2020年3月20日金曜日

第255回 令和元年の3つの出来事

年が明けて、実家の母のパーキンソン病が悪化し、いつとなくウェアリングオフを起こす様になりました。
更に、合わせて精神症状が強くなり目が離せなくなりました。
母が施設利用を嫌がり、兄が自宅で看てやりたいと言い、2人で交代しての介護が始まりました。
普通に会話出来る事もあれば、突然動かなくなったり、徘徊したり、硬直を起こしたり、何時間も眠ったりと変化が著しく、兄の不安も大きくなって徐々に疲労が重なり、苦渋の決断で施設利用をする事になりました。
ところが、利用初日の朝、玄関で母が転倒し骨折してしまい、入院する事となってしまいました。
手術後、骨折は順調に回復しましたが、パーキンソン病悪化の為、誤嚥性肺炎を起こして急変し、あっという間に亡くなってしまいました。
急な出来事で死の受け入れがすぐには出来ず、後悔ばかりが残りました。

実母が亡くなったその時、時を同じくして同病院で義母が癌の宣告を受けていました。
セカンドオピニオンでの出来事でした。
その後12時間にも及ぶ手術を終え、希望を持って抗癌剤治療・放射線治療に臨みましたが、すぐに再発・転移となり、義母は治療継続を断念しました。
「家で死にたい。」と言い、何の準備もないままに帰って来てしまい、在宅緩和が始まりました。
一か月、自宅で穏やかにゆっくりと家族と時を過ごし、皆に見守られながら静かに息を引き取りました。
時間をかけて死と向き合う事が出来、受け入れる事ができましたが、やはり後悔が残りました。

身近な人の死を受け入れる事は、どのような場面であっても容易でなく、後悔の残るものであると思います。
この経験を活かし看護の場で患者・家族の思いに寄り添い、力になれればと日々、思っています。

更に三つ目の出来事として、義母の在宅緩和前後に私自身が生まれて初めての手術を経験しました。
右眼が角膜潰瘍を起こし、眼科受診をしたところ、コンタクトレンズ禁止を医師から言い渡されました。
左眼は白内障を起こしており、ほぼ見えていない状況で、右眼の回復を待って左眼の手術を行いました。
更にバランスを取るために右眼の白内障も手術しました。
ぼんやりしか見えない生活が暫く強いられた中、義母が帰って来たため、大変な毎日でした。
両眼の手術を終えた今は良く見えるようになり、永年お世話になったコンタクトレンズからは卒業する事となりました。
改めて眼が見える有難さが思い知らされています。
そして手術を受けるという不安な思いも経験し、この事も今後の看護の場で活かす事が出来るなと思っています。
令和元年、本当に大変な一年でした。

看護部 川相