2014年7月11日金曜日

第81回 「クイズ・なぞなぞについて」

私は、TVで観るものといえば、スポーツ、お笑い・バラエティー、そしてクイズ番組です。

雑学を身に着けるのにはうってつけです。

雑学王といわれる人はそれこそとんでもない量の知識を持ってますね。

「なんでこんなことを知ってるんじゃろうか?」

私はそんな知識で勝負するクイズよりも頭を使うクイズ、いわゆる「とんち」のほうが好きです。


最近耳にした、なかなかしゃれたクイズがありますのでご紹介します。



1.「ちっとも懐かない手乗り文鳥がいます。飼い主は手のひらに大好物のエサを置いて誘っています。このとき、文鳥はどう思っていたでしょうか?」



2.ある植物学者がこんな発表をしました。「この植物は茎だけで成長します。」この話は本当か、嘘か?

3.Tで始まり、Tで終わる英単語で中もTで満たされているものは?



さて、答をここに載せると頭の体操になりませんので、知りたい方は私にご連絡下さい。

答を聞くと、

「ん~。なるほど。そうか~。」

と、思いますよ。

「やわらかなあたま」これはケータイのメールを打つときに、すべて「あ」行で成り立っているフレーズです。


凝り固まった頭をときどきほぐしてみては如何でしょうか。


外科部長 浦久保

2014年6月30日月曜日

第80回 「熱中症とは」

熱中症とは、室温や気温が高い中での作業や運動により、徐々に体内の水分や塩分などのバランスが崩れ、体温の調節機能が働かなくなり、体温上昇、めまい、体がだるい、ひどいときにはけいれんや意識の異常など、様々な症状をおこす病気です。

家の中でじっとしていても室温や湿度が高いために、熱中症になる場合がありますので、注意が必要です。 

熱中症について正しい知識を身につけ、体調の変化に気をつけるとともに、周囲にも気を配り、熱中症による健康被害を防ぎましょう。


熱中症の症状
○ めまい、立ちくらみ、手足のしびれ、筋肉のこむら返り、気分が悪い

○ 頭痛、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感、いつもと様子が違う

重症になると、

○ 返事がおかしい(呼びかけに対し反応がおかしい・会話がおかしいなど)、意識消失、
   運動障害(普段通りに歩けないなど)、けいれん、からだが熱い


熱中症予防のポイント

○ 部屋の温度をこまめにチェックしましょう ! (普段過ごす部屋には温度計を置いておきましょう)

○ 室温は28℃を超えないように、エアコンや扇風機を上手に使いましょう !

○ のどが渇いたと感じたら必ず水分補給しましょう !

○ のどが渇かなくてもこまめに水分補給を心がけましょう !

○ 外出の際は体をしめつけない涼しい服装で、日傘や帽子などで日よけ対策もしっかりと !

○ 無理をせず、適度に休憩をとりましょう !

○ 日頃から栄養バランスの良い食事をとりましょう !

熱中症の応急手当

✚涼しい場所へ
エアコンが効いている室内や扇風機・うちわなどで風をあて、体を 冷やす、風通しのよい日陰など、涼しい場所へ避難させる

✚からだを冷やす

衣服をゆるめ、からだを冷やす

(特に、首の周り、脇の下、足の付け根など保冷剤、氷、冷たいタオルなどで)

✚水分補給

:水分・塩分、経口補水液※などを補給する

(水に食塩とブドウ糖を溶かしたもの)

厚生労働省ホームページ「熱中症関連情報」参照


薬剤科 清水

2014年6月20日金曜日

第79回 「過去へタイムスリップ」

私の母は、現在一人暮らしをしています。
今年で78歳になります。
遠方でなかなか会えませんが、メールでやり取りしたり、電話をしたりと連絡は欠かさず取り合っています。電話で話し始めるとなかなか話が尽きません。話していると、ついつい時間を忘れてしまい、夫に注意されてしまう事も度々あります。

