブが巻き起こっていた。

セットカウント2-2、最終第5セット、5-4で迎えた第10ゲーム。40-15のマッチポイント。
メドベデフのフォアのレシーブが、ベースラインを割った。その瞬間、アガシはラケットを投げ捨て両手を空高く上げた。
涙でしわくちゃの顔で立ちつくすアガシ。そんなアガシに歩み寄り、強く抱きしめるメドベデフ。重なった影の上を時間は緩やかに流れた。そんな二人を大観衆の歓声と拍手が包み込み、一つの歴史が作られた。
そこにいるのは、勝者と敗者ではなかった。死力を尽くして戦ったという、達成感・充実感を分かち合う同士に他ならなかった。


人がひたむきに頑張っている姿は大きな感動を呼び、また大きな偉業を達成します。ただそのためには地道な苦しい努力の毎日と、しっかりと頭を使い、より良いものを作っていこうとする工夫が必要です。当たり前のようなことですが、私にとって初めてそれを実感した瞬間でした。

寺岡記念病院に来て二ヶ月が経過し、ここ数年離れていたテニスを再びやり始めたことで思い出したエピソードを紹介させて頂きました。

私にとって大学時代のテニスの師匠も、初期研修医時代の師匠も、そして脳外科医として初めて手取足取り教えて頂いた師匠も、皆まさにそんな当たり前の事を実践している方々でありました。

今後脳外科医として、そのようなとてつもなく困難な当たり前の事を、自分自身どこまで出来るか分かりませんが毎日実践していきたいと思っております。 





脳神経外科 寺西

2013年11月30日土曜日

第60回 「ギザギザ葉っぱ」

エフピコRiM6階にオープンした「こどもの国」。
先日、嫁が結婚式でいないのをいいことに、子供と二人で遊びに行ってみた。
SOGOであった時代から来ていた場所。
そのあとロッツになりそしてRiMへ・・・
いつまでこの負のスパイラルが続くのかわからないが、少しでも貢献しなければ!
6階に行くと、「えほんの国」・「あそびの国」・幼児教室「コぺル」があったが、

体を動かすのが大好きな我が子は迷わず「あそびの国・ギザギザ葉っぱ」へ♪
1歳未満の子供は無料らしが、大人は終日500円。
1歳~12歳までの子供は30分500円。延長15分ごとに250円。
90分券を買えば平日は延長料金なしで一日中遊べるみたい。
お小遣い制の我が身ではちときついか・・・



子供の遊具といえば、福山が誇る企業タカオ。写真では艶があり陶器の様に堅そうに見えるが、中にスポンジを内蔵した柔らか新素材で日本初導入らしい。

足元には全面イラスト入りの衝撃吸収カーペット☆








時間を忘れて遊ぶ我が子。楽しそうに遊んでいるので連れてきたかいはあったが、時間はどんどん過ぎていく・・・

帰ろうと言ってみたが「まだあそぶ~♪」と一蹴。

案の定追加料金が発生しちゃいました(>_<)








雨の日などは遊ぶ所に苦労する子育て世代には大変ありがたいこの施設。

お小遣いが残っていればまた行こう☆

放射線室 開本

2013年11月20日水曜日

第59回 「七五三」

先日、我が息子の3歳の七五三詣りをしました。


始めての事だったので、いろんな人に聞きながら準備をしました。


まずは、写真の前撮り。
子供の意思も尊重しつつ、ほとんど親の自己満足で衣装を選びました。

『羽織袴にタキシード』

子供はフォトスタジオのスタッフの言われるままポーズを決めて、沢山写真を撮りました。

撮影した写真から選りすぐりの写真をセレクトしました。

これも親の自己満足で決めました。

素敵な写真が出来ました。


参拝は、新市町で有名な吉備津神社(通称:一宮さん)に行きました。

ちょうど一宮さんについた時、パラパラと雨が降りました。

確かお宮参りの時も雪と雨と強い風が吹き、最悪の天候だったことを思い出しました。

家族に雨男・雨女がいるとしか思えない・・・と思ってしまいたくなりました。

天候には恵まれませんでしたが、参拝を済ませた子供は七五三には欠かすことのできないアイテム「千歳飴」をもらい息子は大喜びでした。

一生に一度しかない貴重な時間を家族で過ごせたことに感謝しています。

「ケガや病気に負けない強い子にな~れ!」


看護主任 村田

2013年11月9日土曜日

第58回 「三原の祖父母の思い出」

母方の祖父母の家が三原市にあったので、笠岡市に住んでいた子供の頃には、春休み、5月のGW、夏休み、冬休みと学校のお休みの時にはよく泊まりに行っていました。三原駅の南口から、新幹線の高架沿いに西に500m位歩いて少し南に向かうと、家々が立ち並ぶ港町一丁目というところに、間口は狭く、土間が裏口まで通じている東西に長い2階建ての木造の家がありました。土間は家の真ん中で広くなって上り口があり、その上が吹き抜けになっていて天窓から陽が差し込んでいました。玄関わきの縁側からは花火ができ、2階の縁側からは道路向いの駐車場の向こうの西日に映える家々の瓦屋根が見えました。

母は長女で次女、長男、次男、三男の5人兄弟のため、お盆や正月には親戚合わせて20人を超えて狭くなる三原の家は、食事やお風呂もごったがえしていましたが、その混雑もお祭りのようで楽しく感じていました。

