2013年12月10日火曜日

第61回 「アンドレ・アガシ」

1999年の全仏オープン、アンドレ・アガシは決勝戦をアンドレイ・メドベデフと戦っていた。

当時のアガシは長い低迷期の最中であり、グランドスラムの決勝戦に勝ち進むということは奇跡的なことであった。

かつてはその風貌から異端児と言われていたが、18歳にして世界ランキング3位、1995年には世界ランキング1位となり、最も人気のあるテニス選手の一人であり、スポーツ界でも有名な選手であった。

しかしその余りにも絶大な人気、莫大なスポンサー収入、女優との結婚から実力は低迷し、一時は世界ランキング141位まで落ちてしまっていた。その低迷していたアガシが1999年の全仏オープンでなんと決勝戦まで勝ち上がったことは大きなニュースとなった。

当時高校1年生であった私にとってアガシは大好きな選手であったものの、グランドスラムで勝ち上がることは数少なかったため、アガシの試合をテレビで見ることはほとんどできていなかった。私は驚きと期待の気持ちで日本時間深夜からのテレビ中継を見始めていた。しかし多くのファンの期待とは裏腹に、メドベデフの安定した190km/hrを超えるサーブが冴え渡り、第1セット6-1、第2セット6-2で最初の2セットを落としてしまった。



テニスのプレースタイルにはサーブを中心としたサービスプレイヤーとストローク中心のベースラインプレイヤーという2つのスタイルがある。

1999年当時は時速200kmを超えるサーブを武器とするサービスプレイヤー全盛時代であったため、ベースラインプレイヤーの代表格であるアガシにとって、サービスプレイヤーであるメドベデフのサーブが調子良いこと、さらに2セットを先取されているといった状況は絶体絶命の状態であった。
試合の解説者も、実際に試合を見ていた観客も、また当時の私も、おそらくアガシ自身以外の誰もがアガシが勝つことを完全にあきらめてしまっていた。


アガシが低迷した原因は彼自身を取り巻く環境の変化とそれによる練習不足、そしてそれが攻め急ぎからのミスを誘発していたことであった。
しかし低迷期を経験し、どん底を味わったアガシは再度栄光の舞台に立つという野望を抱えるように変わっていた。かつてのグランドスラム優勝者が、自分自身でゲーム数をカウントするためにナンバーボードをめくるような下部リーグに出場するといった屈辱にも耐えるようになっていた。怠惰な生活を改め、頭も丸め、名コーチであるブラッド・ギルバードと一緒にひたすら練習と肉体改造をしていた。




アガシはあきらめていなかった。

かつて長髪でろくに走らず、一発のストロークエースを武器に活躍していた選手が、メドベデフ190km/hrのサーブを必死で返し、ローラン・ギャロスの赤土にまみれながら、ひたすら走り、ボールを拾い、長いストロークの末に生まれたチャンスボールを往年のストロークエースで決めるというパターンを少しずつ見せるようになっていた。

あのアガシが、低迷していたアガシが走っている。

その姿を見て観客は沸いた。解説者の声にも力が入るようになった。最初の2セットでは小雨交じりの曇り空が、終盤には日が照りつけるようになり気温も上昇していた。当然、私自身も興奮し眠れなくなっていた。観客はほぼ全員がアガシの応援をしていた。アガシコール、ウェーブが巻き起こっていた。

セットカウント2-2、最終第5セット、5-4で迎えた第10ゲーム。40-15のマッチポイント。
メドベデフのフォアのレシーブが、ベースラインを割った。その瞬間、アガシはラケットを投げ捨て両手を空高く上げた。
涙でしわくちゃの顔で立ちつくすアガシ。そんなアガシに歩み寄り、強く抱きしめるメドベデフ。重なった影の上を時間は緩やかに流れた。そんな二人を大観衆の歓声と拍手が包み込み、一つの歴史が作られた。
そこにいるのは、勝者と敗者ではなかった。死力を尽くして戦ったという、達成感・充実感を分かち合う同士に他ならなかった。


人がひたむきに頑張っている姿は大きな感動を呼び、また大きな偉業を達成します。ただそのためには地道な苦しい努力の毎日と、しっかりと頭を使い、より良いものを作っていこうとする工夫が必要です。当たり前のようなことですが、私にとって初めてそれを実感した瞬間でした。

寺岡記念病院に来て二ヶ月が経過し、ここ数年離れていたテニスを再びやり始めたことで思い出したエピソードを紹介させて頂きました。

私にとって大学時代のテニスの師匠も、初期研修医時代の師匠も、そして脳外科医として初めて手取足取り教えて頂いた師匠も、皆まさにそんな当たり前の事を実践している方々でありました。

今後脳外科医として、そのようなとてつもなく困難な当たり前の事を、自分自身どこまで出来るか分かりませんが毎日実践していきたいと思っております。 





脳神経外科 寺西