先日もいつものように、母から電話がありました。

押入れの整理をしていたら、私の小学校の文集が出てきたと言うのです。
母は、文集を読んで懐かしがって電話してきたのでした。

私の小学校の頃の思い出を次々に話し始めました。
私が忘れていた話や、今まで知らなかった話をうれしそうに話しはじめます。

そんな母ですが、最近物忘れをする事が多くなりました。
自分でも忘れないように工夫しているようです。カレンダーが真っ黒になるくらい予定が書き込んでありました。でも、電話では思い出話が嘘のようにどんどん出てくるのです。びっくりしました。

先日、母に会いに実家へ帰りました。
ダンボール箱の中に、私の小学校時代の文集や日記帳がまとめてありました。

懐かしく手に取ってみました。

何十年ぶりに読むのでしょう。
小学生時代に書いた私の直筆の活字がそこにはありました。
400字の原稿用紙に、はみ出しそうな大きな字が並んでいました。
小学校2年「将来の夢」と題した作文に、

「私は花屋さんになりたい」

と書いていました。

友達の作文は、「将来、野球選手になる」「将来ピアノの先生になる」と書かれていました。
読んでいくうちに、小学校時代に戻ったような気分になり、作文を書いている時の自分を思い出してきました。あの時の教室の風景や、作文を考えて書いている自分、友達の顔や担任の先生の顔。懐かしい思い出が蘇ってきました。40年前の自分の頭の中を覗いている気分です。過去へタイムスリップしたと言えばかっこいいかもしれません。茶色のざらざらした紙に印刷され、勿論カラー印刷ではない、友達の手書きのイラストが添えてある、1枚1枚手で折って束ねてホッチキスで閉じて自分たちで手作り製本した記憶もよみがえってきました。

母の記憶力も感心しましたが自分の記憶力も順序をたどれば思い出していくものだとつくづく思いました。そして写真も思い出になるけれど、一生懸命に考えて書いた文章はかけがえのない「その時の自分」そのものだと思いました。

今ここに書いている文章が10年後に読んだら懐かしく思い出されるでしょうか。
これからもずっと母と笑いながら語り合っていきたいと思います。


看護主任 小川 智穂子

2014年6月10日火曜日

第78回 「郷土のあるべき姿」

広島カープ 強いですね。

昨年終盤からの勢いを今シーズンにそのまま持ち込み、セリーグは予想外?の展開になっています。
最近はマツダスタジアムに出かけると、スタンドでは老若男女を問わない一体感のある応援、溢れんばかりのお客さんは球場内の各種ショップに詰めかけ、試合後の広島駅周辺の飲食店はどこも満員といった状況になっています。まさに地域活性化を目の当たりする状況です。

スポーツによる地域活性化効果について 中国地方総合研究センターの本郷満さん は経済面だけではなく、社会面(地域への愛着、コミュニティー及び社会参加意識の高揚)をあげておられます。最近政府の新成長戦略である「日本再生ビジョン」においてプロ野球の16球団拡大が地域活性化案の1つとして打ち出されました。これもまた、スポーツによる社会面を含めた地域活性化を期待するものと考えられます。

地域を単位とする社会意識は、スポーツ関係だけではなく医療界においても近年キーワードになりつつあります。

平成26年度の一般歳出の約三割を社会保障費が占めており、今後の高齢化とともに社会保障費は急激な増加が見込まれています。また地方における二次医療圏の設定や医療従事者の確保などが、国主導の体制であることも問題点として指摘されています。

地域に適した医療のために 医療提供の量(病床数)、質(医療提携、医療安全)の評価と配分、包括ケア(検診や医療と介護の切れ目なく高齢者を支えあう仕組み)などの医療システムの再構築が地域主導で行われようとしています。

人々の価値観は多様化し、社会状況も変化します。地域における課題も多様化し、教育や環境などの問題も地域を単位とする対応がすすめられてきています。

広島で生まれ育った人たちにとってカープは郷土の象徴であり誇りでもあります。数十年ぶりのカープの快進撃を見守りながら、後年の郷土のあるべき姿にも、少しばかり思いを巡らせてみたいと思います。


