2021年9月20日月曜日

第286回 小学校通学路の思い出

私の実家は三原市の大和町で、その中でも端っこの所です。50年以上前のことです。

小学校までは7Kmの道のりがあり、朝645には集合し登校していました。今は過疎地ですが、当時は同級生3人とその兄弟がいたので、にぎやかでした。小さな山を2山越える7Kmの道のりは小学校1年生には遠い道のりですが、親が送ってくれることもありません。私が上級生になり、近所の1年生が泣き出すとおぶって登校したこともありました。7Kmの距離は、何年生の時だったか距離を測る宿題で50mの綱を使って道沿いに測ったことを思い出します。

高学年になると6時間授業があり、冬場の帰りは真っ暗になり、動物が茂みの中をガサガサと動く音やキジやハトの鳴き声が怖かった。途中に池と火葬場がありそこを通るのも怖かった。それでも一人で帰るしかないのです。

途中には、きれいな湧水場所があり手ですくって飲んだり、山に咲くユリやつつじの花の蜜をなめたり、蓮の実や栗を取って食べたり、渋柿を歯でむいて隠しておき甘くなって食べたり、食べられる草花を食べていました。

終業式など給食がない日は、おにぎりを作ってもらい、岩の上で食べて、疲れて眠くなると道の上に寝ころんでいました。曲道だったので車が来たら、轢かれていたかもしれないと思うと怖いですが、車が来ることはありませんでした。

通りがかりのトラックを皆で「載せて」と止めて、タイヤを伝って荷台に乗り、途中まで乗って帰ることもありました。大きなタイヤを登るのに一生懸命でした。その当時のトラックの運転手さんもおおらかな人だったのですね。帰り道はいくつもの山道のコースがあり、道を変えて、木に登っては遊んで帰っていましたので帰りは2時間かかります。

 


こんな環境で育った私は、自然と体と心が鍛えられました。病気になることは少なく、忍耐力が身につきました。今も山が好きで、主人と柴刈りに出かけ、密かに庭園を作るのを夢見ています。

 

看護部 甲斐みどり