2014年4月30日水曜日

第74回 「刃物を研ぐ人」

黙つて刃物を研いでゐる。

もう日が傾くのにまだ研いでゐる。

裏刃とおもてをぴつたり押して

研水をかへては又研いでゐる。

何をいつたい作るつもりか、

そんなことさへ知らないやうに、

一瞬の気を眉間にあつめて

青葉のかげで刃物を研ぐ人。

この人の袖は次第にやぶれ、

この人の口ひげは白くなる。

憤りか必至か無心か、

この人はただ途方もなく

無限級数を追つてゐるのか。    (1930・6)




二十歳のころ、私は白凰社の高村光太郎詩集を手にした。以来私のバイブルになった。
ページはセピア色になり、ずいぶん手垢がついてしまったが。

今年に入り、新聞広告のカルチャースクールで「包丁を研ぐ」という講座があり目に留まった。
応募したが、定員に達しないため7月に順延するとのこと↓↓↓。

7月にも応募者が少なければ、年内にはないかも? とちょっと危惧している・・・・・。
私の袖が破れ、口髭が白くならないうちに開かれますように!

神様・仏様・光太郎様・・・そして皆さま、包丁研ぎませんか?
切れ味抜群の包丁で誰か私にご馳走を振る舞って下さい、残さず食べますよ(合掌)。

リハビリ室 木村

2014年4月19日土曜日

第73回 「アコースティックギターの話」

何を書こうかなって思った時、やっぱりギターの話にするかと思って書きました。

一応、趣味でやっていますが、始めたのは高校2年生の時だったと思います。
当時は高校で先輩がバンドを組んでいてかっこいいなと思っていましたが、自分は地味に父親の持っていたYAMAHAのギターを弾いて遊んでいました。もともと母親はピアノを、父親はトランペットやギターを弾けて自分も自然と入り込んでいった感じです。小学校5年生、6年生の時に鼓笛で演奏し、中学に入っても音楽部に所属し、トランペットに熱中していました。ちなみに剣道を小学校1年から高校3年までやっていました。そんな中学時代から高校に入ってからギターを弾くのが楽しくなってきた感じです。

父親はフォーク世代で、吉田卓郎、井上陽水、かぐや姫など・・・。まあ、吉田卓郎の「結婚しよう」「神田川」はよく弾いていて、それを聞きながら見よう見まねで弾けるようになった感じで、CDを聞きながらコードを探し弾き語りをやっていました。

短大に入ってからは軽音楽部に入部し、学園祭ではギター・ボーカルをやっていました(5万くらいするエレアコを購入しました)弾いていたのが当時流行っていた「GLAY」「ラルクアンシエル」「19」・・・などで、「山崎まさよし」「ゆず」なんかもやっていました。

それから社会人となり、自分の結婚式で軽音メンバーを招待して学園祭でやっていた曲を演奏しました。他にも友人の結婚式では「コブクロ」の「永遠にともに」を演奏したりだとか、最近では昨年結婚されたリハビリの藤田君、砂取さんの二次会に招待してもらい同じくリハビリの赤繁さんと「一青窈」の「ハナミズキ」を披露したり、今年妹が結婚しましたが、そこでは親戚のおばさんのマンドリンとのセッションで「キロロ」の「未来へ」を演奏しました。

3年前に昔母が保育士として勤めてした幼稚園(自分も行っていた)で、そこの先生の呼びかけで音楽会が開催され、母親と一緒に沖縄の「童神~わらべがみ~」をギターと歌のセッションをしたのがとても印象に残っていて、本当に貴重な体験をさせてもらい母親も自分と一緒に出られたことを喜んでいました。