内科 河野



2014年5月30日金曜日

第77回 「米作り」

この地域にも、お米を作っておられる方もたくさんいらっしゃると思います。
多くの方がコメ作りの大変さを知っておられることでしょう。

私の家も代々米作りや野菜を作って家族で食べていました。両親が亡くなるまでは、手伝ってくれと言われない限り自分から手伝う事がありませんでしたので、コメ作りのやり方は一切知りませんでした。

さあ大変、5年前に両親が亡くなり米作りの事は何も知りません。
ですが、田んぼを荒らしたらいけない、草が生えて隣の田んぼに迷惑をかけてはいけないなどの理由で米作りを継続することにしました。手間暇を考えるとお米を買って食べるほうがずっと安上がりだとは考えましたが。

田んぼをトラクターで耕す事はやっていましたので分かるとしても、苗をどうするのか、苗の品種はなんだろうとか、肥はどうするのか、除草剤はどうするのか、田植えをした後の水の管理はどうするのだろうとか分からないことばかりでした。

1年目、4月頃近所のおじさんに父が作っていた苗の品種を教えてもらい知り合いに苗を作ってもらう事にしました。次に肥料と除草剤・殺虫剤を購入していたところを教えてもらい注文し、肥料屋さんからいつどういう方法でやればいいのか教えてもらい田植え前の準備が出来ました。これだけではなく石崖の草をむしったりやることがいっぱいありました。

そして、田んぼに水を入れ代掻きをするのですが水がたまるとモグラの穴などから田んぼに穴があき水が流れ出してしまって大変でした。昔、父が丁寧に雑なことをするなとよく怒っていましたがなんとなくわかるような気がしてきました。

なんとか代掻きを終え水漏れも少なくなり後は苗を植えるだけですが、植え方も植える量も近所のおじさん方の指導を受けながらとにかく植え付けを終わらせました。

ここからがまた大変でした。朝起きて田んぼに穴が開いていないか見て回り、水がなくなっていないか見て回ったりと油断していると大きな穴があいていたりしました。

川に水がたくさんあるときは問題ないのですが、雨が少ないと田んぼに水がない状態になってしまいます。自然のことなのでどうしようもないことと分かりながらも、これが近所間のトラブルになっていることもありました。

8月・9月になりますと今度は、稲が台風などで倒れないか心配しなければなりません。

それと、イノシシが田んぼの中を走った為その対策もしなくてはなりませんでした。

やっとの思いで10月の初旬に稲刈りを行いました。前年の収穫と比べると袋の数が少ないようでした。初めて自分ひとりでコメを作って収穫をしてみると大変さが身にしみてきます。それとは別に、収穫の喜びとやっと終わったと思う満足感を得たように思いました。

2年目、春になるとまた1年生でした何をすればいいのかな、どういう段取りでしたかなと、近所のおじさんに探りを入れながらやり始めましたが、少し変わってきたのは田んぼに穴があかないようにするにはどうしたらいいか、水の入れ方はどのやり方がいいか、少し考えてコメ作りをやろうと思いだしたことです。

3年目から5年目、少し欲が出てきました。収穫量の事を考えるようになってきました。

近所の人と今年はこれだけ収穫できた、去年より少なかったのは肥料が足らなかったのかなとか一人前の口をきいている自分がいました。

まだ父が作っていた時の収穫量はありません。何かが違っているのでしょうね。

コメ作りが、割に合わないのは実感しました。農機具や肥料・農薬など費用がかさむばかりで大変です。ただ、収穫時の達成感と自分の作った米を毎日食べられる喜びが、また次の年もコメ作りをさせてしまうのかもしれません。

今年も、田植えの季節になりました。今年はこうしよう、ああしようと思いつつ5月の終わりから田植えをしておいしいお米を作ろうと思っています。

放射線室長  鉾崎

2014年5月20日火曜日

第76回 「我が家のセラピー犬」

我が家の愛犬を紹介します。

名前はミミで7歳、犬種はパピヨンです。



まさに私の癒し、我が家のセラピー犬です。
どんなに疲れて帰っても、喜んで出迎えてくるミミの姿をみたら疲れがとれ、明日も頑張ろうと思わせてくれます。また、私には子供2人いますが、子供が成人した今、いつもそばで寄り添ってくれるミミは末娘のようでとても愛らしい存在です。

