2015年3月20日金曜日

第104回 「今を振り返って」

「人の役に立つ仕事につきたい」

看護師をしていた叔母の影響で、私は看護師を目指し、高校卒業後島根県から岡山県の看護学校へ進学しました。

当時、国立の看護学校は全寮制で4人部屋、門限や消灯など寮生活の厳しい規則がありました。慣れない寮生活で、最初は戸惑いましたが、今思えば楽しい寮生活でした。現在も、同窓会は続いています。

昭和54年に看護師免許を取得して、最初の就職先は、神戸大学医学部附属病院、配属は整形外科病棟でした。
先輩看護師はプライベートでもよく面倒を見てくれ、家に招待していただき、食事をご馳走してくれたりしました。また、同期の医師・看護師も多く「54会(ごーよんかい)」という同期の会もあります。医師5人・看護師9人の会で、毎月休日を合わせて、六甲へハイキングに行ったり、飲み会をしたり、仕事の悩みを打ち明けたりと、縦や横のつながりが多くありました。
症例カンファランスは、医師・看護師合同で行われていました。1年しか神戸にはいませんでしたが看護や整形外科の基本をきちんと勉強させてもらったと思っています。

その後、私は実家のある島根県に帰り、大学附属病院の開院立ち上げから勤務することとなりました。そこでも整形外科病棟に配属になり、神戸で学んだことを現場に活用することができ、やりがいを感じることができました。
結婚を期に福山に来て、寺岡記念病院に就職しました。
あまりの忙しさに、なかなか慣れませんでしたが、寺岡記念病院へ就職して、もう30年以上も経過したのかと改めて思います。
本館4階の内科病棟、本館2階の脳神経外科病棟、整形外科病棟や手術室、外来など全ての科を経験する機会を得ました。私の今があるのは、新卒時代きちんと基本を学んだことが自信となり、当院で応用対応ができたからだと思っています。
また、子育ての大変な時期も、主人をはじめ周りの助けをもらいながら仕事を続けることができました。

人との関わりは大事だと思います。人間関係にも恵まれていました。子供が私と同じ看護の道に進んでくれたことで私の看護師人生は報われたと振り返ります。

みなさんに感謝して、悔いの残らない人生を歩みたいものですね。

副看護部長 黒田