2012年11月10日土曜日

第22回 「笠岡ラーメンの思い出」

県道笠岡井原線に面した以前の実家の斜め向かい、保育園の隣におじいさんとおばあさんでやっているラーメン屋がありました。

小学校低学年の頃の記憶です。

そのラーメン屋は畳3つを横につなげたくらいの細長い小さな店で、色のあせかかったのれんをくぐると、左手には1畳くらいの調理場で、ずん胴が2つ湯気を立てていて、奥の壁には2階の物置に登るための垂直なはしごがあり、右手にはやっとラーメンが置けるくらいの奥行しかないカウンターと木製の丸イスが6つくらいの狭い店でした。
昼間は閉まっていて、夕方にのれんが掛けられ、夜遅くまで開いていました。客筋はおっちゃん達が多く、狭い店内が一杯の時には、店の外に木製の縁台を置き、ラーメンをすすっていました。
父が留守の時には、そのラーメンの出前を取ることがあり、スープがこぼれないようにラップされて、平べったい輪ゴムで丸くとめられたどんぶりが3つ、木製の岡持ちで届けられました。
小学校低学年の僕は早く食べたいと焦ってしまい、平べったい輪ゴムがうまくはずせなくて、ラップと輪ゴムが一気にはずれて熱いラーメンのスープを飛び散らせてしまうのでした。
琥珀色の鶏ガラのスープと、麺に載せられたチャーシューに子供用に少しだけ振られたコショーの香り、立ち上る湯気。ラーメン屋は駄菓子屋と違って子供には敷居が高く、でも、ファミリーレストランやコンビニがなかったあの頃には、ラーメンの出前はちょっとぜいたくな喜びでした。

同級生には、そのラーメン屋のおじいさんの孫の梅さん、小学校から近い長屋に住んでいた京子ちゃんがいて、僕はひろしで、ちょうどその頃、「ど根性ガエル」というアニメがテレビで放送されていました。
何度も夢に見たのですが、たった1度だけ、梅さんが、店が開く前の午後4時くらいに偶然おじいさんが出かけた時、こっそり僕にラーメンのスープをつくってくれたことがありました。いわゆる笠岡ラーメンはラーメンにかしわが載るのですが、そのラーメン屋はシャーチューが載り、その煮汁をまず、ペットボトルのキャップくらいの量をどんぶりにいれて、その上に鶏ガラのスープを注いで出来上がりました。梅さんの得意そうな表情、きれいな油の浮いた透明な琥珀色のスープ、鶏ガラの匂い、立ち上る湯気。おじいさんに見られたら怒られやしないかと、ドキドキしながらスープを飲みました。おいしかった。

 その後、そのラーメン店はおじいさんも亡くなり閉店しました。市の区画整理で街の姿も変わり、京子ちゃんは転校し住んでいた長屋もなくなり、僕の実家の場所も変わりましたが、数年前、そのラーメン店は新しい場所に開店しました。店主は梅さんでした。なんとなく気恥ずかしさもあり、行こうか行くまいか迷ったのですが、1度だけ梅さんの作るラーメンをひとりで食べに行きました。そこにはおっちゃんになった梅さんがいました。お店は奥さん、娘さんらしき人と切り盛りされていました。覚えてくれてないかもしれないし、名乗りはしませんでした。でも、梅さんのラーメンは、40年近くの時間を超えて、僕を懐かしく温めてくれました。

追記。

そのラーメン屋はチャーシューが載っていますが、いわゆる笠岡ラーメンは、かしわが載っています。かしわは初めて食べると固く感じるかもしれませんが、噛みしめていくと味わい深く、美味です。

ちなみに11月30日まで、笠岡ぐるっと博2012ぐるめ・めぐりスタンプラリーが開催中です。11月18日には、大道芸人さんの出演もある、いちょう祭りかさおか2012が開かれるそうです。また、笠岡湾干拓地にできた道の駅「笠岡ベイファーム」でも笠岡ラーメンが供されています。秋の手近な行楽にいかがでしょうか。(笑)


いわゆる笠岡ラーメン(かしわ載せ)


















内科医長 松本