散歩が大好きですが、とくにミミはボール遊びが大好きです。
晴れた休日は近くの土手に行きボール遊びをします。
一生懸命ボールを追いかけている姿に、周りの人から、

「わー、すごい!」

と、歓声があがることもありますが、

「もしかして訓練ですか?」

と言われたこともあります。



散歩は、夏は暑くて日焼けして冬は寒くて凍えそうですが、歩いて季節の変化を肌で感じることができます。また、散歩に行く土手はどこからともなく人が集まってきてゲートボールをしている人、ジョギングをしている人、たまにはチャッチボールをしている親子もいて、時間に追われる日常と違ってそこではゆっくりと時間が流れている気がしてリフレッシュできます(*^_^*)


主任看護師 前原

2014年5月10日土曜日

第75回 「つながるラジオ ~未来への絆~」

「広島をきらきらさせる周波数」。

そんな謳い文句の映画 「ラジオの恋」 がこの2月に尾道の劇場を中心に公開となった。
ロケ地も役者もすべて広島。やる気を失ったラジオパーソナリティーが、少女との出会いをきっかけに自分の心の奥にしまった大切なものをさがしにいく、心温まるファンタジーだ。情報が氾濫する現代においても、発信の一方向性にとどまらず、リスナーとの絆を大切にするラジオは、若い世代に根強い人気を保っている。

私が生まれたのは神戸の小さな社宅、どこにでもある一般的な家庭だった。
サラリーマンの父と、働き者の母の間の一人っ子として、ごく普通に育てられた。
ただひとつ、テレビが家になかったことを除いては。

両親はテレビのある家庭環境で育った、それにも関わらず新居に準備しなかったのは、「テレビは家事や仕事の妨げになるから」であった。

いつも「教育方針では」という高尚なご指摘を受けるが、違う。
単に、両親ともにテレビが嫌いであっただけである。
生まれた時からテレビ放送に感化されずに生活していた私は、家の中でかかっているラジオ番組を聞きながら過ごしていた。
主にNHK第一放送、ときどきはNHK FM。
ラジオは私にとって魔法の小箱だった。
「おはなしでてこい」で表情豊かなお話のおじさん、おばさんの語りに釘づけになるかと思えば、「上方演芸会」と「真打共演」に笑い転げ、「日曜名作座」の深すぎる大人のドラマに首をかしげ、70年代ポップスは大人顔負けに歌いこなした。もっとも歌詞の内容なんてさっぱりだったけど。

なかでも面白かったのは実況中継だ。
野球も相撲も箱根駅伝も、オリンピックだってラジオで応援した。アナウンサーのたくみな解説におおきな球場や国技館の様子が手に取るように分かった。ただ、問題はすべてが想像であったということ。大学時代まで野球の守備、ショートは二人いると信じて疑わなかった。だってほんとにすばしこいんだもの。

そして、その後の私に大きな影響を与えたのは、やはりクラシック番組だった。
幼少のころはラジオから流れるバックミュージックにすぎなかったが、レコードのかけかたを習得してからは、家にあるクラッシク名曲大全を片端から聴いていった。当時は、絵本感覚で、分からない漢字を飛ばしながら曲目解説を読んでいたが、学童期にピアノを師事するようになってからは、「音が見える」感覚が養われていった。

両親は彼らなりに私が芸術や自然に直に触れられるよう努力してくれた。
普段、ラジオと音楽と想像の世界に閉じこもっていた私にとっては、巨匠の息遣いを感じる芸術作品や、古来の神様がすむ自然は貴重な存在だった。それは、クラシックコンサートや、美術館、そして週末ごとに出かける近郊の山々だったりした。私は山へ出かけるのが大好きだった。誰にも気づかれずにひっそりと咲く花々、虹色のとかげ、まだまだ練習中の鶯たち。山の大人たちはとてもやさしく、小さな私が歩いていると褒めてくれたり、おやつをくれたりするので、ますます得意になってずんずん歩いていったものだった。物心ついてからは、より広い世界を体験するために、ボランティア活動へ送り出された。それは高齢者施設だったり、知的障害者のサークルだったり、精神障害者の復帰を受け入れる食茶房だったりした。そこでのたくさんの出会いが、その後の人生に大きな影響を与えることとなった。