祖父は三原の地元企業の帝人に勤めていましたがすでに退職していました。祖母は世羅郡の甲山の出身で「いいえのぅ。」が口癖でした。「いいえのぅ。」とは「ダメ。」という意味です。買い物に行く祖母について地元の三原スーパーに行き、後ろの方から買い物かごにガムとかチョコレートとかこっそり入れると、「いいえのぅ。」としかられて、でもなにかひとつは買ってくれました。少し大きくなってからは、「いいえのぅは、いいえとNOの二重否定だから、結局OKなんじゃ。」と、口ごたえもしましたが。

大半の孫たちが大阪で生活しているので、お盆やお正月には大人数になっても、春休みや5月のGWには、やってくる孫は僕だけのこともあって、あの頃はやや背中の丸くなっていた祖母もまだ元気だったので、小学生の僕を連れて小旅行に連れて行ってくれたことがありました。

三原駅から南へ数分歩くと国道2号線をこえてすぐ海で、三原港があります。その港から船に乗って30-40分揺れると生口島という島の瀬戸田港に着きます。今ではしまなみ海道ができて、平山郁夫美術館や瀬戸田レモンで有名なその町には耕三寺というお寺があります。11月にはきれいな紅葉で知られる境内には、赤いツツジが咲いていたので5月のGWの頃かもしれません。

耕三寺は朱色や金色の極彩色の鮮やかな本堂にも驚きましたが、その隣に入口のある千仏洞地獄峡という地下約15mに掘られた全長350mにもなる地下道(隧道)が輪をかけてびっくりでした。中は薄暗く、たくさんの石造りの仏があり、滝が流れ、数十の地獄極楽図の額が掲げられていました。笠岡の寺の境内で育ったので、仏や地獄極楽の絵図は見慣れてはいましたが、地下道の薄暗いなかでは、子ども心にはだいぶおっかなく、祖母の後ろをついて歩きながら、はやくこの地下道から抜け出たい気分でした。

びくびくしながら歩いた地下道を抜けてほっとした、帰り道の参道で、太助饅頭(たすけまんじゅう)という名物のお饅頭がほかほかと蒸されて売られていました。小さな卵くらいの大きさで、酒粕を練りこんだ白い薄皮で小豆あんを包んである素朴な饅頭は、少し甘酒のようないい香りがして、地下道で疲れたところに恵みのお菓子でした。小さいのでぱくぱく何個も食べてしまって、一気に何個食べたのか忘れてしまいましたが、とても美味でした。太助饅頭が売られていた三浦太助饅頭本舗は閉店されてしまって残念ですが、祖母の「いいえのぅ。」と瀬戸田の太助饅頭は、今も懐かしく思い出されます。


祖父は酒飲みで、煙草吸いで、誰も起きていない朝暗いうちから起きて、玄関を開けて新聞をとり、カチコチと動くゼンマイ式の柱時計がある居間にどっかり座って、タバコに火をつけて煙をくゆらせながら老眼鏡をかけて新聞を読んでいました。

夏休みには、孫たちのなかでは一番朝に強かった僕をつれて、たぶん朝5時くらいに散歩に行くことがありました。行先は家から北にある山の中腹にある三原観光ホテルでした。新幹線の高架をくぐって、今は三原バイパスができていて、その恵下谷ランプがある甲山通りのある谷の道を歩いていき、だんだん上り坂になっていきます。なにかすこしは話をしながら歩いたのでしょうが、明治生まれで口数が少なく、歩くのが速い祖父だったので、ついて歩くのがやっとで何を話したのかは覚えていません。

山の中腹にある三原観光ホテルに着くころには明るくなっていて、そのホテルの隣にある公園で休憩しました。中央公園というその公園からは三原市街地が一望できて、その南に沼田川、帝人の工場、瀬戸内海、そして、山頂から望む瀬戸内海国立公園の多島美は瀬戸内海随一といわれ、風光明媚で知られる筆影山がよく見えました。

毎年8月の第2日曜日を含む金土日にある、とても賑やかな三原やっさ祭りの最終日には花火大会があるのですが、1回だけこの公園から沼田川河口で上げられる花火を見たことがあって、花火が川面に映ってとてもきれいでした。

今でも三原駅から北西の山の中腹に白い建物は見えますが、実際にはホテルも公園も荒廃して見る影もありません。しかし、祖父と眺めた景色は、今も懐かしく思い出されます。



後年、祖父は家の近くの国道2号線で早朝に交通事故にあい、周りの認識もできなくなってしまい、気管切開を受け経管栄養でだいぶがんばりましたが亡くなりました。祖母は何年かはひとり暮らしをしていましたが、叔父のいる大阪に転居し、東西に長い思い出の三原の家は無くなってしまいました。





三原の名物といえば八天堂のくりーむパンが有名ですが、寒くなると同じ港町一丁目にある昭和21年日本初の製法特許を取得した共楽堂の「即席あめゆ」が秀逸です。小箱に入ったその粉には生姜が入っていて、お湯にとかすと穏やかな山吹色になり、生姜のよい香りと麦芽飴のやさしい甘さがじんわりと温めてくれます。優しかった祖父母の思い出のように。


内科医長 松本