そして、前述した幼稚園の先生が昨年癌が原因で亡くなられました。病院で闘病生活を過ごされていましたが、ほんとに音楽が好きな先生で(自分の年長の担任の先生)亡くなられる2か月前に、母親が「ギターを弾いて歌ってあげたら喜ばれるから」と頼まれ、自分もお世話になっていたし、母親も本当に色々お世話になっていたので、少しでも力になれればと思い先生の傍で何曲か歌わせてもらい、それを聞いていた先生の優しい顔は忘れることができません。夏川りみの「涙そうそう」、一青窈の「ハナミズキ」、森山直太郎の「さくら」や「浜辺の歌」「上を向いて歩こう」などなど色々歌いました。病院の看護師さんも一緒に交じって歌ってくださいました。

音楽って本当にいいです。これからもギターを大切に(テイラーの15万するギターなので)、時々弾きながら楽しみたいと思います。




看護主任 森貞

2014年4月10日木曜日

第72回 「WE製真空管アンプ」

さてさて、3巡目に入りました。
次第にディープな世界に入るのがコワイですが、仕方ないので入りましょう。

前回のお話(「早春の三曲」)で、僕が音楽を聴くのが好きであることはお分かりと思いますが、音楽を出来るだけ「いい音」で気持ち良く聞きたいと願い、オーディオの泥沼にもかなり足を踏み入れています。その中でもアンプ(音を増幅する機器)の大部分が実は真空管式なのです。

今では電気器具のほとんどは半導体を使うものになり、真空管は「前世紀の遺物」だと思っていませんか?実用機器は効率重視で、半導体が主体なのは当然なのですが、ただひたすら「いい音」を求めるこの世界では、楽器用のアンプも含めてまだまだ真空管式が幅をきかせています。

半導体では、電子が通過し増幅される場所が固体の中であるのに比べ、真空管は妨げられるもののない真空状態の空間を電子が飛ぶ、というのがアンプの「増幅素子」として優れている点である、と信じる人も多いのです。最近になってあらたに真空管ないし、そのアンプを作るようになったメーカーもいくつかあるのが現状です。

1999年の夏にふとしたきっかけでウエスタンエレクトリック(WE)300Bという米国製の真空管を使ったキットアンプ(組み立て式)を作ったのがはじまりで、この更に泥沼な世界に足を踏み入れることになっちゃいました。

なにしろ当時持っていたマッキントッシュ(コンピューターとは別メーカー)という有名メーカー(これも米国製)の半導体アンプと聞き比べ、そのあまりの世界の違いに驚愕したのです。

何しろ真空管アンプの方はアマチュアの初めて作った、ごくごく単純な回路の出力10Wのアンプ。
一方マッキントッシュの方は「世界の・・・」といっていいメーカーの一流品で出力は150W。

でも圧勝したのは真空管君の方だったのです。

ジャズのライブ盤を聞いて、その録音したクラブのタバコの煙くさい(?)空気まで再現してくれる実力には、驚きを通り越して、あきれたものです。アンプを作って最初に音を出したときに、思わず「おーい、おーい」と、タンノイオートグラフを聞いた五味康祐さんのように(なんの比喩か分からないと思いますが)おもわず家内を呼んでしまいました。

それ以来、自宅のオーディオのアンプ部門はほぼ100%真空管式となり、今では10台ほどの真空管アンプが生息しております。(怒←家内)

ここで間違えて欲しくないのは、真空管=ノスタルジックな音、では全くない!!ということ。切れ味鋭い音から、真綿のように柔らかな音まで、自由自在に再現できるのが特徴です。再現が特に難しいとされる、人の声や弦の音色を精妙にreproductしてくれる能力をもっているのです。

また、真空管ってすぐ「切れる」でしょ?というのも大きな間違い。
古い電球とは違って、上に出てきたウエスタンエレクトリックというメーカーの製品など、稼働寿命数万時間以上といわれ、数十年使ってもびくともしないものがたくさんあります。ただし機械がとてもhotになるのはやむを得ず、冬は暖房機器としても利用できます。(強がり)
うちに帰り、まず真空管アンプに「火を入れる」。この瞬間が最高ですね。
透明なガラス越しに見えるボーッと点灯した真空管の穏やかなあかりが、疲れた頭と体をじんわりと癒やしてくれる。どうですか?一度、音楽好きなあなたも経験してみませんか?

院長 武田