その一方で、普段テレビで慣れていない分、映像に対する感受性は極端に強かった。
端的に言えば、映像が怖いのだ。小学生時分、「日本昔ばなし」のアニメが怖くて、旅行先の部屋から逃げ出した。同じころ、初めてのディズニーランドでは、シンデレラ城ミステリーツアーが怖くて(映像が本物と思い込み)、動けなくなった。映画館ではいまでも緊張と恐怖で震えが止まらない。たとえそれがコミカルな内容であっても。刺激が強すぎるのだ。その映像の記憶は鮮明で、自分も映写機になれるのではないかと思うほど、その内容を思い出すことができる。
もちろん寝られなくなることもしばしばだ。
また、普段はラジオから聴力と第六感を活用して、様々な状況を想像する、「音を見る」生活をしているのだが、テレビ制作番組は音声と映像を一緒に提供してしまう。つまり、私の頭の中ではテレビの音から作り出された自分の想像と、映像による実際の状況との間での修正が常に必要となる。テレビを「ぼーっ」と眺めていることができないので、短時間でも非常に疲れてしまうのである。

小学校に上がってから中学時代までは、同級生の間で「常識」とされる、テレビの話題についていけず、しばしばいじめの対象になった。CMを元に「くずおかんちょー胃腸薬」という不名誉なあだ名もつけられた。もっとも当人は、ピアノを始め音楽の勉強に忙しく、友達と遊ぶこともなかったから、1年間の学級崩壊も経験したが、精神的な影響はほとんどなかった。いじめられないよう、家にテレビを買うなど、言語道断。私にとってテレビは恐怖のパンドラの箱であった。

私とテレビの関係が大きな転換期を迎えたのは小学6年生のときだった。
ときはNASA再興期。チャレンジャー事故以来、初めての打ち上げとなったエンデバー号で毛利衛さんが宇宙飛行士として飛び立った。その宇宙滞在中に行われたNHK「毛利さんの宇宙授業」。そして、帰還後となる「毛利さんの宇宙報告」。これに私は生徒の一人として参加したのである。いつもラジオで聞いていたスペースシャトル打ち上げの様子が大画面に映し出される。そして初めて見るシャトル内の様子。カメラの視線も忘れて釘づけになった。その一方で、秒単位のスケジュールの中、宇宙との限られた交信時間を守ろうと、スタジオは異様な緊張感につつまれていた。一見華やかに見える画面の裏側にはたくさんのスタッフさんの協力があることを知った。このとき、見る側ではなく、発信する側の作業を垣間見ることができたことは貴重な体験となった。

いまでも私の生活の中心はラジオだ。1日の始まりは「バロックの森」、終わりは「ラジオ深夜便」だ。
往年の懐かしいアナウンサーの声を聴ける深夜便は、不眠時の安定剤だ。テレビなんて、なくていい、とは今は思っていない。このおかげで大好きな真央選手の応援もできるし、映像自体が芸術作品であると思う。ただ、「テレビが嫌いだ、必要ないから買わない」という強い意志をもっていてくれた両親に。代わりに精神的にもっと広い世界をみせようとしてくれた両親に、いまは感謝したいと思う。小さな私にとって、情報の氾濫がなかったからこそ、本当の姿を見るための、心の目を育てることができた。小さな表情のうごき、声の抑揚、しぐさ、それらから患者さんの感情を受け取る。苦痛をよみとる。それはいまの私に大きな力となっている。これは診療や、大切なひととのコミュニケーションには欠かせないが、しばしば必要以上の情報までわかってしまい、自分自身が傷つく危険もある、諸刃の剣だ。これからも大切に上手に使い、次の世代に伝えていきたいと思っている。

「ラジオの恋」、ひととひととのつながりが築くこの優しい奇跡がこれからも続いていくことを願っている。

脳神経外科 葛岡